お初でございます | 思ったことを徒然なるままに書くブログ

お初でございます

アカウント自体は1年前ぐらいから持っていましたが、

ブログっていうか、小学生時代の夏休みの日記すら

マトモに続いたためしがない(mixiも長らく放置してある)ので

ここもいつまで続くやら・・・・・・。ですがマイペースで更新していけたら

良いかと思います。


先週の金曜に岩手、宮城、福島、さらには茨城沖で

別々の大きな地震が起こり、その後長野県でも大きな地震が

起こったのはご存知のことだと思います。


私は金曜の地震があった時は愛知県豊田市(車で有名な街ですね)の

職場にいました。


ちょうど地震が起こった時間に鉄板を巻いたもの(コイル材)が置いてある所に

いたんですが、プレス機がドカンドカンと動いていて、常に地面が

揺れているところなので、地震があったとは気がつかなかったんですが、

コイル材は物によっては5tとかそれ以上あったりします。


豊田は震度4だったんですが、もっと強い揺れだったらと思うと・・・・・。


工場内で「地震があったので設備を全部停止してください」という

放送が流れて初めて地震があったと知りました。


その後職場に戻って、同僚に話を聞いたら1分ぐらい、船に揺られてるような

気持ちの悪いゆっくりした横揺れが続いたそうです。


話は変わりますが、


私の出身地は愛知県の蒲郡市(がまごおりし)という愛知県の割と東側に

ある所なんですが、

蒲郡や隣町の幸田町(こうたちょう)と、言うところ、更には幸田町の隣の

吉良町(きらちょう)からその隣の西尾市というところにかけて

深溝(ふこうず)断層という断層があります。


wikipedia 深溝断層(ふこうずだんそう)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B1%E6%BA%9D%E6%96%AD%E5%B1%A4

この、深溝断層は戦時中の1945年1月13日、午前3時30分過ぎに

三河地震という地震を起こした時に出現した、とされています。


wikipedia 三河地震

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B2%B3%E5%9C%B0%E9%9C%87


この三河地震は戦争が終わる半年程前の寒い時期に起こりました。

20年ほど前に亡くなった婆様が

「戦時中にB29の空襲は蒲郡には来んかったけど、夜中にものすごい地響きと

縦横に揺さぶられるものすごい地震がおこってのん。わしゃ、あれが怖くて怖くて

生きた心地がしんかっただに。(しなかったんだよ)」

と、話をしてくれたことがありました。(三河弁という方言です。)


幸い当時婆様が住んでいた所は震源地からは割と遠い地域だったので、

家が壊れるとかケガをするという事はなかったけれども、

その後も余震がひどく、家の中にはとてもいられないので、

1月の厳寒の中、まだ乳飲み子だった叔母を抱きかかえて布団に包まって

庭に出ていたそうです。

余震も3分おきとか、5分おきぐらいでドドドドドという地の底から

響いてくるような地鳴りと、大きな揺れと、寒さで生きた心地はしなかったそうです。


戦時中なので男手は足りず、爺様も出征中でとても心細かったと言ってました。


この地震、戦時中におこったものなので地震で被災したり死者が出たことを

国民が知ると戦争をする気力が落ちる(士気が下がる)、という事で

詳しい部分が残っていない事が多くあります。


愛知県蒲郡市のHP 市内の指定文化財 三河地震による地割れ

http://www.city.gamagori.lg.jp/site/museum/bun-c-104.html


愛知県のHP 三河地震による地震断層

http://www.pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/bunkazainavi/kinenbutu/tennen/kensitei/1007.html


蒲郡の市内にある形原温泉(かたはらおんせん)という所の山の

ふもとの道沿いに地面にずれができて、私の身長(150cm)ぐらい

ドーンと地面がずれてしまった所があります。


日本に住んでいる限り地震からはどう抗っても逃れられないし、

案外皆さんがお住まいの地域にも活断層やまだ知られていない

断層があるかもしれません。


万が一に備えて、装備をしておこうと思います。


最後に、今回の大地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

微力ではありますが、被災された方々へのご支援をさせていただきました。