救いとは、ゴールのように見えて、実はゴールではありません。
それは、神の命に生きる「軌道」です。
イエス様を信じ、聖霊様に導かれて歩み始めた人は、そこで人生が完成して止まるのではありません。むしろ、そこから永遠の前進が始まります。永遠に成長し、永遠に深められ、永遠に喜びが更新されていく歩みです。これこそが、尽きることのない希望そのものです。
聖書が語る救いも、「未来へ、未来へ」と続く命の約束です。天国行きの切符をもらって終わりではありません。今この地上で、神の国の命を生きながら、さらに豊かに、さらに人を愛し、人を救う者へと変えられていく生き方です。イエス様が十字架と復活を通して開いてくださったのは、止まらない命の道でした。
この救いの軌道に入ると、人生から嵐が消えるわけではありません。嵐も来ます。吹雪のような試練もあります。冷たい向かい風に立たされる日もあります。しかし同時に、春の風も吹き、青空も広がり、太陽の温もりも確かに注がれます。信仰の目で見るなら、そのすべてが神のご計画の中にあります。喜びの日も、涙の日も、どちらも無駄にはなりません。
だから私たちは、「生きること」を心から喜ぶことができます。そして、死さえも恐れに支配されません。死は終わりではなく、神の御手の中への移行だからです。生も喜び、死も委ねられる。この平安は、人の力ではなく、聖霊様が心に注いでくださる賜物です。
救いとは、完成して動かなくなる境地ではありません。何が起きても、人生が壊れない軌道に入ることです。問題が来なくなる人生ではなく、問題が来ても折れない人生です。むしろ試練が深まるほど、内なる命が強められ、喜びが深くなっていきます。
信仰の道には、必ず抵抗があります。祈ろうとすれば妨げが来ます。愛そうとすれば誤解されます。正しく歩もうとすれば、攻撃されることもあります。しかしそれは、「あなたの進んでいる道は正しい」という天からのしるしでもあります。暗闇が濃くなるのは、光が本物だからです。
聖書は、信仰ゆえの試練を否定しません。それどころか、試練を通して信仰が純粋にされ、命が練られると教えています。信仰の目で見れば、困難は妨害ではなく、成長への招きです。逃げる理由ではなく、神をさらに深く知るための扉です。
イエス様ご自身も、苦難の道を通られました。しかし、そのただ中で父なる神を信頼し切り、復活の命を現されました。その命が、今、私たちの内にも聖霊様によって与えられています。だから私たちは、揺れながらも倒れません。弱さを抱えながらも、前に進めます。
救いの軌道に一度入ったなら、そこから先は永遠の旅路です。立ち止まることはありません。生きている限り、成長があります。天に召された後も、神の栄光の中で、さらに満たされていきます。これが、イエス様が約束された命の豊かさです。
もし救いが「そこで終わり」だったなら、信仰はこんなにも生き生きとしたものにはならなかったでしょう。しかし神の救いは、常に前進し、常に新しく、常に希望に満ちています。苦しみも、喜びも、光も影も、すべてを抱きしめながら進んでいく人生です。
今日も、聖霊様はあなたをその軌道へと導いておられます。
恐れずに一歩を踏み出してください。
祈りをやめず、愛を選び続けてください。
イエス様にあって、あなたの人生は止まりません。
永遠に更新され続ける喜びの道が、今この瞬間も、確かに続いています。
