1月28日、「セクシー田中さん」の著者・芦原妃名子が自身の「X」に
「攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい」
と記して消息を絶ち、
翌日、日光の「川治ダム」に浮かんでいる処を発見されてから1週間経った先週末、
小学館、小学館コミック編集者一同、日テレドラマ脚本家・相沢友子が相次いでコメントを発表しました。
これまで番組をオンエアした日本テレビが
「ボクは言われたとおりにやっただけだもんね~。
ボクは自殺に関係ないよ~」
みたいな、責任逃れのアリバイ、エクスキュースのコメントを出しただけだったので、
第2、第3の当事者たちがどういうコンメントを発したのか、読んでみました。
先ず小学館。
「映像化」に就いては原作者の要望を「ドラマ制作サイド(=日本テレビ)に、誠実、忠実に伝え、制作」された。
だけどこんな事件が起きてしまった。
現在、原因を調査中です。
みたいなコメント。
次に「コミック編集部」
「著作権」には「著作財産権」と「著作者人格権」がある。
「著作財産権」は著者の利益を守る権利、「著作者人格権」は心を護る権利であり、
「著作者人格権」の内訳は
「同一性保持権」「名誉声望保持権」「氏名表示権」「公表権」「出版権廃絶請求権」「修正増減請求権」がある。
と、先ず著作権のお勉強、
そして、この本来守られるべき「著作者人格権」を主張した芦原先生が非業の死を遂げた。
ドラマ化に当たっては、放送前に発売された「セクシー田中さん」単行本第7巻冒頭に
〈まだまだ連載半ばの作品なので、賛否両論あると思いますが キャラやあらすじ等、原作から大きく逸れたと私が感じた箇所はしっかり修正させて頂いている〉
〈物語終盤の原作にはまだないオリジナルの展開や、そこに向かう為の必要なアレンジについては、あらすじからセリフに至るまで全て私が書かせて頂いてます。恐らく8話以降に収録されるはず。〉
こうして著者は自分の権利を主張し、それを実現していた。
それは我がままではなく、当たり前の権利主張である。
それに気づかなかった編集部一同、悔やまれる。
制作に関しては、著者の意向を確実に番組制作サイドに伝え、
ちゃんと制作サイドに伝わっていたと考える、
著者が納得するまで脚本を修正、著者の意向を反映された内容で放送された。
つまり「セクシー田中さん」は巷間謂われているような
原作者の作品意図がドラマに反映しなかったので作者が自殺したんだ
というのとは違うぞ。
という主張です。
そして最後、テレビドラマの脚本を担当した相沢友子。
自分は経緯をしらないまま仕事を引き受け、
経緯を知らないまま
「最後は脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、過去に経験したことのない事態で困惑しましたが、残念ながら急きょ協力という形で携わることとなりました」
「今回の出来事はドラマ制作の在り方、脚本家の存在意義について深く考えさせられるものでした」
なんて、原作者を揶揄するようなコメントをインスタグラムに書いてしまい、
そうこうする内に作者自殺の報に接し、ショックだ。
経緯を知っていたら、あんなバカにしたような投稿をしなかったのに、悔やまれる。
というものでした。
三者三様、多分、その通りなんでしょう。
作者・芦原が1月26日、事件の経過を自身の「X」とブログに書き、
それに対し放送局及び客貧家相沢に非難が殺到、
それを悔やんで芦原が冒頭に記したように
「攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい」
メッセージを残して死んだという流れなのでしょう。
芦原が、あまりにも繊細、ナイーブだった、ということだと思います。
さて問題は、
2次利用、ドラマやアニメにするとき、
どこまで原作者の意向を反映させるべきか、
100%、原作者の意向が反映されるべき
という考え方と、
作品が一度作者の手を離れてリリースされたら、もう作者は何も言えない、
ふたつの考え方があるようです。
わたしの考えでは、
最初のオリジナルだって、読み手が完ぺきに作者の意向を汲んでいる補償はありません。
読み手のオツムの程度で、読まれ方がまったく変わります。
同じ作品を読んでも、ある人は「名作」と謂い、ある人は「駄作」と評します。
わたしは常々、日本の「翻訳」が下手だなあ、と思っています。
特に「哲学書」。
翻訳が下手だから、理解しづらいのです。
だからわたしは原書で読みます。
なんて言ってみたいですが、読めません。(^O^)
「翻訳」が一番原作の意図を捻じ曲げる作業ですが
何れにしろ「作品」が一度作者の手を離れたら、「作品」は独立して歩き出すと考えたほうがいいでしょう。
まして映画化、ドラマ化なんていうのは、
そこに「視聴率」「動員力」というマーケティング要素が入りますから、
原作者の意図なんて完全無視、
なかには「タイトル」だけ使ってドラマ化する
なんていうこともザラです。
「サザエさん」「ちびまる子ちゃん」「クレヨンしんちゃん」などは作者が死んでも作品が出てきます。
不思議です。
ビックリ・クリクリ・クリトリスです。
そんな現実を知ってか知らずか、今回の芦原妃名子、
あまりにもナイーブだったとしか言いようがありません。
「原作に忠実に。」
何か
勘違いしていたのかもしれません。
ハヒフヘ・ホロホロ・ボロボロ。
(2024.2.11.)