(18)


1年後の秋。

4年生の珠紀、美緒、和美が無事に内定をもらったと、部屋に遊びに行った時に珠紀が教えてくれた。

珠紀は地元の小学校でスクールカウンセラー、美緒は一般企業で産業カウンセラーとして働くことになったそうだ。和美は希望通り、韮沢さんが働いている福祉施設での相談員に内定した。そこで働きながら、将来を見据えて社会福祉士の資格取得を目指すらしい。卒業までまだ少しあるが、春のシーズンで混む前に引っ越しを済ませておきたいと、冬には一旦アパートを引き払い、しばらくは地元から新幹線と電車で学校に通うそうだ。よかったら、その時は叶にも引っ越しを手伝って欲しいと言われたので、叶は快く承諾した。

そして、専門学校2年生の颯太も、県内にあるホテルのレストランに就職が決まったとLINEが来た。

叶は(おめでとう!)の言葉とともに、ウサギがクラッカーを鳴らすスタンプを送った。

そして、近いうちに颯太の内定決定のお祝いをしようと約束した。


それから少しして、和美が叶を尋ねてきた。

なんだか浮かない顔をしている。

とりあえず部屋に上がってもらい、叶がコーヒーを出すと、和美がぽつりと

「トキ子さん、少し前に亡くなっていたんだって」

と言った。

(え!?)

叶も、急な知らせに驚きを隠せない。

和美は、続けて言う。

「老衰だったんだって。トキ子さん、何年か前に旦那さん亡くして子どもたちも独立して一人暮らしでさ。

毎日のようにうちに顔を出していたんだけど、ここしばらくは音沙汰がなかったから、母ちゃんが心配して見に行ったんだって。そうしたら、布団の中で冷たくなっているのを発見したって。一応警察にも来てもらったらしいんだけど、荒らされた様子もないし、亡くなっていたのが布団の中だったから、寝ている間にひっそりと逝ったんだろうって言われたらしい。

まるで眠っているように穏やかな顔だったみたい。

私らにも知らせようと思ったけど、就活で忙しい時期だったし、迷惑かけちゃいけないと思って、今になったんだって。葬儀は、トキ子さんの子どもたちと、うちや近所の人たちで静かにやったって。私も、向こうに帰ったら手を合わせに行こうと思ってる」

叶は、昨年初めて会ったトキ子さんのことを思った。最初から顔見知りだったように叶のことをすんなり受け入れてくれて、“福子の子か”って、笑って言ってくれた。とても穏やかで温かい人だった。その笑顔が、もう見られないなんて。でも老衰なら、仕方なかったのかもしれない。せめて、誰かが側にいて看取ってあげられていたらと思うと、それだけが残念でならない。

叶は、和美に伝えた。

(私も、和美さんと一緒に行って手を合わせたい)

「えぇよ。そしたら、引っ越しの時一緒に行こうか。叶ちゃんはその頃冬休みだろ?向こうで何日か、ゆっくりしたらいい」

(うん)

叶は、向こうに行ったらトキ子さんにたくさんの“ありがとう”を伝えてこようと思った。



数日後の日曜日。

叶は、颯太の実家にいた。タケ夫、菊子とともに、颯太の内定祝いをするためだ。

タケ夫と菊子が、颯太に

「颯太、おめでとう!無事に社会人になるんだな。頑張れよ!」

「そのうち、父ちゃんと一緒にあんたの作った料理食べに行くから」

と言い、颯太も笑って両親に感謝を伝えた。叶も一緒に乾杯をする。

テーブルには、菊子が作ったごちそうと叶がバイト先から買ってきたケーキが並べられていて華やかな雰囲気だが、トキ子さんの訃報のこともあり、みんなどこかしんみりした様子だ。

タケ夫が

「まぁ、トキ子さんのことは残念だったけど、いずれはみんな通る道だ。俺たちがこうして悲しんでいても仕方ない。きっとトキ子さんも颯太の内定を喜んで見てくれていると思ってさ、今日は悲しむのは無しにしようや。なぁ、母ちゃん」

と言うと、菊子も

「そうだな。また時期が落ち着いたら、私らも挨拶に行かせてもらおう。さ、颯太も叶ちゃんも食べて食べて」

とみんなを鼓舞し、少しだけ場の雰囲気が和んだ。



叶は実家に泊まる日だったので、いつものように3人でお茶会をする。トキ子さんの話になり、叶が

(冬休み、和美さんの引っ越しを手伝って、そのまま向こうで数日お世話になるつもり。トキ子さんの仏前にも手を合わせに行く)

と伝えると、

「私たちは何も出来ないけど、せめて叶がお世話になったお礼を伝えたいから、後で手紙を書くわね。お金を渡すから、それでお線香とお供え物を買って、一緒に持って行ってね」

と言づかった。


その夜、叶は久しぶりにノートを開き、今の自分の素直な思いを綴った。

人間はもちろん、動物も植物も、この世に生を受けたものは、いずれ必ず死を迎える。それは確実に避けられない。だけど、この与えられた命をどう生きるか?生きている間にどれだけ全うできたか?は、それぞれ違う。

たとえ途中で何かが起きて、自分が思っていたより早くその時を迎えてしまったとしても、それまでに過ごした時間が、自分の中で幸せだったか、そうじゃなかったかは、本人しか分からない。

トキ子さんは、どうだったんだろう?私は最期を迎えるとき、これまでの人生を振り返って、どう思うんだろう?どんなことを感じるんだろう?どうせ考えるなら、(この私で生まれて、この私で生きてきて幸せだったな)と思って死にたい。

リノさんが生きられなかったもう一つの人生、私がちゃんと生きるよ。



冬休み。

一応業者にも依頼をしてあったが、颯太と叶も和美の引っ越しを手伝った。叶は、その足で和美と一緒に和美の実家に行く。そして、トキ子さんの仏前に手を合わせるのだ。少し前に帰省した時、叶が晴海から言づかった手紙と、先日購入したお線香とお供え物を和美に渡すと、

「気を遣わせて悪かったな。でもありがとう」

と素直に喜んでくれた。和美が

「颯太も一緒に行くか?」

と聞いたが、颯太は

「俺も引っ越しの手続きや片付けとか、いろいろやることがあるから」

と断った。ただ、

「俺の分も、トキ子さんにありがとうって伝えておいてくれ」

と、和美に伝えた。


車に乗り、引っ越しのトラックを追いかける。途中ではぐれても向こうには花江と典文がいて、先に荷物だけが着いても2人が対応してくれるということだったので、和美たちはゆっくり休憩を挟みながら向かうことにした。


道の駅に寄り、トイレと休憩を挟む。和美の実家が近づくにつれ、だんだんと雪景色が濃くなってくる。

(車大丈夫?)

と叶が聞くと、和美は

「大丈夫。ちゃんと冬用にしているから。正月も毎年帰っていたから慣れているよ」

と、コーヒーを飲みながらVサインをした。



しばらくして和美の実家に着くと、すでにトラックが荷物を搬入し始めていた。

和美たちが玄関を入って行くと、対応していた花江が

「あ、お帰り。寒かったろ。はよ上がって。叶ちゃんも、よう来てくれたな」

と、夏に来た時と同じ笑顔で迎えてくれた。

今は冬なので、当然ながら茶の間には炬燵が設置してある。典文は、そこに入ってテレビを観ていた。和美たちを見ると、

「あぁ、おかえり。待っとったぞ」

と静かに言った。

しばらくして、引っ越しが完了し和美が代金を払うと、業者の人が引き上げていった。

適当に荷物を降ろして和美たちも炬燵に入ると、花江が

「疲れたでしょ。少し休んで」

と、温かいお茶とまんじゅうを出してくれた。和美が

「後で叶ちゃんと一緒に、トキ子さんのところ行ってくる」

と言うと、花江は

「そんな急がんでもええ。今日は来たばっかりだからゆっくりして、明日行っておいで。今、トキ子さんの子どもたちが片付けに来て、家の中バタバタしとるから。明日2人が行かせてもらうって後で連絡しといてやるよ」

と和美に言った。


和美は、お茶を飲み終えると少しずつ荷物を寝室に運んで整理をし始め、叶も花江の言葉に甘えて炬燵でゆっくり暖まらせてもらうことにした。

すると、典文がテレビの下の台から何かを取り、叶に渡してきた。どうやら、小さなお守りのようだ。

「これ、和美と叶ちゃんと颯太にって、トキ子さんが作ったんだ」

見ると、赤、青、黄と3色あり、それぞれ小さな貝殻に和柄のちりめん布を貼って、鈴を付けてある。

「二枚貝はな、貝殻がピッタリくっつくところから夫婦円満の縁起があるんだ。和美が良い人と巡り会えて、颯太と叶ちゃんもいつまでも仲良くいられるようにって、願いを込めて作ってくれたみたいだな」

それを聞いた叶の目から、涙があふれ出した。

(トキ子さん、まだほんの少ししか会っていないのに、私にまでこんなことを・・・)

「ま、大事にしてやってくれな」

と、典文が優しく言い、叶は泣きながら何度もうなずいた。

和美が茶の間に戻ってくると、泣いている叶を見て

「あ、父ちゃん泣かしたな!叶ちゃんに何言った?」

と少し怒ったような声で言ったので、典文が苦笑いで反論する。

「違う違う!トキ子さんの形見を渡しただけだ」

と、叶に伝えたことをもう一度和美にも伝える。

和美は納得して

「なんだ、そうか。トキ子さんが。じゃあ明日、お礼言わなきゃな」

と、悲しそうにつぶやいた。

「そうしてやってくれ。きっとトキ子さんも喜ぶ」

それから少し早めの夕食と入浴を済ませ、和美も叶も早々に布団に潜り込んだ。

田舎特有の分厚い布団は重かったが、しっかり包まれているようで温かかった。



翌日。

朝食を済ませ、暗めな服に着替えた和美と叶は、トキ子さんの家に向かった。

トキ子さんには5人の子どもがいるが、今日は長男の和文さんと長女の直美さんが来ていた。

2人は昨日、電話で花江から和美たちのことを聞いていたようで、和美と叶が挨拶をすると

「来てくれてありがとう。お母さんも喜んでいるよ」

と快く2人を家にあげて、仏間に案内してくれた。和美と叶は、並んで焼香させてもらう。

(トキ子さん、親切にしてくれてありがとう。お守り、大事にします)

トキ子さんがくれたお守りは、和美が赤、叶が黄色いほうを選び、それぞれの財布に付けた。


焼香が終わると、直美さんが2人にお茶を出してくれたので、ありがたく頂戴することにした。

「(花江)おばさんが見つけてくれたそうで。本当にありがとう。もっと早くに自分たちが帰ってきてやっていたらよかったんだろうけどな」

と和文さんがしんみりと言った。そして、

「遅くなったけど、ここを一通り片付けたら、俺たち一家が引っ越してこようと思っているんだ。他のきょうだいも、いつでも帰って来られるように管理しようと思っている。その時はまた挨拶に寄るから、よろしくな」

と、長男として家を継ぐ決意があると言った。



トキ子さんの家を出ると、叶は和美の服の袖を軽く引っ張り、山のほうを指した。和美も同じことを考えていたようで、叶の意思表示を理解してうなずいた。2人で展望台に向かう。

寒かったけど、よく晴れて気持ちのいい青空が広がっていた。

「人の運命って、どこでどうなるか?誰にもわからないよな」

と、和美がぽつりとこぼす。

「私らもいつかは死ぬんだろうけどさ、それまでは自分の生きたいように、好きに生きて楽しく笑っていられたら一番だな」

(うん)

「叶ちゃん、まだしばらくいる?」

(うん。週末くらいまでは)

「そしたら、明日は観光でもするか。駅の近くに、新しくカフェが出来たみたいなんだ。

もしよかったら一緒に行こうよ。あと、小さいけどショッピングモール行って買い物しよう。欲しいものがあったら買ってあげるから」

と、和美が元気を出させてくれるように、叶に向けて笑顔で言った。

叶は、思えばいつも和美の笑顔に励まされていたことに気づいた。

(和美さんの笑顔って、たくさんの人を元気にする力があるみたい。そばにいるだけで、心が柔らかく温かくなっていく感覚がある)

そこで叶は、思い切って和美に提案してみた。

(和美さん、私一人っ子だからずっと寂しかった。もしよかったら和美さんのこと、お姉さん・・・みたいに思ってもいい?)

すると和美は、輝くような満面の笑みで

「もちろん!そう言ってくれてすごく嬉しい!私も一人っ子だから、妹がいたらいいなって思っていたんだ。叶ちゃん、私ら事実上は他人かもしれないけど、叶ちゃんはもううちの親戚も同然だから。私も叶ちゃんのこと、妹のように思うことにする。これからよろしくね♪」

と、ぎゅっと抱きしめてくれた。すごく温かかった。

寒空の下で冷えていた身体が、ほぐれていくような気がした。



翌日。

和美と叶は、市内にある3階建てのショッピングモールに出かけた。いたって普通のどこにでもあるような複合施設だが、店舗の種類は充実しており、一日中いても十分に楽しめる設備環境になっていた。

2人は、一通り上から下まで歩いてまわり、お互いに似合う服やお揃いの雑貨を買うなど、本当の姉妹のような時を過ごした。


そろそろお腹も空いてきた頃。

ショッピングモールにも飲食店はあったが、和美が行きたいと言っていた駅近くの新しいカフェに行ってみることにした。

「私も初めてだから、ワクワクしているんだ♪」

と、和美は声を弾ませた。


目的のカフェが見えてきた。外観は、確かに出来たばかりで新しく、窓が多く使われているからか開放的で、小洒落た感じだった。

中に入ると、叶は既視感を覚えた。

店内は木製の家具や観葉植物が配置され、まるで森の中に迷い込んだような、優しく温かい雰囲気があった。BGMには、リラックス出来そうな静かなメロディーが流れている。

(え、lino!?)

そう。叶は、このカフェを昔見た『カフェlino』の内観にそっくりだと感じたのだ。和美は当然それを知らず、

「すごい!いい雰囲気のお店だね♪」

と素直に喜んでいた。

女性の店員が2人に気づき、席に案内する。客は他に数組いるくらいで、ゆったりしていた。

「お決まりになりましたら、ベルでお呼びください」

と言い、店員が下がっていった。


和美がメニューを見ながら、

「叶ちゃん、何にする?」

と聞いてきた。

叶もメニューを開いてみる。すると、やっぱり先ほどの既視感が現実味を帯びて感じられた。そこに載っていたメニューのほとんどは、『カフェlino』で提供されていたものとほぼ同じだったのだ。

要するに、肉や魚などをほとんど使わず、ほぼ全部のメニューが野菜や果物を中心に作られているものばかりだったのだ。和美は

「ここって、ヘルシーなメニューが多いね。身体には良さそうだけど」

と不思議そうに言い、店員を呼んで「採れたて野菜のピクルスサンド」と「フルーツプリン」、「コーヒー」を注文した。

叶は、パンケーキのメニューから「季節のフルーツいっぱいパンケーキ」と「レモンティー」を注文し、店員に筆談で尋ねてみた。

(ここのお店って、以前どこかでやられていたことがあるんですか?)

すると店員は不思議そうに首をかしげ、

「いいえ。ここは少し前に初めてオープンしたばかりです」

と言ってメニューを下げた。

叶はぺこりと頭を下げ、しばし呆然としていた。それに気づいた和美が叶に問う。

「叶ちゃん、どうした?何か気になることでもあった?」

叶は、どこから説明していいものか?と思ったが、自分でもいまだに信じられないことを和美が信じてくれるか?自信がなかったので、とりあえず手短に伝えることにした。

(私が高校生の頃に行っていたカフェがあって。このお店が、そこにそっくりなの。内観とかメニューとか。本当に、タイムスリップしたんじゃないかと思ったくらい)

「へ~、そうなんだ。でもカフェなんてどこも似たようなところいっぱいあるし、きっとオーナーの人が、どこかから仕入れてきた情報を自分のお店にも利用したんじゃない?」

うん。そうなのかもしれない。そうなのかもしれないけど、あまりにも『カフェlino』に酷似している点が多すぎて、叶は少しだけ怖さも感じていた。

(和美さん、パラレルワールドって信じる?)

「パラレルワールド?あの、自分が今いる世界と平行して存在している世界っていうやつ?う~ん・・・どうだろう?実際そんなの、体験したことがないからね。でも、もし本当にそんなのがあるんだとしたら、別の世界に生きている自分と会ってみたい感じはするかな?だって、どんな姿でどんな生活しているのか?ちょっと興味あるじゃない?」

和美は、なんてことないアトラクションについて語るように、面白そうな口調で言った。そして

「叶ちゃんは、体験したことあるの?」

と聞いてきた。

どう答えたらいいんだろう?未来の自分と出会って、その人がカフェをやっていて、いつか自分が選ぶ道まで教えてくれたなんて。悩んだ末、叶はこう言った。

(体験というか、たぶん夢だったんだと思う。すごくリアルな夢。そこに未来の自分が現れて、私はあなたの未来の姿。あなたが選ばなかった、もう一つの道にいる自分だって言ったの。あなたは、私のようにはなってはいけない。大切な人の手を絶対に離してはいけないって教えてくれた)


そこで、2人の注文したものが来た。

和美は、コーヒーをひと口飲み、

「それってさ、未来の叶ちゃんだよね。大切な人っていうのは、颯太のこと?」

(うん)

「ふ~ん。なんかよく分からないけど、たとえそれが夢だったとしても、叶ちゃんが見たんならそれは事実なんだと思うよ。パラレルワールドかどうか?は別としてね。きっとその夢で出会った人が、このお店に叶ちゃんを導いてくれたんだと思う。いつか叶ちゃんは、こういうお店を開くんだよって。応援されているんだよ。良かったね。さ、お腹空いたから食べよ♪」

そう言って和美は「いただきます」と手を合わせ、ピクルスサンドをかじった。

「ん、酸っぱいけど美味しい!」

叶も、パンケーキを口に運ぶ。それはまさに『カフェlino』で食べたパンケーキそのままにふわふわで柔らかく、すぐに溶けてなくなった。すごく美味しかった。

和美さんの言うことが本当なら、私のそばには、いつもリノさんがいてくれるのかもしれない。リノさんが私を見守っていて、進む道を間違えそうになったら(違う、こっちだよ)って導いてくれている。だからいつも、どんなことがあっても必ず最後は私が笑顔でいられるような状況が続いていたんだ。

改めて、未来の私=リノさんの存在の偉大さを感じた。

(ありがとう、リノさん。私、頑張るね。頑張って絶対、颯太と一緒に素敵なお店つくる!)

和美と叶は、それからしばらくの時間、美味しい食事と癒やされる雰囲気をたっぷり味わい尽くした。


店を出る時、叶が何気なく振り返ると、窓のところに「従業員・アルバイト随時募集」の貼り紙があった。

叶は、いつかここで働いてみたいという淡い希望を胸に抱いて、和美とともに帰路についた。



週末、叶がアパートに帰る日。今日もよく晴れて気持ちがいい。

叶を駅まで送ると言う和美と一緒に外に出ると、お決まりのように花江さんが見送りに出てくれて、

「これ持って行って」

と、袋に詰めた野菜やお菓子、ポチ袋に入ったお小遣いをくれた。

叶はペコリとお辞儀をして、和美の車に乗り込んだ。車が発進すると、花江さんがずっと手を振ってくれていた。典文さんは寒さが苦手なのか、家の中で簡単に「またおいで」と言ったきり、出てこなかった。


駅に着くと電車が来るまで少し時間があったので、待合室に座って和美とホットドリンクを飲む。

「叶ちゃん、春休みになったらまたおいで。今度は颯太も一緒にね。その時は、桜の名所を案内してあげる」

と、和美が言った。

叶はうなずき、(そうする)と意思表示をした。そして

(この前、和美さんと行ったカフェでアルバイト募集してた。私、卒業したらあのお店で働いて、将来自分のお店を作るための勉強をしたいなと思ってる。どうかな?)

と和美に尋ねてみた。和美は

「それって、こっちに移住するってこと?まぁいいんじゃない?叶ちゃんがそうしたいと思っているなら。でも、こっちは冬すごく寒いよ。大丈夫?」

と、叶の応援と同時に心配もしてくれた。

叶が(分からないけど、たぶん)とOKサインを出し、

(どこにいても冬は来るんだし、冬の寒さがあるから、春の暖かさや景色の美しさを感じられるんだって思う。なんとかなるよ。もしこっちに引っ越す時は、アパート借りるつもり)

と言うと、和美は

「そんなのもったいないよ。うちに住めば?父ちゃんも母ちゃんも、娘が増えたみたいに喜ぶよ、きっと」

と言ってくれた。叶が

(ありがとう。もう少しゆっくり考えてみる)

と返事をしたところで、電車が入ってきた。叶が乗り込んで

「また学校でね」

と和美と手を振りあい、ドアが閉まって電車が発車した。


車内は暖房が効いていて、温かかった。優しい温もりと電車のほどよい揺れで眠くなり、叶はうとうとし始めた。

夢の中に、先日行った駅近くのカフェが出てきた。この前は気にしていなかったけど、お店の名前は・・・

『café akahai(アカハイ)』となっていた。ハワイの言葉で「優しさ、思いやり」を意味するらしい。

その名前もいいなぁ。ハワイの言葉って、どれもマナがこもっていて素敵なものが多い。

“マナ”とは、ハワイの言葉で「人も自分も幸せにするスピリチュアルなエネルギー」のことをいう。

そう、私はそんなお店をつくりたい。お店の名前は、颯太と一緒にゆっくり考えよう。

叶は、夢を見ながらそんなことを思っていた。電車は、静かに揺れながらのんびり走り続けている。