休眠から復帰した牧師のブログ

休眠から復帰した牧師のブログ

さんざん放浪して挙句に妻の母教会で「様子見」となっている牧師のブログです。

愛する聖徒の皆さん

信仰の歩みにおいて、私たちが忘れてはならないことがあります。

それは、「人を崇める信仰」ではなく、「神様を見上げる信仰」に立つことです。

歴史を振り返る時、宗教の世界には、対立や支配、権威争いによって、多くの人々が傷つけられてきた現実があります。

しかしイエス様は、そのような支配の道とは全く異なる道を示されました。


イエス様は支配ではなく仕える道を示された

マルコの福音書10章で、イエス様は弟子たちにこう語られました。

「あなたがたの間では、そうであってはなりません。
あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。」

この世は、「上に立つこと」「人を従わせること」を力だと考えます。

しかし神の国では違います。

神様の前で本当に尊い人とは、愛をもって仕える人です。
人を支配する人ではなく、人を生かす人です。

イエス様ご自身が、弟子たちの足を洗われました。
十字架に至るまで、仕える生涯を歩まれたのです。


真の戦いとは何か

時に信仰者は、「悪と戦わなければならない」と語ります。

しかし聖書が教える戦いは、人間同士を憎み合う戦いではありません。

エペソ書6章にはこうあります。

「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、
支配、権威、この暗闇の世界の支配者たちに対するものです。」

つまり、本当の敵は「人」ではありません。

憎しみ、傲慢、妥協、絶望、罪――
そうした闇との戦いなのです。

だからクリスチャンは、人を呪うのではなく、人の救いのために祈ります。

イエス様は十字架の上でさえ、

「父よ、彼らをお赦しください。」

と祈られました。

ここに福音の心があります。


神様は使命を与えておられる

先ほどの文章には、「使命」という言葉が繰り返し出てきました。

聖書もまた、神様が私たち一人ひとりに使命を与えておられることを教えています。

エペソ書2章10節。

「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。」

愛する聖徒の皆さん。

あなたの人生には意味があります。
神様は、あなたを偶然に造られたのではありません。

家庭にも、学校にも、職場にも、地域にも、神様があなたを遣わされた理由があります。

光として、
愛を届ける者として、
福音を証しする者として、
置かれているのです。


妥協とあきらめを越えて

文章の中には、「妥協」と「あきらめ」が敗北を招くという内容がありました。

これは信仰生活においても、大切な警告です。

私たちは時に、

「もう無理だ」
「祈っても変わらない」
「ここまでしかできない」

と思ってしまいます。

しかし神様は、弱い私たちを励ましてくださいます。

ガラテヤ書6章9節。

「善を行うのに飽きてはいけません。
失望せずにいれば、時期が来て刈り取ることになります。」

神様は、忠実な歩みを見ておられます。

たとえ小さな祈りでも、
小さな奉仕でも、
愛をもって続ける歩みを、神様は喜ばれるのです。


聖霊様が力を与えてくださる

私たちは、自分の力だけで使命を果たすことはできません。

だからイエス様は、聖霊様を送ってくださいました。

使徒の働き1章8節。

「聖霊があなたがたの上に臨むとき、
あなたがたは力を受けます。」

聖霊様は、恐れを勇気に変えます。
疲れた魂に新しい力を与えます。
愛する力、赦す力、立ち上がる力を与えてくださいます。

だから私たちは、孤独に戦う必要はありません。

神様が共におられるのです。


信仰は行動によって現れる

文章には、「精神は行動によって受け継がれる」とありました。

これは聖書の教えにも通じます。

ヤコブ書にはこうあります。

「信仰も、行いが伴わないなら、それだけでは死んだものです。」

本当の信仰は、日々の生き方に現れます。

困っている人を助ける。
赦す。
祈る。
励ます。
福音を語る。

そうした歩みの中に、キリストの香りが現れていくのです。


イエス様を見上げ続ける

愛する聖徒の皆さん。

人は完全ではありません。
どんな優れた指導者であっても、神様そのものではありません。

だから私たちの信仰の中心は、常にイエス様でなければなりません。

ヘブル書12章には、

「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」

とあります。

イエス様こそ、私たちの希望です。
イエス様こそ、救い主です。
イエス様こそ、永遠に変わらないお方です。


結び

愛する聖徒の皆さん。

神様は今日も、私たちを召しておられます。

恐れず、
あきらめず、
愛をもって歩みなさい、と。

この世には争いや分裂があります。
しかしクリスチャンは、キリストの平和を運ぶ者です。

どうか今日も、

「主よ、あなたの愛を生きる者としてください」

そう祈りながら歩んでまいりましょう。

聖霊様が、皆さん一人ひとりを強め、導いてくださいますように。


お祈り

天のお父様。

今日も御言葉を感謝いたします。

人ではなく、イエス様を見上げる信仰を与えてください。

妥協やあきらめではなく、希望と愛をもって歩ませてください。

聖霊様、私たちを強めてください。

困難の中でも、福音の光を輝かせる者としてください。

私たちの教会が、支配ではなく愛に満ちた群れとなりますように。

感謝して、尊いイエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。

アーメン。

愛する聖徒の皆さん

この言葉には、「世界平和」という願いと、「胸中に太陽を昇らせる」という力強い表現があります。

聖書もまた、真の平和と希望の光は、イエス様によって与えられることを教えています。


イエス様こそ平和の主

イザヤ書9章6節には、救い主についてこう記されています。

「その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」

イエス様は「平和の君」です。

この世には争いがあります。
憎しみ、分裂、不安、恐れがあります。

しかしイエス様は、人の心に平和をもたらしてくださるお方です。

真の平和は、ただ戦争がない状態ではありません。

神様との和解、
人との和解、
そして魂の平安です。


心の中に光を持つ

「胸中に太陽を昇らせる」という表現は、とても印象的です。

聖書では、神様ご自身が光であると語られています。

ヨハネの福音書8章12節。

「わたしは世の光です。
わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、
いのちの光を持ちます。」

愛する聖徒の皆さん。

人の心には時に暗闇があります。
落胆、不安、怒り、孤独――。

しかしイエス様は、その心を照らしてくださいます。

イエス様の光が入る時、希望が生まれます。
赦しが生まれます。
愛が生まれます。


神様は私たちを平和の器として用いられる

マタイの福音書5章9節。

「平和をつくる者は幸いです。
その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」

クリスチャンは、争いを広げる者ではなく、平和をもたらす者として召されています。

家庭で、
学校で、
職場で、
地域で、

神様の愛を届ける存在として用いられるのです。

小さな優しさ、
励ましの言葉、
祈り、
赦し――。

その一つひとつを通して、神様の光は広がっていきます。


聖霊様が内なる人を照らしてくださる

自分の力だけで、いつも明るく強くいることはできません。

だから神様は、聖霊様を与えてくださいました。

聖霊様は、疲れた心を励まし、
暗くなった魂に再び光を灯してくださいます。

ローマ書15章13節。

「どうか、希望の神が、信仰によるすべての喜びと平安をもってあなたがたを満たし、
聖霊の力によって希望にあふれさせてくださいますように。」

アーメン。


結び

愛する聖徒の皆さん。

この世界には、なお多くの不安や混乱があります。

しかし、イエス様の光は消えることがありません。

どうか今日も、

「主よ、私の心をあなたの光で満たしてください」

と祈りながら歩んでまいりましょう。

神様は、あなたを平和の器として用いてくださいます。

そしてイエス様の光は、あなたの人生を通して周囲へと輝いていくのです。


お祈り

天のお父様。

今日もあなたの御言葉を感謝いたします。

イエス様の平和で、私たちの心を満たしてください。

暗闇ではなく、あなたの光の中を歩ませてください。

聖霊様、私たちを希望に満ちた者としてください。

私たちが平和をつくる者として、愛をもって歩むことができますように。

感謝して、イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。

アーメン。

愛する聖徒の皆さん

今日は、「健康」と「生命力」について、聖書の観点から共に考えてまいりたいと思います。

現代は、医学が大きく進歩した時代です。
しかしその一方で、多くの人が疲れ、心に重荷を抱え、不安や孤独の中で生きています。

「病気がないこと」だけが、本当の健康ではありません。

心に希望があるか。
生きる喜びがあるか。
愛し、祈り、前へ進む力があるか。

そこに、真の健康の姿があるのではないでしょうか。


神様が与えられる「いのちの力」

聖書は、人間のいのちは神様から与えられた尊い賜物であると教えています。

創世記では、神様が人に命の息を吹き込まれたとあります。

つまり、私たちは単なる物質ではありません。
神様の息によって生かされている存在なのです。

だから人間には、目に見える肉体だけでなく、「魂」があります。

肉体が疲れるように、魂も疲れます。
そして魂が弱ると、心や体にも影響を与えることがあります。


「心」と「健康」

聖書は昔から、「心」と「健康」の深い関係を語っています。

箴言17章22節。

「喜びに満ちた心は良い薬。
たましいの打ち砕かれた状態は骨を枯らす。」

なんと現代的な御言葉でしょうか。

喜び、感謝、平安、希望――。
それらは人を生かします。

反対に、怒り、絶望、恐れ、憎しみは、心を疲弊させます。

もちろん、すべての病気が「心だけ」が原因ではありません。
肉体には医学的な治療が必要です。

しかし神様は、私たちの心の状態も深く見ておられるのです。


イエス様は心も癒された

福音書を見ると、イエス様は病人を癒されました。

しかしイエス様は、単に体だけを見ておられたのではありません。

孤独な人に寄り添い、
傷ついた人を受け入れ、
絶望している人に希望を与えられました。

ある病人に対して、まず、

「あなたの罪は赦された」

と言われたこともあります。

これは、イエス様が人間の内側を見ておられたからです。

魂の回復。
心の回復。
そこに真の癒しがあることを、イエス様は示されたのです。


苦しみの中でも希望を失わない

愛する聖徒の皆さん。

病気になると、人は弱気になります。
将来への不安を感じます。
「なぜ自分が」と苦しむこともあります。

しかし神様は、苦しむ人を決して見捨てられません。

詩篇34篇18節。

「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、
霊の砕かれた者を救われる。」

神様は、弱っている人の近くにいてくださいます。

祈る力がなくても、
涙しか出なくても、
神様はその心をご存じです。


真の健康とは「創造的に生きること」

先ほどの文章には、「挑戦し、創造し、前進していく人生」が語られていました。

これは、聖書の生き方にも通じる部分があります。

神様は、私たちを絶望の中に閉じ込めるためではなく、希望をもって生きるために召してくださいました。

たとえ年齢を重ねても、
弱さを覚えても、
神様はなお、その人を用いてくださいます。

モーセは80歳で召されました。
アブラハムも高齢になってから約束を受けました。

神様の働きに、「遅すぎる」ということはありません。


聖霊様が新しい力を与えてくださる

イザヤ書40章31節。

「主を待ち望む者は新しく力を得、
鷲のように翼をかって上ることができる。」

人間の力には限界があります。

しかし聖霊様は、疲れた魂を新しくしてくださいます。

立ち上がる力。
祈る力。
愛する力。
希望を失わない力。

それを神様は与えてくださるのです。


医学も神様の恵み

私たちは、信仰だけで医学を否定するのではありません。

医療の知恵や治療も、神様が人類に与えてくださった恵みの一つです。

ルカは医者でした。
パウロも、体調への配慮について語っています。

だから私たちは、祈りながら、必要な治療を受け、心と体の両方を大切にして歩むのです。

信仰と医学は、対立ではなく、「人を生かす」という願いにおいて重なる部分があります。


結び

愛する聖徒の皆さん。

本当の健康とは、単に病気がないことだけではありません。

神様に愛されていることを知り、
希望を持ち、
今日を感謝して生きること。

そこに、いのちの輝きがあります。

どうか今日も、

「主よ、私の心と体を守ってください」
「あなたの平安で満たしてください」

と祈りながら歩んでまいりましょう。

神様は、皆さん一人ひとりを大切にしておられます。


お祈り

天のお父様。

今日も命が与えられていることを感謝いたします。

弱っている心を慰め、疲れている体を支えてください。

病の中にある方に、平安と励ましを与えてください。

医療に携わる方々を祝福し、知恵と守りを与えてください。

聖霊様、私たちの内なる人を日々新しくしてください。

どんな時も希望を失わず、イエス様と共に歩めますように。

感謝して、尊いイエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。

アーメン。