数年後


ガバッ!

うなされていた祐太郎が、ベッドの上に起き上がる。

(はぁ、はぁ・・・何だったんだ、今のは?)

息を整えながら、周りを見渡す。

そこは、どうやら祐太郎の住むアパートの部屋のようだった。

(なんだ、口無村に行ったと思っていたが、全て夢だったのか)

そう思い、安心したのも束の間、台所から朝食の準備をする音が聞こえてきた。

(ここには、自分の他には誰も住んでいないはず)

と不審に思い、音のするほうに行くと、髪の長い女性の背中が見え、祐太郎は忘れていた記憶を少しずつ思い出した。

(そうだ、俺は沙夜と一緒になったんだった)


祐太郎と沙夜はあの日、村の入口近くで気を失っていた。祐太郎は、そこからほとんどの記憶を失っていた。

あの後、2人の様子が気になって探しに来たたつじいによって発見され、無言寺に連れて行かれて数日間寝かされていたらしい。

後から住職に話を聞くと、どうやら沙夜は夜祭りの夜、何者かに取り憑かれていたようだった。


祭りの翌日から、どうも沙夜の様子がおかしいと父親が住職に相談していたが、大人しい以外は特に目立ったところもなかったので、しばらく様子を見ていた。

祐太郎たちが家を訪ねたあの日、たつじいも沙夜に何かの気配を感じていたそうだ。

2人が出て行ってしばらくして、無事に祐太郎が村を出られたかどうか心配になり、村を探し回ったそうだ。

そして、村の入口近くで倒れている祐太郎と沙夜を発見し、住職に知らせに行った。

祐太郎のほうは完全に気を失っていたようだが、沙夜のほうは住職が肩を揺すって起こすと、野太い声で何事か叫んだので、これはおかしいと思い、2人を寺に連れて行った。

沙夜にお経を聞かせると暴れ出したので、何か取り憑いていると判断した住職が、知り合いの霊能者を呼んでお祓いをしてもらい、事なきを得た。

住職が霊能者から聞いた話によると、沙夜に憑いていたものは、どうやらあの口無神社の神様ではないか?ということだったらしいが、なぜそこの神社の神様が沙夜に取り憑いたのか?というのは未だに謎だった。

しかし住職が言うには、きっと寂れて放置された神社にずっと取り残されていたのが寂しくて、たまたま神社を訪れた祐太郎に目を付け、彼がいる夜祭りの明るく楽しい雰囲気に引き寄せられて、神社から出て来たのではないか?とのことだった。そして境内を一人で歩いていた、祐太郎に近い存在の沙夜に取り憑いてしまったのかもしれない、と。

たつじいのくれた土産の袋にキーホルダーが入っていた理由も、それを聞くとなんとなく理解できた。


その後、祐太郎も目を覚ましたが、自分が「花坂祐太郎」だという記憶を失っていた。

祐太郎は、村の掟を破ってしまったので村から出られなくなり、お札とお守りを落としたことで呪いが降りかかって喋れなくなってしまったので、しばらく寺で住職の手伝いをしながら生活していた。

1年経っても記憶は戻らなかったが、なぜか沙夜の事はおぼろげに覚えており、寺と家を行き来するうちに恋仲になり、結婚した。

祐太郎が元いた職場では、祐太郎が最初から存在していないことになっていた。

たつじいが孫の朝木優一に手紙を書き、祐太郎が村にいることを職場の人たちに知らせてやってくれと伝えた。

しかし、優一から返ってきた手紙には「うちの職場には、そんな社員はいないと言われた」と書いてあったのだ。

祐太郎が暮らしていたアパートでも「花坂祐太郎」という人物は存在せず、部屋には誰の物か分からない不審な荷物が置かれているということで、警察の捜査が行われたあと、管理人が全て処分したとのことだった。

祐太郎は、窓から外を覗いてみる。

目の前には、緑豊かな山々や田畑が広がり、どう見ても祐太郎が知っている街中の様子ではなかった。

そう。祐太郎は沙夜と結婚した後、口無村で古民家を買い取って暮らしはじめたのだ。時々寺の手伝いをするほか、村の管理や村人たちの御用聞きをして生計を立てている。


祐太郎が立っているのに気づいた沙夜が、振り返る。

沙夜のお腹が、大きく膨れている。もうすぐ新しい家族が誕生するのだ。

そういえば、村で生まれた子どもは最初から喋れないと、沙夜の父親が言っていたような。まぁ、どんな子であろうと、元気に生まれてくれれば問題はない。

沙夜が笑顔で、祐太郎に椅子を勧める。

(座って)ということだろう。

台所には、コーヒーのいい匂いが漂っていた。祐太郎は、それだけで十分幸せだった。

机に置いたスマートフォンから、メッセージを知らせる音が鳴った。たつじいからだ。

たつじいは、九十を過ぎた今でも元気に畑仕事をしており、孫の優一から連絡用にスマートフォンを買ってもらって以後、年齢に似合わず器用にそれを使いこなしている。

メッセージによると、野菜の収穫を手伝ってくれとのことだった。

(ハイハイ)

と、祐太郎は苦笑いをする。

目の前に、トースト、目玉焼き、ベーコン、サラダ、フルーツなどの朝食が運ばれてきた。

手を合わせて、心の中で静かにつぶやく。

(いただきます)

今日も、いい日になりそうだ。