日本人はなぜ自粛する? | NY発!!読むラジオ-Megumi in New York

日本人はなぜ自粛する?

不思議な事が起っている。
アメリカ人が今日本人の「自粛」の心配をしているのだ。

震災の数日後、被災地の人々が助け合う姿に感銘を受けたアメリカのメディアは、「GAMAN」という日本語を紹介した。英語の persevereと似てはいるが、「耐える美学」のようなものを持つ、日本語特有の言葉としてアメリカ人は受け取ったのだった。

さらに数日前、27日付のニューヨークタイムスの記事が紹介した新しい日本語が、「JISHUKU」である。

ところが今度はほめてはいない。見出しからして「震災後の日本は“自粛”という強迫観念( OBSESSION)に取り憑かれている)」というのである。

内容をかいつまんで紹介すると、
「震災後の日本はバブル時代とは対象的な「自粛時代」に入った。
多くの被災者がいる現在、わずかな贅沢も非難の対象になる。最初はエネルギーの節約から始ったが、今は他の分野でも自粛が行なわれている。
例えば地方選挙の立候補者はラウドスピーカーを使わなくなった。
駅前のビッグカメラのジングルも静かになり、高校野球のバンド応援もなくなった。
さらに季節の楽しみであるお花見や夏の花火大会もキャンセルになった。店やレストランも早じまい。化粧とカラオケはNG。ペットボトルの水とガイガーカウンターはOKである。(うわっ皮肉! ここは外国目線?)
まるで国全体が一度にしゃがみこんでしまったようだ。しかも誰が決めたわけでも、そうしなければ罰せられるわけでもないのに。
この状態は少なくとも数ヶ月は続きそうだ。そして夏になればますます電力不足による停電が増え、娯楽や飲食業などを含め日本の産業は大きな打撃を受けるだろう。確かに節約のおかげでここ数日の計画停電は必要なくなった。しかし政府が巨額の予算で被災地の復興に取り組んでいるのに、日本経済の6割を占める個人消費は落ち込んでしまいそうだ。
関西学院大学の鈴木教授によれば、「自粛」はこの大災害のトラウマと 放射能への恐れに立ち向う「一つの方法」だろうと言う事だ。つまり自粛することで、無意識に「被災地のために何かした気持ちになっている」ということだ、と彼は説明している。」(どうでしょうか、ちなみにこの記事ではこの方が西日本に属している事と、東と西で温度差が生まれていることも指摘しています。)

NYタイムスに比べ、31日付ファイナンシャルタイムスの書き方はずっとマイルドだ。
4月に入り閣僚も防災服から背広に着替えて、日本は平常に戻ろうとしているように見えるが、反対に消費は落ち込んでいる。余震や放射線への恐れもあるが、「被災地が苦しんでいるのにパーティなんてとんでもない」という理由による「JISHUKU」の影響も大きい。と書かれている。

ここでも自粛が消費の落ち込みに原因になっていることをハッキリと指摘している。

特にタイムスの記事を読んで、日本人をむちゃくちゃ表現してると感じたのは、

「誰が決めたわけでも、そうしなければ罰せられるわけでもないのに。」という部分である。
「そうしろと言われたわけでもないのに、なぜやらなきゃいけないの?」とアメリカ人は疑問に思う。
これはなぜか? 日本人ばかりの中に住んでいたら、きっとわからない感覚だ。

なぜなら日本人は、何も言われなくても顔を見ただけで、相手が何を考えているか、ある程度想像できてしまう、少なくとも「わかったと思えてしまう」国民だからである。
日本をよく知るアメリカ人はそれをちょっと大げさに「テレパシー」と呼ぶ人もいる。

「空気を読む」という言葉がそれを象徴している。
逆に、アメリカ人で「空気が読める」人なんてそういない。というか世界にも「空気が読める」人は少数派だと思う。
日本人は「そんなの言わなくてもわかるでしょ」と言うけれど、
「そんな大事な事言わなきゃわかるわけないじゃないか」というのがアメリカ人に代表されるグローバルスタンダードだと思った方がいい。

アメリカ人が「日本人ははっきり言わない」とよく言うけれど、そのへんがきっと関係しているに違いない。日本人が「当たり前だから言わなくていい」と思っていることが、世界の人にとっては「秘密」に見える。日本人は「そんな事はない」と反論するかもしれないが、世界の(そんなものあるか知らないが)基準では「ハッキリ言わない」なのである。

これをうまく説明している人類学の理論がある。
日本はハイコンテクスト・ソサエティ
つまり社会で人々が多くのコンテクストを共有しているから、いちいち言葉にして確認する必要がない。日本はその代表らしい。きっと島国での長い歴史がそういうコンテクストの集積をもたらしたのだろう。
逆に西洋社会はおしなべてローコンテクスト・ソサエティ、中でも異文化が集結、激突するアメリカ合衆国はその最たるもの、だそうだ。
つまり、日本とアメリカは両極端なのだ。
しかも日本語と英語というまるで違う言語をすりあわせてわかりあおうと言うのだから大変なはずである。

脱線してしまいましたが、自粛もハイコンテクスト文化ならではの現象じゃないかと言いたかったわけです。

だから、アメリカには「自粛」はない。少なくともみんなが一度に「自粛」することはまずありえない。

ここは冷静になって、「人がこうしているから」ではなく、
「自分の良識で考えて、ここはどう行動すべきか」考えれば、自ずと答えが出るのではないでしょうか。

もっとアメリカ式にはっきり言うと。

「みなさん、被災したみなさんのためにも日本の経済を復興させましょう。
出来る人はどんどん外に出かけ、レストランで食事を楽しんで下さい。」

これは911の数日後に、当時のジュリアーニ市長が言ったことである。
ジュリアーニはどうしても好きになれなかったけれど、この一言だけで彼はニューヨーク市長としてのレガシーを残したと私は勝手に考えている。

ちなみにこういうことがハッキリ言えるリーダーが日本に出現しないのも、「自粛」と関係あるのかもしれないですね。