中国に「漂流族」なるものが出現しているそうです。

無目的に時代に流され、適当に生きる若者たち。

習近平体制の恥部、失敗、汚点と謂われています。

 

実はわたしの「目黒川風°太郎」という名前、

川に流され風になびく。

 

時流に逆らわず為すがまま、適当にフワフワ流されて生きよ、

親がつけてくれた名前です。

流れ流れて東京を、そぞろ歩きは軟派です。

日本の恥部、失敗、汚点を体現しています。

ようやく中国はわたしに追いついてきました。

 

って、自慢できる話ではありません。(*^_^*)

 

なあんて思うキョウこの頃、

日本の若者の大学受験結果の発表はそろそろ出たのかしら?

明日当たりがピーク?

どうでもいいですが

 

なんでも全国の大学で、理系の女子枠を拡大する動きが盛んなんだそうです。

噂では40大学で700人増 なんだとか。

ちょっと前、新宿の医大が合格点に達している女子を落としていたのとはエライ違いです。

 

まあ700人なんて微々たる数字ですが

それでもいくつかの大学では(正確には7大学)応募が定員に達せず、

泣く泣く男を入れたそうです。

 

大学では広報不足、情報の周知徹底がなされていなかったとしているそうですが、本当にそれだけでしょうか。

 

勿論、頭脳明晰で理系に進む女性がいることは知っています。

(わたしにはコンプレックスがあり、理系は文系より優秀だと思っています。

だから理系に行ったというだけで、男だろうと女だろうと、尊敬しちゃいます。)

そもそも「理工」という名前からして利口そうです。(*^_^*)

 

だけど矢張り、女で理系に進むというのは、大学で「特別枠」を設けなければならないほどに少数なのではないかと思います。

 

たとえば子供の頃、

普通に遊ぶのは男は乱暴な遊び、ボール遊びとかピストルごっこ、ロボット、怪獣遊び、ゲームボーイなどの電子ゲーム、・・・・

女はおままごと、人形、 おはじき、あやとり、カルタ、お手玉、ゴム跳び・・・などではないでしょうか。

(わたしの知識が古い?)

 

女子を差別するとか偏見とか、そういう問題ではなく、

子供の頃から既に、男女の指向、志向、嗜好が違っているのではないか

と思ったりしています。

 

そしてそれは遊びだけでなく選ぶファッションにおいても、音楽においても、食べ物においても、読書においても、仕事においても、

そして勉強、学問においても、

どうしてもそこに「差」ができてしまうのではないか。

 

まあそんななかでも勉強は体力や情緒は関係なく、比較的男女平等に近い、能力格差のない部類になるのだと思いますが、

それでも「理系」に進むのは、男でもある程度の能力を必要とするのですから、

女でも、相当な能力が要求されるだとうと思ったりいたします。

 

ですから大学が学生の「枠」を設けるのは結構ですが、

元々志望する学生が少ない処に「枠」を設けるのですから、

今まで落ちていた学生が入るだけ、レベルがさがるだけではないのか

 

なんて、

またもやジジイの老婆心、

 

ま、

受かるはずのなかった学生が合格するのですから

それはそれで結構なことと、

無邪気に喜んだほうがいいのかな?

 

イロハニ・イヒヒヒヒ。