最近新聞の全15段(1面)を使って

「一人一票実現国民会議」という団体が意見広告を出しています。

目にされた方も多いのではないでしょうか。


この総選挙と一緒に行われる裁判官の国民審査の機会に

2007年の最高裁判決で「一票の不平等」を合憲とした二人の裁判官をクビにしようという運動のようです。


団体の発起人をみると、

ずらり法曹界の人間のほかに

大宅映子とか奥谷禮子とか三枝成彰、佐々木かをり、櫻井よしこ・・・

といった社交でポジションを維持している胡散臭い連中が名を連ねています。


要は鳥取とか島根といった田舎に比べ東京や大阪、福岡などの大都会は

一票が0.2とか0.3しかの重みがない、

だからそれを是正しろという主張のようです。

是正するには先ず不平等を合憲とした裁判官をクビにしよう、

という考え方です。


その根底にあるのは民主主義が一人一票の多数決という考え方です。


わたしはオメデタイですから、

民主主義とは少数者の意見を聞き、

そうした少数意見を取り入れ実現するのが民主主義であり、

多数決で決めるから現在のように

小泉フィーバーで多数を取った自民党が自衛隊の海外派兵をどんどん進め

年金の問題もウヤムヤにし、

道路公団や官公庁の談合や天下り体質も見て見ぬフリをするようになっているのだと思っているんです。


つまり民主主義=多数決という考え方が多数の横暴をうみ、

真に成熟した議会というのは

数に関係なく各選挙区から選出された議員の意見を

それぞれの選挙区の人たちの意見として尊重するものだと思ったりするのです。


更にいえば

島根や鳥取の田舎に合わせて議員数の是正をしてきたから

東京で25、大阪で19、神奈川で18も選挙区が出来、

其々からどうでもいいような人間が代議士として選出される事態を招来しています。

必然的に議員の質が低くなっているのは見てのとおりです。


「一人一票実現国民会議」の主張は

更に選挙区を細分化して議員の定数を増やすことにしかなりません。


ただでさえも議員の数が多いから削れといわれているご時世に、

彼らの考え方が全く解かりません。


先日DNA鑑定によって無罪だった人のえん罪が晴れて放免になりましたが、

日本の裁判は再審が非常に困難だと謂われています。

再審請求してもなかなかそれが認められない。

なんか自慢のように語られていますが、

もし本当に無罪の人だったら、とんでもないことです。


えん罪を生まないためにも

警察や検察の取り調べの可視化が叫ばれていても

警察や検察は絶対可視化をしようとはしません。

そこで拷問に近いことや誘導尋問をするのを続けたいからです。

つまり冤罪は作られ続けるということです。


「一人一票実現国民会議」、

あれだけの人数の法曹の人間を並べ、

もっと他にやることがあるだろう!

と思うんです。


なァんて思ったりするのはわたしだけでしょうかね。

一人一票、

それより一人一俵の米をもらいたいもんですよ。


イヒヒヒ・・・