(19)


春休みに入って少しした頃、典文さんが亡くなったと知らせが来た。

叶が冬休みに訪れた頃から、あまり体調が良くなかったそうだ。検査をしたところ内臓に末期の癌が見つかり、余命幾ばくもなくあっという間に逝った。


まだ少し肌寒い中、叶と颯太は葬儀に参列した。葬儀には、韮沢も顔を出してくれていた。

葬儀終了後は家に身内だけが残り、花江が仏壇を見ながら経緯を教えてくれた。

「お父ちゃんね、自分でも病気に気づかなかったんだって。なんか調子悪いな。風邪でも引いたかなくらいに思っていたって。そうしたら、急に癌だって言われて。人生って、本当にどこでどうなるか?わからないもんだね」

叶は、夏に初めて会った時の元気な典文のことを思い出していた。あの時は、まだこんなことになるなんて想像もしていなかったのに。

そういえば、冬休みに泊まりに来て、帰る日に少しだけ典文さんに元気がなかったような気がする。もしかしたら、あの時すでに病が進行していたのかもしれない。癌という病気は、なんと恐ろしいものか。

そんなことを考えていると、颯太が静かに話し出した。

「俺、おっちゃんの人柄が好きだった。いつも優しくて、でも怒るとちょっとだけ恐くて。今思えば、どんなときも俺たちに、しっかり愛情を注いでくれていたんだよな。もっといっぱい会いに来ていればよかった」

「そうだな。寂しくなったけど、これからは度々お墓に手を合わせに来て。颯太たちが来てくれたら、父ちゃんも喜ぶから」

と、和美が優しく颯太の肩を撫でた。そして、

「桜、見に行こうか。まだこの辺りは満開だから」

と、2人をお花見に誘ってくれた。



和美の車で少し走ると、川沿いにピンク色の桜並木が見えてきた。近くの駐車場に車を停め、3人で土手を歩く。

「綺麗だね」

(うん)

満開の桜に女性2人が目を奪われていると、颯太は出店に目を引かれていたのか、急に

「俺、腹減った」

と言い、団子を売っているその店に近づいていった。

「花より団子かよ!(笑)」

と和美にツッコまれ、叶も一緒に笑った。

確かに、出店からは団子を焼くいい匂いが漂っていたので、和美のおごりで団子とお茶を買い、3人でベンチに座ってプチお花見をする。

「うまい!やっぱ花見には団子だよな」

と、颯太は桜並木そっちのけで団子にがっついている。

颯太の元気になった姿に、和美も叶も心が和んだ。


叶がうぐいす餡の団子を味わっていると、和美が

「そういえば叶ちゃん、あれどうするか決めた?」

と聞いてきた。あれというのは、卒業してこっちに移住したら、アパートを借りるか?和美の家に住むか?ということだ。

(まだ考えている)

と叶が返事をすると、

「父ちゃんもいなくなって、母ちゃんと私2人だけだと寂しいから、やっぱりうちにおいでよ。いずれは私も嫁に行くかもしれないから、部屋だけはいっぱいあるし。叶ちゃんさえよければ、そうしてくれると助かる」

と提案してくれた。

(和美さん、結婚するの?)

「うん。父ちゃんが亡くなったばっかりだから、もう少し落ち着いてからだけどね。韮沢さんからは、私が無事に資格を取れたら、籍を入れようって言われた」

叶は(おめでとう!)の意味を込めて和美に拍手をし、和美も笑って

「ありがとう」

と言った。

「まぁ、結婚して一旦は家を出ても、子どもが出来ればしょっちゅう行き来するつもりではいるけどね。

叶ちゃんだって、いずれは颯太と一緒になるし、そうしたら母ちゃん1人で置いておけないから」

和美は、ちゃんと将来のことまで考えていて偉いなと思った。


叶たちは明日帰る予定にしていた。

和美は

「そんな急いで帰ることないのに」

と言ったが、憔悴している花江たちのそばにいても、自分たちが何かしてあげられることが思いつかなかったこともあり、和美と2人でゆっくり休ませてあげたいと思っていたのだ。

叶は

(帰る前に、もう一度café akahaiに連れて行ってほしい)

と和美に頼んだ。

就活も含めて、店の人にいろいろ話を聞いてみたいという理由からだった。和美は快く承諾してくれ、

「えぇよ。そしたら明日帰る前に行こうか。母ちゃんも連れて行ってあげたいから、一応聞いてみる」

と言った。


帰宅後、和美が花江をカフェに誘うと、花江は最初こそ渋っていたが、和美が

「外に出て気分転換でもしてさ、母ちゃんが元気でいてくれることが、父ちゃんも嬉しいんだから」

と言うと、「わかった」と静かに微笑んで了承した。

その日の夜は、典文さんの好きだったおかずを並べて、少しだけお寿司も取ってささやかな夕食となった。

お寿司はもちろんだが、いつもながら花江さんの作る料理は、どれも美味しかった。

和美が、いずれ叶がうちに来ることになるかもしれないという話をすると、花江は

「そうか、そうか。叶ちゃんがうちに来てくれるなら大歓迎よ。女だらけで賑やかになるわ。私のこと、花江さんって気軽に呼んで♪」

と、にこやかな顔でとても喜んでくれた。叶も、もう一人母親が出来たみたいで嬉しかった。


それからしばらくは、アルバムを見ながら典文さんの想い出話をして、楽しい時間を過ごした。

女性陣3人で布団を並べて寝ようと花江が言うと、颯太が

「俺だけ仲間はずれ?」

とむくれたので、仕方なく茶の間に4つ布団を並べて、みんなで寝ることにした。

一番先に颯太が寝息をたてはじめ、次に花江が眠りについた。和美と叶は、もうしばらく会話が弾み、

「なんかさ、颯太がいると3人きょうだいみたいだね。颯太が末っ子のガキ大将」

(うん、うん(笑))

「今日、颯太と叶ちゃんが来てくれてよかった。きっと私ら2人だけじゃ、何も手につかなかったわ。人の繋がりって温かいね。叶ちゃん、卒業したら絶対に来てね。母ちゃんと2人で、首を長くして待っているから」

(うん!)

叶は力強くうなずいて、和美の手をぎゅっと握った。大丈夫。和美さんには颯太と私がついているから。

和美が静かに「おやすみ」と言って、2人も深い眠りについた。



翌日、午前中は葬儀屋さんが来たので支払いをしたり、今後の日程などを話し合った後、それぞれにのんびりと過ごした。

お昼近くになり、4人で車に乗って『café akahai』へ向かった。店に着くと、花江は

「なんだか、洒落た店だね。オバサンがこんなところに入っていいのかね?」

と言っていたが、一歩中に入ると、その雰囲気の良さに

「まぁ、えぇとこ。気に入った」

と嬉しそうだった。

席に案内され、メニューを開きながら、颯太も何か感じることがあったのか

「なんか俺、この店の感じどっかで見たことある。確か、前に叶と一度だけ行ったことあるような」

と、高校時代に訪れた『カフェlino』の雰囲気を覚えていたようだ。

(颯太も、そう思う?私も最初来た時、同じことを思った)

と叶が伝えると、

「うん。絶対そうだよな。もしかして俺ら、こういう店に導かれる運命なのかな?」

(そうかもね。ねぇ、もしいつかお店作る時が来たら、こういう雰囲気の温かいお店にしようね♪)

「あぁ、そうだな。店の名前も内装もBGMもメニューも、いろんなこと2人でいっぱい相談して最高の店にしよう!」

颯太と叶は、2人で未来について語り、にっこり笑いあった。


それぞれにメニューを決め、和美は「フルーツサンドセットとコーヒー」、颯太は「採れたて野菜のピクルスサンドといちごのプリン、レモンスカッシュ」を注文。叶は、今日は「野菜のロールサンド」という、炒めた野菜をパンに載せて丸めたものと「いちごのパンナコッタ」とミルクティーにした。

花江は、メニューを見てもよく分からなかったようで、シンプルな「ミックスサンド」と紅茶を注文した。


食事が終わると、叶は目的だったアルバイトのことを聞くため、レジに行って店員に筆談で質問をした。

採用担当のスタッフが話を聞くので、席に座って待つように言われ、叶は和美たちとは少し離れたカウンター席で待った。

少しして、採用担当だという男性のスタッフが叶の横に座り、「時岡と言います」と挨拶をした。

叶が、自分は失声症という障害があること、この春から大学3年で、就活の時期に入ること、将来はカフェを開きたいと思っていて、その勉強も兼ねてここでアルバイトをしたいこと、今住んでいるところからは遠いが、いずれ卒業したらこっちに移住を考えていることなどを筆談で伝えた。

すると時岡は、

「うちでは特に障害のある方の採用をお断りしているということはございません。いきなりアルバイトに入るのが不安でしたら、一定期間の就労体験も可能です。もしよろしければ一度、数日間体験されてみますか?そこで少しでも前向きに働いてみたいというお気持ちになられるようであれば、そのままアルバイト採用の手続きに入らせていただきますので、念のために履歴書をお持ちください」

と、笑顔で快く受け入れてくれた。

叶は深々と頭を下げ、後日体験させてもらう日をメールで調整させてもらう約束を取りつけた。


和美たちのいる席に戻り、店員と話したことを伝えた。颯太は

「叶、よかったな。これで就職に一歩近づいたじゃん!」

と、あのニカッを見せてくれた。和美は少し早めに

「おめでとう」

と言ってくれ、花江も

「叶ちゃん、よかったな。そしたら今日はお祝いせんといかんな。もう一泊して帰り」

と言い、和美も連泊を勧めた。叶は颯太と顔を見合わせ、2人で和美たちの言葉に甘えることにした。



帰りに展望台に寄り、和美と叶と颯太は早春の空気を全身で味わった。花江は車の中でうたた寝をしていたので、起こさなかった。

「叶ちゃん、確実に夢を引き寄せていてすごいね。きっと本当に、生まれた時から神様に愛されていたんだよ」

(そうなのかな?)

「俺もそう思う。叶は強い。今までずっと、誰よりも辛い思いをたくさんしてきたのに、こうしていろんな人との縁が繋がって、困難も全部前向きに変えて、人一倍頑張っている。俺、マジで尊敬する。叶、俺たちと出会ってくれてありがとうな」

と、颯太が頭をクシャクシャしてくれた。

(なんか、こういうのいいな)

「母ちゃん疲れているみたいだから、今日の夕飯は私が作るよ。何か食べたいものあったらリクエストして」

と和美が言うと、颯太が

「じゃあ、俺も手伝うよ。今日は叶の就職前祝いだ。もうみんな成人しているし、酒買って帰ってパァ~っとやろう」

と言った。

スーパーに寄り、食材を買い出しする。お酒のコーナーで颯太と和美は缶ビールをカゴに入れたが、お酒があんまり飲めない叶は、ノンアルチューハイを買ってもらうことにした。



和美と颯太が夕食の準備をしていると、花江が声をかけたのか、近所の人が各自食べ物や飲み物を持参して集まってきた。そこには、トキ子さんの子どもや孫たちもいた。

「颯太君の彼女がこっちで就職するんだって?お祝い持って来てやったぞ」

「まぁ~、新しいご近所さんが増えて賑やかになるわね」

話し好きな花江が、早々と叶のことをみんなに言って聞かせたのだろう。まだ就職も移住もしていないのに、噂を聞きつけたおじさんやおばさんたちが、叶を囲んで好き勝手に盛り上がった。

叶は恐縮しながらも、それぞれにペコペコと頭を下げたり、手渡されるお祝いを受け取って苦笑いしていた。



その日の夕食は、和美と颯太が作った数々の手料理に加え、近所の人たちが持ち寄った色とりどりの惣菜が並べられ、飲めや食えやの大盛り上がりとなった。


一通りアルコールがまわり、近所の人たちが典文の仏前に手を合わせた後、少しずつ引き上げていった。

最後に和文さんが

「寂しくなったな。でも叶ちゃんもいずれこっちに来てくれるみたいだし、俺たちも来週には引っ越してくるから。また何かあったら、いつでも行き来しましょう」

と言って帰って行った。

花江が

「疲れたから先に寝る」

と言い、自分の寝室に入っていった。残された和美たちは、もう少しだけ飲みながら語った。

「あ~、来月からは私も颯太も社会人か。お互い頑張らなきゃね」

「そうだな。いっぱい金貯めてさ、おばちゃんが元気なうちにみんなでどっか旅行でも行こうよ」

「そうだね。父ちゃんの分も、これから母ちゃんにしっかり親孝行しなきゃね。その前に、私は資格取得が待っているけど」

「和美姉ちゃんなら、一発で合格するよ。俺と違って頭いいもん」

「当たり前だ。よし、見てろよ!絶対に一発で資格取ってやっから!」

(がんばれ!)

と、叶は和美に向かって両手でガッツポーズをした。



数日後。

叶は、久しぶりに実家に帰省していた。両親にこれまでのことと、これから先の生活のこと、卒業するまでは『café akahai』で学校が休みの期間は就労体験をさせてもらうことになったので、ちょくちょくアパートと和美の実家を行き来すること、ケーキ屋でのアルバイトを辞めることを伝えた。すると母は

「そっか。叶がバイト辞めると寂しいけど、自分で新しい道を見つけたんなら、応援する」

と言い、父も

「まぁ、無理せず頑張れよ。何かあったら、いつでも帰ってきていいからな」

と応援してくれた。


ケーキ屋での最後のバイトの日、店長がバイト代を奮発してくれて、おまけに大きなホールケーキをプレゼントしてくれた。そこには、チョコペンで「叶ちゃん、今までありがとう。お疲れさま。新しい道でも頑張ってね」と書かれたプレートと、花束を模した飾りが載っていた。

当然、ケーキは一人では食べきれないので、久しぶりに清花・麻里香・美樹に連絡し、叶の部屋で女子会をすることになった。


久しぶりに会った清花は、同じ職場で彼氏が出来たと報告した。麻里香は、恋愛で紆余曲折あったらしく、

「しばらく男は要らない」

と嘆いていた。美樹は、春から市内の図書館への就職が決まり、今は研修もかねて、平日は図書館通いをしていると言った。

突然、孝太と久美子の話になり、清花が

「そういえばこの前、写真付きでハガキ来ていたよ」

と言った。


あの後、2人の間には無事に長女が生まれ、昨年は第2子の男児も生まれたそうだ。

「1姫2太郎、理想的だよね」

「私らも頑張らないとね」

と、ケーキを食べながら20代女子の切実なトークが夜遅くまで繰り広げられた。


3人は泊まっていくことになり、じゃんけんで美樹がベッドを確保したので、清花、麻里香、叶は床に適当に毛布を敷き、雑魚寝になった。麻里香が

「なんか、合宿みたいでいいね」

と言い、清花も

「うん。もっと早くこういうのやりたかったな。また時間があったらさ、みんなの家をまわってお泊まり会しよう」

と提案し、麻里香も叶も承諾した。美樹は一人、早々に眠りについていた。

叶は、明日の朝ごはんをどうしようか?と心配しながら目を閉じたが、翌朝、麻里香が

「みんなでマックに行こう」

と提案し、朝食があっさり決まった。

時を経ても、こうして気軽に集まれる友だちがいてくれることに、叶はとてもありがたい気持ちでいた。

帰宅して飲み物を出そうと冷蔵庫を開けると、昨日のケーキがまだ4分の1ほど残っていた。夜のデザートにでも食べようかと考えながら、叶は洗濯機をまわした。

今日は天気がいい。洗濯物を干し終えたら、買い物にでも行こう。

こちらでは、すでに葉桜が目立ち始めていた。