翌朝、大阪から毎日通っていた姉に電話して、父と弟と私の四人で、その日の打ち合わせをした。

皆、お風呂に入りたかったので、また、引き潮の時間を避けて、入浴に実家に戻ることになった。

 

午前中は、父が、そのあと、弟と私が、入れ替わることになった。

 

父が病院に戻って来たので、また、弟とバスに乗って、実家まで戻った。

 

先に、弟に入ってもらった。私は、洗濯物の区分けなどをしていた。

 

「お先に」

弟が出てきたので、私も入ることにした。

 

風呂場に入り、頭を洗い始めると、もともとマンションについていて、風呂桶につかりながら見られる防水のテレビが

いきなりついて、大音量を発した。私は、驚いて、泡をつけたまま、テレビを消した。

 

母が、「あの世はやっぱりある」と知らせに来たと思った。

 

霊感と言うと、なんだか、訳の分からないものが見えたり感じたり、聞こえたり、臭ったりするけれど、それが、幻影なのか、思い込みなのか、勘違いなのか、実は、人には、証拠として見せられないので、ほんの少し、自信がないものだ。

 

母ともよく体験した幽霊話や不思議な話をよく交換していたが、ずっとお互いに約束していたのは、

先に死んだ方が、あの世があったら、できる方法で、伝える、ということだった。

 

その際、よく家電や電気関係は、あの世から操作し易いと聞いたことがあったので、電気関係を動かそうということになった。

また、あるテレビで、あるお爺さんが、亡くなる前に、「あの世があったら額縁を斜めにして知らせに来る」と言う話を聞いていたので、母と、「額縁もできるか試してみよう」という話しになっていた。

 

お風呂から出た私は、弟に、「さっき、中でテレビ見てた?」と聞いたら、「見てないよ」というので、実は、と急に大音量で

テレビが点いた話をしたら、「故障したんじゃない?」と何十年私と母と付き合っていながら、現実的なことを言う弟であった。

 

そして、額縁をチェックしたら、居間の額縁が3つほど、歪んでいた。それで、その話をすると、「ええ〜。これも最初からこうなってたんじゃない?」と言うので、「そうかしらね」と言うことにしておいた。

 

 

 

 

 

 

母の下顎呼吸が始まってから、死に際に寄り添いたいので、引き潮の時間を避けて、用事を足すようにした。

父は母の横の簡易ベッドに、弟と私は、廊下の奥の患者の家族用の6畳ほどの畳の部屋を予約して、

宿泊させてもらうことになった。

 

就寝時間になったので、弟と私は、畳の部屋に移動して、布団を並べて敷き、子供の頃以来、何十年ぶりかで、

横に並んで眠ることになった。

 

この畳の部屋には、玄関のような間口があって、そこに足を踏み入れると、自動的に電気がパッとつく仕組みになっていた。

部屋の中には、別に和風の電気がついていて、手動でつけたり、消したりする。

 

実家に住んでいたころは、弟とよく、夜中過ぎまで、食卓や、冬はコタツで、いつまでもおしゃべりをしていた。

久々に、何十年前にタイムスリップしたようなシーンが戻り、色々おしゃべりをしていた。

だいぶん二人共疲れていたので、電気を消して、暗闇の中でボソボソと話を続けていた。

 

横になって、30分くらい経ったころか、いきなり、間口の電気が点き、二人共ぎょっとした。

弟が、「これって…」とつぶやいたとき、タバコの匂いのするパジャマを着た白髪の男性の気配を感じた。

すぐに気配が消えたので、その旨を伝えると、弟が、子どもの時代の時ように、ビビってしまった。

 

それでも、母が亡くなって知らせに来たのと、勘違いしているといけないという話になって、念の為、病室まで、

様子を見に行ったら、父も母も静かに眠っていてほっとした。

 

母のベッドの横には、親族が一緒に眠れるように、小さな簡易ベッドがついていました。

父がそこに、毎晩寝ていました。

 

私は、母の下顎呼吸が始まる前の最初の4日間は、実家に眠りに戻りました。

姉と弟は、それぞれ、大阪と奈良に戻りました。

 

実は下顎呼吸が始まり、ドクターから、3日以内に亡くなると説明があったとき、急に高校生の頃だったか、朝日新聞で、谷崎潤一郎の死に立ち会った人の話があって、ほぼ引き潮の時間に亡くなったと書いてあったことを思い出しました。

 

できれば、母の帰天の瞬間に立会いたいという気持ちで、ネット検索をしたら、今となっては、忘れてしまいましたが、

どこかのお寺のサイトのお坊さんが、潮の満ち引きと人間の誕生や死そとの関係について言及されていました。そして、

確か、その時間帯が、表になって書かれていました。

 

それを見て、できるだけ、引き潮の時間には、全員が揃っているようにしたいと父と姉と弟に相談しました。

 

姉と弟は、私の幼少期から、人が見えるとか、光が見えるとか、音が聞こえるとか、散々聞いていて、

慣れていたので、すんなりと話せました。

 

しかし、父は、ある意味、科学者なので、この場でなんと言うかなあとちょっと心配がありました。

でも、思い切って二人になったときに、切り出しました。

すると、じっくり私の話を聞いてくれたあと、

 

「実は、自分がインターンだったときに、ある病院の手伝いをしていたら、院長先生と看護婦長さんが、『今日は引き潮だから、

〜さんは、今日危ないね。ご家族に連絡をしよう』、と言っていた。そして、その通りその方は、引き潮の時間に亡くなったから、すごく印象に残っている。Bの話を信じるので、皆で、できるだけ、引き潮の時間は、揃うようにしよう」

 

こうして、引き潮の時間を避けて、順番に家の用事や、それぞれの入浴などの用途で、順番に家に帰ることになりました。

 

2017年4月に母が退院してから、引き続き不思議な話が続きます。

 

フランスに戻るまで毎日、母の寝室で話し続ける私。

母はいつものように、私に寄り添った会話とアドバイスを続けます。

 

すると、前日のようにまた、会話の途中で急に虚空に目を走らせ、

 

「困ったわね。こういう場合は私はどう行動すべきなのかしら?」と母。

 

「こういう場合って?」と私。

 

「お侍さんが海辺で二人で一騎打ちをしてるの。私は、なぜか子供の姿で、

絣の着物を着ているわ。松の陰に隠れて二人を見てるんだけど、

私は出て行って止めるべきなのかしら?」迷う母に私は、

 

「子供なんだったら、この場合は、仕方がないわよ。見守るしかないんじゃない?」と言うと

 

「そうね。これは、仕方ないわね。」と納得する母。

 

余りに臨場感のある目の動きに、私は、つい

 

「ねえ、そのお侍さんたちって、イケメン?」と聞くと、母は、じっと観察する目の動きをしながら、

 

「そうでもないわね。」

と言うので、大笑いしてしまいました。

 

 

 

 

 

2017年4月、乳がんと闘っていた母が大腸炎になり、衰弱して危ない状態になったため、

2週間の予定で子供達の送り迎えや食事の支度の段取りをつけ、フランスから2週間の予定で帰省しました。

母の体調炎での入院は、9日目くらいに緩和し、少しずつ食事もとれる様になったため、

母の強い希望で、自宅に戻ることになりました。私は、帰国前、3日間、母と一緒にゆっくりと過ごすことができました。

 

家では、車椅子で生活をしていましたが、辛そうだと、ベッドへ移し、隣にある父のベットを拝借して、母と横に並び、色々思い出話をしたり、いつものように日常の話をしたりしていました。

 

その会話中に数度、突然、会話を遮り、母が、

「私はどうしたらいいのかしら?ここにいてはいけないはずの人が2人いるんだけど。。。」

と言うので、私は、

「どなた?知ってる方?」と聞くと、

「分からないわ。」と母。

「なら、お名前を聞いてみたら。」と私が言うと、

「それはとても聞きにくいわ。とても聞ける雰囲気じゃないのよね。」

と言うので、

「じゃあ、居たいだけ居てもらいましょう。」と言って、会話を打ち切りました。

母は、ときどき、部屋の隅に視線を向けて、

その方たちがまだいるかチェックしていました。

 

私は、母には言いませんでしたが、心の中で、

「まさか、お迎えのお役目の方達じゃないかしら?」と思っていました。