虐待なのかな。
痛ましい事件が多いです。
肉親による幼児虐待のニュースはほんとうに心が痛みます。
もちろん子供はかわいそう。
でもお母さん(お父さんかもしれないが)だってかわいそう。
「犯罪者」を安易にかばうわけじゃないけれど
どうしてそこまで追いつめられてしまったのだろうと思うと
ただ一言で、酷いやつだと責めるだけじゃ意味がないなと感じます。
虐待するくらいなら子供を産むなというコメントもみかけるけど
誰も虐待しようと思って子供を産むわけじゃないでしょう。
きっと愛していた時もあったんじゃないかな。
だけど、どこかで踏み外してしまった・・・。
自分はなにがあっても決して過ちを犯さない、
という自信がなければ子供を生むな、ということでしょうか。
(絶対に他の人を好きにならない、と誓って結婚した人が
うっかり結婚後に他の人を好きになってしまった時に
「結婚したこと」を責めないでしょう?)
「子供を産んだこと」を責めるのじゃなく
「虐待したこと」ただそれだけが罪なのです。
虐待するなら産むなと言ってみたところで、誰も救われません。
解決になりません。
社会の無理解や、無関心から子どもと親は孤立し、
親のストレスのはけ口としてさらに虐待は進むのではないか、
死に至らない心の虐待はもっと深く進行してるんじゃないか、
所詮はヒトゴトと安易にコメントするわけじゃないんだけど・・・。
ナゼ虐待してしまったのか、
どうして止められなかったのか、
犯罪者の気持ちに添う必要はないけれど
悲しい事件を繰り返さないためには
その背景まで考えてみることも必要かもしれません。
ヒドイ親だ、と一言では切り捨てられない事情とか
また違ったモノが見えてくるかもしれません。
親だから、産んでしまったから、といって
全部を自分で抱え込もうとしないでいいのです。
辛い、苦しい、大変だ、と助けを求めて欲しいんです。
それは甘えじゃないでしょう。
個人には能力差があって耐性にも差があるし
気力ともなれば時期や環境にも左右されるし
「出来ない」ことがあっても仕方ないじゃないですか。
親が出来ないことなら周りでサポートするしかないのです。
社会ってそういう仕組みのものでしょう?
何も子育てに限ったものでもなく、
障害者の支援しかり老人介護の補助しかり。
みんながやってるからあなたも出来るはず、なんてのはナシね。
その手の言葉は励ましじゃなくプレッシャーにしかなんないです。
幸せな環境に居る時には、それが幸運によって与えられたとは考えないものですが
失う時は一瞬の不運で奪われるということもあるのです。
ちょっとしたきっかけで
ほんのささいな偶然で
自分の身の上にも起こるかも知れない出来事。
「虐待するなら産むな」と安易に切り捨てないでください。
行政や福祉に頼ることもせず、
誰かに助けを求めることも出来ず、
為す術もないままに、虐待が起きてしまうのだとしたら、
事件は防げたかもしれないのに、という悲しさがあります。
死に至らせる以外の方法を思いつかなかった不幸、
親も子どもも助かるための方法を知らなかった不幸。
生きるために必要な知恵を誰が教えてあげられるのでしょう。
情報があふれているはずの社会で、
取り残されるだけしかなかった人を
誰が救ってくれるのでしょう。
虐待されるために生まれたわけではない全ての子どもに
心安らかな日々が訪れますように・・・。
肉親による幼児虐待のニュースはほんとうに心が痛みます。
もちろん子供はかわいそう。
でもお母さん(お父さんかもしれないが)だってかわいそう。
「犯罪者」を安易にかばうわけじゃないけれど
どうしてそこまで追いつめられてしまったのだろうと思うと
ただ一言で、酷いやつだと責めるだけじゃ意味がないなと感じます。
虐待するくらいなら子供を産むなというコメントもみかけるけど
誰も虐待しようと思って子供を産むわけじゃないでしょう。
きっと愛していた時もあったんじゃないかな。
だけど、どこかで踏み外してしまった・・・。
自分はなにがあっても決して過ちを犯さない、
という自信がなければ子供を生むな、ということでしょうか。
(絶対に他の人を好きにならない、と誓って結婚した人が
うっかり結婚後に他の人を好きになってしまった時に
「結婚したこと」を責めないでしょう?)
「子供を産んだこと」を責めるのじゃなく
「虐待したこと」ただそれだけが罪なのです。
虐待するなら産むなと言ってみたところで、誰も救われません。
解決になりません。
社会の無理解や、無関心から子どもと親は孤立し、
親のストレスのはけ口としてさらに虐待は進むのではないか、
死に至らない心の虐待はもっと深く進行してるんじゃないか、
所詮はヒトゴトと安易にコメントするわけじゃないんだけど・・・。
ナゼ虐待してしまったのか、
どうして止められなかったのか、
犯罪者の気持ちに添う必要はないけれど
悲しい事件を繰り返さないためには
その背景まで考えてみることも必要かもしれません。
ヒドイ親だ、と一言では切り捨てられない事情とか
また違ったモノが見えてくるかもしれません。
親だから、産んでしまったから、といって
全部を自分で抱え込もうとしないでいいのです。
辛い、苦しい、大変だ、と助けを求めて欲しいんです。
それは甘えじゃないでしょう。
個人には能力差があって耐性にも差があるし
気力ともなれば時期や環境にも左右されるし
「出来ない」ことがあっても仕方ないじゃないですか。
親が出来ないことなら周りでサポートするしかないのです。
社会ってそういう仕組みのものでしょう?
何も子育てに限ったものでもなく、
障害者の支援しかり老人介護の補助しかり。
みんながやってるからあなたも出来るはず、なんてのはナシね。
その手の言葉は励ましじゃなくプレッシャーにしかなんないです。
幸せな環境に居る時には、それが幸運によって与えられたとは考えないものですが
失う時は一瞬の不運で奪われるということもあるのです。
ちょっとしたきっかけで
ほんのささいな偶然で
自分の身の上にも起こるかも知れない出来事。
「虐待するなら産むな」と安易に切り捨てないでください。
行政や福祉に頼ることもせず、
誰かに助けを求めることも出来ず、
為す術もないままに、虐待が起きてしまうのだとしたら、
事件は防げたかもしれないのに、という悲しさがあります。
死に至らせる以外の方法を思いつかなかった不幸、
親も子どもも助かるための方法を知らなかった不幸。
生きるために必要な知恵を誰が教えてあげられるのでしょう。
情報があふれているはずの社会で、
取り残されるだけしかなかった人を
誰が救ってくれるのでしょう。
虐待されるために生まれたわけではない全ての子どもに
心安らかな日々が訪れますように・・・。