(17)


夏休みに入って数日後。

今日から一週間ほど、和美の実家に遊びに行く予定だ。現地までは、和美が車を運転して連れて行ってくれるとのことで、叶のアパートの前で待ち合わせをした。颯太とは、途中のコンビニで合流することになっている。

予定時刻より少し早めに、和美の赤い車が停まった。

「おはよう、叶ちゃん。眠れた?」

と聞く和美に挨拶がてらうなずいて見せ、車に乗りこむ。出発すると、和美が

「うちの実家までは、これで3時間くらいだから。途中道の駅とか寄って、ゆっくり走っても十分昼には着くからゆっくり景色でも楽しんでいて」

と話してくれた。

コンビニで颯太を乗せる。颯太は朝からアイスクリームを舐めながら、のんびりと待っていたようだ。サングラスを掛けていたので、最初は一瞬誰か分からなかった。

3人で他愛ない話をしながら、ドライブを楽しむ。颯太が和美の実家に行くのは、中学の時以来らしい。

「父ちゃんたちが、おっちゃんたちによろしくってさ。あと、俺にあんま迷惑掛けんなよって。もうガキじゃねえっつーの」

「そっか。父ちゃんも母ちゃんも、久しぶりに颯太に会えるの楽しみにしてたよ。あと、叶ちゃんのことも少し話したら、喜んでた。颯太も一人前の男になったのかってね」

叶は、2人の会話を楽しみながら、これから始まる一週間に希望を膨らませた。



トイレと休憩のため、途中で道の駅に寄る。

和美が、飲み物と出店で売っていた名物のまんじゅうを叶たちにおごってくれた。

それを食べながら車窓を眺めていると、だんだん田舎の風景が濃くなり、一面鮮やかな山々や田畑の緑で覆われるようになってきた。

(わ~、綺麗!)

「ここらへんは、都会と違って何もないんだけどさ。そこがまたいいんだ。喧噪から離れての~んびり身体も頭も心も休めることができるから。疲れた時には、たまにこういう景色が見たくなる」

と、和美が言った。

その言葉には、叶も納得できた。きっと、こういうところに住んでいたら一時は都会に憧れを抱くかもしれないが、余計なことを考えない分、全てがクリアになるのかもしれない。


少しして、目的地である和美の実家に着いた。そこには、いかにも日本昔話に出てきそうな平屋の家屋が建っており、時代を遡ったような感覚を思わせた。

先に和美が車から降り、続いて颯太と叶も車から降りて、3人で玄関に向かう。和美が家の中に向かって呼びかける。

「ただいま~。父ちゃん、母ちゃん帰ったよ」

すると、中から和美の母親らしき人が出てきた。見た目は、ふくよかで笑顔が素敵な、田舎ならどこにでもいそうな優しい雰囲気のお母ちゃんといった感じだった。

3人を出迎えると、

「まぁまぁ、よく来たね。疲れたでしょ。さ、上がって上がって」

と朗らかに挨拶をしてくれた。

颯太が、両親から預かったという土産物を出し、おばさんに渡す。そして、叶のことを

「俺の彼女の杉原叶さん」

と短く紹介してくれた。

叶はメモ帳に(杉原叶です。よろしくお願いします。)と書いて見せ、母親から「みなさんに渡すように」と言づかってきたクッキーの詰め合わせ缶を和美の母親に差し出し、ペコリと頭を下げて挨拶した。

おばさんは楽しそうに笑って、

「颯太、本当に久しぶりだね。大きくなって。父ちゃんも楽しみにしてたんだよ。叶ちゃん、初めまして。和美から障害のことも聞いてるよ。何~んも気にせんと、田舎のばあちゃん家に来たと思って遠慮せず気楽に過ごしてね」

と、先に立ってみんなを案内してくれた。

茶の間では、和美の父親がテレビを観ていたが、和美たちが来るとテレビを消して、

「お帰り。疲れたろ。まぁ座ってゆっくりしなぁ」

と、ぎこちない笑顔で迎えてくれた。

颯太と叶にも挨拶をし、先ほどと同じく颯太が叶を紹介すると、和美の父親は少しだけ口元を緩めて

「そうか、福子か。颯太、えぇ人に巡り会ったな」

と言った。

“福子”。やっぱりこの辺りの地方では、昔からの言い伝えなどがあるのかもしれない。



お昼ご飯の時間になり、おばさんが3人のために

「若いんだから、しっかり食べて」

と言い、トウモロコシや煮物、おにぎり、地元で取れた野菜の漬物、スイカなどたくさんのごちそうを出してくれた。

颯太は、いかにも10代の男子らしく、出されたものを片っ端からがっついてみんなに笑われていたが、叶は会ったばかりのおじさんやおばさんたちに少し遠慮をしながら、ゆっくり味わっていただいた。

どれもその辺にあるような普通の食事やデザートだったが、本当に田舎のおばあちゃんの家に遊びに来ているような、温かくて優しい味がして美味しかった。



食後、みんなで少しだけ昼寝をしてから、和美さんが家の近くを案内してくれた。

田舎ならどこにでもあるような川や田畑の風景が広がっていたが、川のせせらぎは都会の音に慣れすぎた叶の耳に心地よく、水の冷たさも、夏の暑さで火照った身体にはひんやりと気持ちよかった。

「そういえば俺、子どもの頃父ちゃんたちに連れられて、よく遊びに来ていたなぁ」

「懐かしいだろ。また気が向いたら、いつでも来たらいい。私も卒業したらこっちにいるし、父ちゃんたちもたまには颯太たちに会いたがってたから」

2人の会話を聞きながら、叶は

(こんな静かな場所で、颯太と2人でお店が出来たらいいな)

と、まだずっと先の淡い夢を思い描いていた。



少し歩くと神社があったので、寄って行くことにした。夏祭りは、この神社をメイン会場にして開催されると和美が教えてくれた。

賽銭を入れて拝んでいると、目の端を何か白いものが通っていくのが見えた。

(え、白猫?)

一瞬で分からなかったが、叶には『カフェlino』の庭をうろついていたあの白猫のように見えた。

(まぁ、白猫なんて全国どこにでもいるからね)

と、たいして気には留めなかった。

その後、3人で社務所に行き、和美と颯太は「仕事守」を。叶は、名前の通り「叶」と書かれた、万能開運の赤いお守りをそれぞれに買い、家に戻った。



夕食は、おばさんが近所のトキ子さんという人からお裾分けをいただいた肉や野菜で、すき焼きにしてくれた。すき焼きはもちろん美味しかったが、それ以上に炊きたてのご飯もツヤツヤでお米の味が甘く、お腹が空いていた3人は、競うように食べた。


そして食後は、颯太と叶が持ってきたお菓子を食べながら、お茶を飲んだ。いつもはテレビを観ながらダラダラと過ごすが、ここではテレビが必要ないくらいに自然の音がたくさん聞こえて、それだけで十分に楽しかった。

颯太と叶が自分たちの夢を語ると、おばさんたちはとても喜んでくれた。

「そうか。それはいいな。自分の夢があるっていうのは、ちゃんと前を向いて頑張っている証拠だ。しっかり自分のやりたいことを楽しんだらいい」

和美は、明日からしばらく就活で、あちこちの高齢者施設や福祉関係の事務所へ話を聞きに行くので、颯太たちは自由に過ごしていていいと言われた。


ドライブの疲れもあって、颯太たちは早めに就寝することにした。叶は、和美と同じ部屋で隣同士に布団を敷いてもらった。和美は

「叶ちゃん、疲れたろ。私も久しぶりに運転したら、疲れたわ。ここらへんは人目を気にすることもないし、颯太といろいろ好きなように出かけて遊んでおいで。おやすみ」

と言って、すぐに寝息を立てた。

叶は、田舎のおじいちゃんおばあちゃんの家には小さい時に行ったきりだったけど、もう一つ田舎が出来たようで嬉しかった。

和美が寝入ってから数分後には、叶も眠りについた。



翌朝スッキリして目覚めると、味噌汁のいい匂いが漂っていた。トイレに行って用を済ませ、茶の間に顔を出すと、颯太たちがすでに座っていた。台所から、おばさんが

「おはよう。よく眠れたかい?」

と聞いてきたので、深くうなずいて颯太の隣に座る。

「そりゃよかった。何も珍しいもんはないけど、米だけはしっかりあるからいっぱい食べてね」

と、叶の前に朝食を用意してくれた。

ご飯に味噌汁、漬物、焼き魚、卵焼き、インゲンのごま和え、デザートにカットした桃。

いつもは、適当にパンやコーヒーなどの軽い食事で済ませているが、こういうところに来ると、ちゃんとした日本の和食が食べられるのが嬉しい。

(いただきます)

と手を合わせ、味噌汁を一口飲むと身体が目覚める。ご飯も焼き魚も他のおかずも、全てに命が宿っているのが分かるように一つひとつ素材そのものの味を感じられ、どれも本当に美味しかった。


完食すると、食器を流しに運ぶ。そこまでは自分たちでやるが、あとはおばさんが丁寧に洗ってくれる。

畳に座ってお茶を飲んでいると、おじさんが叶たちに予定を聞いてきた。

午前中は涼しいうちに、颯太も叶も自分たちの学校の勉強をする予定で、あとは特に決めていないと伝えると、

「そしたら畑の草取りするから、勉強が終わったらちぃと手伝ってくれるか。働かざる者、食うべからずだ」

と言って、2人に向けてニカッと笑ってグーサインを出した。



1時間ほどの勉強を終えて、おじさんおばさんと一緒に畑に行く。規模はそこまで大きくないが、なすやトマト、キュウリ、朝食べたインゲン、トウモロコシなど色とりどりの夏野菜が育てられていて、目に鮮やかだった。

みんなで、目につく限りの雑草を抜いていき、いい汗をかいた。

お茶を飲んで休憩をしていると、おばさんに

「叶ちゃん、後でちょっと野菜の収穫手伝ってね」

と言われたので、そんな体験も初めての叶は快くうなずいた。

おばさんが指示をするように、ハサミで野菜の茎を切ったり、トウモロコシを両手でもぎ取るように収穫したり、普段の生活では味わえないような楽しい経験をさせてもらえて、叶の気持ちは晴れやかだった。

おばさんは

「都会じゃ、なかなかこんなこと出来ないもんな。ここにいるうちに、しっかり楽しんでいってな」

と、優しい笑顔で言った。



お昼になり、颯太が

「腕試しがてら、俺が昼ご飯作ってやるよ」

と言ったので、颯太が親子丼を作ることになり、叶もおばさんと一緒に、さっき畑から収穫してきたキュウリとトマトを切って、皿に盛り付けるのを手伝った。


できあがった料理を運び、みんなで手を合わせて食べる。

颯太の作った親子丼は、どこにでもある一般的な家庭の味ではあったが、優しい出汁が素材の味を引き出していて、それなりに美味しかった。

畑で取れた野菜も、熱中症対策に塩を振って食べたが、何も味を付けなくてもそれだけで十分に美味しかった。

食後は昨日同様にみんなで少しだけ昼寝をする。

10分~15分ほどの短い昼寝は、目覚めた後に爽快感や集中力が向上することが期待されていて、午後からの活動に体力を回復させる、最適な休み方なんだそうだ。長く寝てしまうと逆に夜が寝にくくなるので、あまり良くないらしい。


和美が帰ってきて、叶とおばさんと3人で洗濯物をたたむ。和美が将来の仕事について、自分の思いを話した。

「私、卒業したら高齢者施設で相談員として働きながら、社会福祉士目指そうと思うんだ。そしたら、もっとたくさんのじいちゃんばあちゃんの役に立てるんじゃないかと思って」

(すごい、和美さん!大学だけでも大変なのに、就職した後も勉強するの?しかも国家資格だよ!?)

と、叶が言葉を失っていると、おばさんが

「そんなにしてまで頑張らんでもいいのに。まぁでも、和美がそう考えているなら、やるだけのことやってみ。もし途中でいけんかっても、また他のやりたいこと見つかるで」

と、和美を励ますように言った。

それに対して和美は、

「途中で挫折するかどうかなんて、まだやってみんとわからん。それでも、私はやれるところまで頑張るけん。母ちゃん、見とって」

と言い、堂々と胸を張ってはじけるような笑顔を見せた。

(強いなぁ~、和美さん。自分のやりたいこと、進みたい道がちゃんとしっかり見えている。私も頑張らなきゃ)

いつの間にか川釣りに行っていた颯太とおじさんが帰ってきた。

クーラーボックスの中には、数えるほどの小さな魚しかなかったが、それでも2人は

「これでも、十分な食料にはなる!」

と、おばさんに料理をしてくれるように頼んだ。おばさんは

「これなら、唐揚げくらいにしかならんけどね」

と笑った。


その日の夕食は、男たちが釣ってきた小魚の唐揚げと、夏野菜のカレー、フルーツポンチだった。

最初は緊張していた叶も、少しずつ和美の家族に慣れてきて、自然とコミュニケーションが出来るようになっていた。


食後は縁側に座って、みんなで手持ち花火を楽しんだ。おじさんもおばさんも、叶を親戚の娘のように可愛がってくれて、まるで最初から家族だったように、温かい雰囲気に包まれていた。

(なんか、こういうのいいな。ずっとこうしていたい)

叶は、この時間が永遠に続いてくれたらいいのにと願った。



翌日、和美は高齢者施設に就労体験に行くというので、早めに家を出ていた。就労体験は、今日と明日の2日間、朝から昼過ぎまで施設利用者のお世話を体験させてもらうということらしかった。

その中で、和美は利用者の悩みや困りごとの相談を受け、どうアドバイスしていったらいいのか?など、心理学の方面からも学ぶ予定だと言っていた。

颯太と叶は午前中に自習をし、それが済むと畑の草取りや管理を手伝い、昼食を食べたら昼寝、午後からは自由というルーティーンで予定を組んでいた。

4人が畑で作業をしていると、一人のおばあさんがビニール袋を提げて近づいて来た。

「これ、うちで採れたから持って来た」

と言って、その人はたくさんの野菜とイチジクが入った袋をおばさんに渡した。

どうやら、叶たちがここに来た日に食べたすき焼きの材料を分けてくれた、トキ子さんという人らしい。

おばさんが、トキ子さんに颯太と叶を紹介する。

「トキ子さん、この子らは親戚の颯太と、その彼女の叶ちゃん。和美が夏休みで、一緒に連れてきたんだ。颯太は覚えてるでしょ?」

「あれ、颯太君?まぁ~ずいぶん昔に会ったきりだから、こんな大きくなって。男前になったな。彼女もかわいいなぁ」

颯太が叶の障害のことを伝えると、予想通りトキ子さんは

「そっか、そっか。福子の子か。まぁえぇなぁ。颯太君に幸せ運んで来てくれたんやな」

と言った。

叶は気になって、メモ帳でおばさんに尋ねてみた。

(“福子”って、この地方ではよく言われるんですか?和美さんも、最初に会った時にその話をしてくれました)

すると、おばさんは

「そうだね。私も嫁に来てここのじいちゃんから聞いたくらいだから、詳しくはないけど。昔は、何かしらの障害や病気をもって生まれた子は、神様の子として大切にされたって。まぁ、一部にはそういう子を理解せず、疎んだり嫌ったりする人もいたみたいだけどね。だけど、ちょっと人と違うところがあるくらいで、健康な人とそんな大して変わらないじゃない?それだって個性だよ。私らだって、歳取りゃ耳も目も悪くなるし。そんなのいちいち気にしていたら、生きていけねぇよ」

と叶の障害を個性だと言って、優しく微笑んだ。


せっかくだからと、トキ子さんも一緒にお昼ご飯を食べることになった。さっそく、トキ子さんが持って来てくれた野菜を使って炒め物を作り、和美さんの分を残してデザートにイチジクもいただいた。

採れたての野菜もイチジクもやっぱり新鮮で、自然から元気をもらっているような味がして、とても美味しかった。

昼食を食べながら、トキ子さんがこんな話をしてくれた。

「うちのばあちゃん、義理の母親な。あれも“福子”だったんだ。若い頃から耳が悪かったらしくてな。会話はいつも、伝えたいことを紙に書いたり、手で何か伝えたりしていたんだ。家族や周りの人は、こんなんじゃ嫁のもらい手がねぇって嘆いていたんだけども、やっぱり運命ってあるんだな。うちのじいちゃん、義父と知り合って結婚したの。義父はすごく優しい人でね。義母に障害があっても全然気にしなかったの。

うちの旦那が生まれて、義母には赤ん坊の泣き声が聞こえなくても、義父がちゃ~んとあれこれ世話をして助け合っていたんだって。私も嫁に来てからその話聞いて、えぇとこに嫁に来たなと思ったんよ。だからきっと叶ちゃんも、颯太君とうまくやっていける。大丈夫だ」

そう言ってトキ子さんは、にっこり笑った。

(そうか。だからトキ子さんは、叶のことを知ってもすぐに受け入れてくれたのか)

叶は、こんなに優しい人たちと触れあえて、自分がすごく恵まれていることに感謝の気持ちがわいた。

昼食を食べるとトキ子さんは帰っていき、いつものようにみんなで軽い昼寝をした。


昼寝から目覚めると、叶はなんだか神社に呼ばれているような気がして、散歩に行きたいと颯太に伝えた。それなら、と颯太も一緒に暇つぶしがてら、2人で夕飯まで近くを歩いてみることにした。

どこでもそうだが、神社というのは他の場所に比べて、一歩中に入ると空気が変わる。よく神聖な場所と称されるが、本当にそれが分かるような気がした。

日が当たるところは夏特有の暑さを感じるが、木々が生い茂っている場所は日差しが遮られ、涼しい風が通り抜けて気持ちよかった。

境内には、掃除をする職員の人がいるくらいで、地元の人や観光客の姿も見られなかった。

(貸し切りだね)

「だな。なんか畏怖を感じる」

勉強が苦手な颯太でも、さすがに畏怖という言葉は知っていたらしい。


2人で話していると、最初に来た時に見かけた白猫が、叶たちのほうに寄ってきた。

鈴付きの首輪をしているので、どうやらどこかで飼われているらしい。神社の猫だろうか?

叶の足にすり寄ってきたので、頭を撫でてやる。

「叶、猫に好かれているな」

と颯太が言ったので、叶は白猫や白い色をした動物は神の使いらしいことを教えてあげた。

「へ~、やっぱ叶は神様に選ばれた人なんだな。俺、叶といると一生幸せでいられる気がする」

と、少し照れながらハグをしてくれた。白猫は(ニャン)と短く鳴き、2人の足の間で静かに丸くなっていた。


神社を出ると、手を繋いで昼下がりの田舎道を歩く。

ここは本当に静かで、川のせせらぎや虫の声、蝉の鳴き声くらいしか聞こえてこない。叶は、考えていたことを颯太に伝えてみた。

(私、いつかこういうところで颯太と一緒にお店やりたい)

颯太は

「そうだな。いつになるか分からないけど、もう少し歳取ったらこんな田舎でのんびり暮らすのもいいよな」

と笑顔で同意してくれた。

そうして2人でのんびり歩いていると、向こうから和美が誰かと一緒に歩いてくるのが見えた。和美の隣にいるのは、背の高い男性だった。

「あ、颯太たち散歩?」

「うん。神社行ってきた」

「そっか。あさって祭りがあるから、案内してあげるよ」

と和美が言うと、颯太は隣の人を見て

「和美姉ちゃん、その人は?」

と聞いた。

「この人は、私が体験に行った施設のスタッフで韮沢幸司さん。さっき、体験後の就活について相談するのに家にちょっと寄ってお茶飲んでもらっていたんだけど、散歩がてら私が韮沢さんの家の近くまで送っていくところ」

と彼を紹介し、颯太と叶のことも紹介してくれた。

韮沢という人も、簡単に2人に挨拶をして頭を下げた。

和美たちは、体験で知り合ったにしては意気投合するのが早くないか?と叶は思ったが、田舎だから距離を縮める時間が短いだけかもしれないと、深くは考えなかった。

和美たちと別れ、また颯太と二人で家に向かって歩く。と、颯太が和美たちの去ったほうを振り向いて

「あの2人、なんかいい感じだったよな」

と言った。颯太もなんとなく気づいていたようだ。きっと、和美の就職はうまくいく。そんな気がしながら、叶は蝉の騒がしい声を聞いていた。



夏祭りの日。

いつものようにルーティーンをこなし、畳の上で寝転がっていると、

「叶ちゃん、ちょっと来て」

と、おばさんに呼ばれた。奥の和室に行ってみると、おばさんと和美さんが座っていて、その前にいくつかの色鮮やかな柄の浴衣が広げられていた。

「今日お祭りだから、叶ちゃんが良かったら和美が着ていた浴衣着てもらおうかと思って、出してみたのよ」

とおばさんが言い、和美さんも

「ずっと仕舞っておいても、誰も着ないからね。気に入ったのがあったら、叶ちゃんにあげる」

と、叶に似合いそうな浴衣を一緒に選んでくれた。

紺地に朝顔の柄や白地に金魚柄など、綺麗な色柄のものがたくさんあり、どれも素敵で選ぶのが難しかったが、おばさんが

「これがいいんじゃない?」

と言い、叶もなんとなく自分に似合っていそうな水色の地にナデシコの描かれた可愛らしい浴衣を選んだ。

和美が

「うん、叶ちゃんに似合ってる」

と言い、自分は紺地に大きな花柄のついた大人っぽい浴衣を着た。

そんな女子2人の浴衣姿を見た颯太とおじさんは、それぞれに

「お、叶めっちゃ似合ってる」

「美人さんが2人も揃ったな。今日はめでたい」

と、素直な感想で褒めてくれた。

(颯太は浴衣を着ないの?)

と聞いてみると、おじさんが

「さっき、俺の甚平なら貸せると思って出したんだが、そんなの恥ずかしいって言ってよ。そのまんまでいいってさ」

と明るく笑った。



夕方になり、そろそろ出ようかと3人で靴やぞうりを履いていると、おばさんが

「これ、持って行って。叶ちゃんも」

と言って、一人ずつにお小遣いをくれた。他人である叶が戸惑っていると、

「えぇから、えぇから。叶ちゃんは、颯太の彼女だろ。もう立派なうちの親戚だよ。気にせんでえぇんよ」

とにっこり笑った。颯太が

「叶、もらっとき。田舎では、こういうの結構普通にあるから」

と言い、和美も

「金は天下のまわりものって言うでしょ。遠慮してせき止めてしまうと、上手く流れなくなってしまうんだ。だからもらえるものは素直に感謝して受け取るほうが、お金の巡りも良くなるし、あげるほうも貰うほうも気持ちがいいんだよ」

と言うので、叶は遠慮なく使わせてもらうことにした。



神社が近づくと、お祭りに行く人たちで混み始めた。迷子にならないように、颯太がさりげなく手を繋いでくれる。

鳥居の前まで来ると、先日会った韮沢さんがいた。どうやら、ここで和美を待っていたようだ。軽く挨拶をし合い、4人で一緒に階段を上った。

境内には、飲食店やクジ引き、お面に金魚すくいなど多種多様な店が出ていて、地元の人も観光客もあちこちで楽しそうな笑い声をあげて、賑わっていた。

叶たちは、とりあえずお腹を満たすためにそれぞれ食べたいもの・飲みたいものを買って食べ歩きをした。

颯太がイチゴ味のかき氷を買うと、和美がどこから仕入れてきたのか、豆知識を披露した。

「知ってた?かき氷って、色が違うだけで元は全部同じ味らしいよ」

「へ~、そうなの?」

と韮沢さんが聞くと、和美さんは

「うん。香料と着色料の違いだけで、イチゴならイチゴ味を食べた気分になるだけなんだって。まぁ、私もテレビか何かでチラッと見ただけだから、本当かどうかは分からないけどね」

と、かき氷のお店を見ながら言った。

「ゲッ、じゃあ子どもの頃からずっといろんな味があるって騙されていたのか。なんか、ガッカリ」

と颯太が言うと、韮沢さんが

「でもさ、それで今までずっとワクワクした気持ちやお祭りの楽しい想い出を味わってきたんなら、そこまで落胆することもないんじゃない?(笑)事実を知っても、かき氷が美味しいっていうことに変わりはないんだから」

と、真っ当なことを言った。そして、

「和美から、君たちのことを聞いたよ。君は、叶ちゃんの障害のことを知っても、ガッカリしなかっただろ?それと同じだよ。たとえ叶ちゃんに障害があるという事実があっても、君が今まで叶ちゃんと付き合ってきて、嫌だったことある?楽しかった想い出のほうが多いんじゃない?」

「うん。そうかも」

「まぁ~かき氷は例え話だけど、どんなことも受け入れてみると、それほどたいしたことじゃない。過去でも未来でもなく、今に生きている自分たちが幸せなら、それでいいんじゃないかってことが言いたかったんだ」

と、韮沢さんは微笑んで和美のほうを見た。


夜8時になり、花火大会が始まった。打ち上げ会場は神社から離れた緑地公園で、そこから色とりどりの花火がたくさん打ち上がった。

(きれいだね)

「あぁ。叶と一緒に見られて、すげ~嬉しい」

颯太の言葉に照れてふと横を見ると、和美たちの姿がなかった。あれ?と思って周りを見渡すと、人混みから離れた暗がりに和美と韮沢さんがいるのが見えた。

何をしているんだろう?とよく目を凝らしてみると、韮沢さんが和美に唇を近づけているところだった。

(!!!)

叶は、見てはいけないものを見てしまった気がして、動揺した。それに気づいた颯太が

「叶、どうした?」

と聞いてきたが、叶は(何でもない)と意思表示するように首を振り、もう一度花火を見上げた。



花火大会が終わり、神社を出る。韮沢さんが

「暗くて危ないから送っていくよ」

と気を利かせたが、和美が

「近いし、颯太もいるから大丈夫」

とやんわり断り、来た時同様に鳥居の前で別れた。和美は

「楽しかったね~」

と言ったが、ちゃんと花火は見ていたんだろうか?叶は、余計なことを心配した。

「あ、そういえばさっき母ちゃんからメールがあって、明日こっちに来るって」

と、颯太が和美に伝えた。

明後日、和美たちはそれぞれのアパートに帰る。その前に颯太の両親が和美の家に挨拶がてら、一泊で遊びに来るとのことだった。

その後も、颯太と和美が親戚同士の他愛ない話をしていたが、叶の耳には入ってこなかった。



家に帰ると順番に入浴を済ませ、挨拶もそこそこに寝室に入った。叶が布団の上に座って星空を眺めていると、寝支度をした和美が先に布団に入る。叶は、先ほど祭りで見てしまったことを和美に尋ねるべきか?迷ったが、モヤモヤしたままだと眠れそうになかったので、思い切って聞いてみることにした。

(和美さん、さっき神社で韮沢さんと何かしてた?)

すると和美は

「そっか、叶ちゃん見ていたんだ。父ちゃんたちには、まだナイショだよ」

と恥ずかしそうに、照れ笑いをした。

(まだ知り合ったばっかりなのに?)

と叶が伝えると、

「うん。就活の関係で会うようになったのは、最近。だけど昔から韮沢さんが働いている施設とかが福祉関係のイベントをいろいろやっていて、中学高校の時は時々遊びに行っていたから、その頃から何度か会って顔見知りではいたんだ。付き合いだしたのは、私が大学に入ってから。私が盆・正月に帰省した時に、ちょくちょく会ってた」

(それで、就職はこっちでしようと思ったの?)

「それもある。だけど、この地域のお年寄りの支援をしたいと思っているのは本当。それで韮沢さんに相談して、施設で体験させてもらっていた」

そうか、そういうことだったのか。

(韮沢さんと結婚するの?)

「まだ先のことだから、人生どこで何があるか?どうなるか?誰にも分からないけどね。でも、そうなったらいいなと思ってる。叶ちゃんも、颯太といつかそうなるといいな。というか、なるよきっと。うん」

和美さんは力強くうなずいたかと思うと、「おやすみ」と言って目を閉じた。

叶は、持って来ていたノートに今日のことをたくさん書いて、人の縁って不思議だけど、きっとどこかで神様か誰かが繋いでくれていて、みんなを幸せに導いてくれているんだなと思いながら、ほっこりと温かい気持ちで布団に入った。



翌日。

朝食と身支度を済ませると、和美さんの車で最寄り駅まで颯太の両親を迎えに行く。ついでにおばさんに買い出しを頼まれたので、帰りにスーパーに寄ることになっていた。

駅の外で待っていると、颯太の両親、タケ夫さんと菊子さんが改札を出てきて、みんなに挨拶をした。

「お~、颯太。楽しくやってるか?叶ちゃんも久しぶり。和美ちゃん、颯太たちがお世話になって。なんか申し訳なかったな」

「いえいえ、賑やかになって父ちゃんたちも喜んでいますから」

車の助手席に叶、後ろの席に颯太たち親子を乗せて、車が走り出す。観光がてら田舎道を走りながら、みんなで近況報告をし合う。スーパーで食材や飲み物を買って家に戻ると、庭で花の手入れをしていたおばさんが出迎えてくれた。

「タケ夫さん菊子さん、いらっしゃい。遠かったでしょ」

「いやいや。花江さん久しぶりだな。颯太たちがお世話になって。これ、つまらないもんだけど」

と菓子折を渡しながら、お互い楽しそうに挨拶を交わした。

中に案内され、和美の父親、典文とも「久しぶり。調子はどうだ?」の声が交わされ、お互いの近況報告をした。

それからしばらくみんなでお茶を飲みながら会話を楽しみ、花江さんと菊子さんが庭に出て花の世話について話をしていると、トキ子さんがまたビニール袋を提げてやってきた。タケ夫たちがいるのを見ると、トキ子さんも嬉しそうに

「あれ、懐かしい顔がいるじゃねぇ。なんだ、遊びに来たのか?ちょうどよかった。これみんなで食べて」

と言って、たくさんのイチジクをくれた。

田舎ではそれが普通なのか、いつものようにトキ子さんも交えてみんなでお昼ご飯を食べる。おじさんおばさんたちの会話は、いつまでも尽きない。


軽い昼寝をした後、颯太とおじさんたちは川釣りに行き、和美と叶は、高台にある展望台まで散歩に行った。そこからは町全体が広く見渡せて、気持ちよかった。和美がぽつりと言う。

「ここ、いいでしょ。私もたまに帰省して、学校の勉強疲れとかいろんなモヤモヤした気持ちを晴らしたい時ここに来るんだ。この景色見ていると、気持ちがスーッとする」

本当に、その通りだ。ここに立っていると、日常のちょっとした嫌なこととか、悩み事が全部消えて本来の素直な自分に戻っていく気がする。

「私、卒業したらずっとこっちにいるから、またいつでも颯太と一緒に遊びにおいで。待っているから。そしたら、またここに連れてきてあげる。今度は、颯太も連れてこよう」

と、和美さんは言った。

叶は一人っ子だが、まるで姉が出来たようで嬉しくなり、素直にうなずいた。



夕食は出前のお寿司と、おばさんが地元の野菜を使ってたくさんの料理を作ってくれ、ちょっとしたパーティーのようになった。おじさんたちはたくさんお酒を飲み、おばさんたちもたくさん喋った。その後、みんなで縁側に座ってスイカを食べながら、花火をした。

(家族っていいな)

叶は、そんなことを思いながら火花を散らして輝く花火と、楽しそうに笑う颯太たちを見ていた。



翌朝。

今日は叶、颯太、和美たちがそれぞれの家に帰る日だ。身支度を整え、各自荷物を整理していると、早い時間からトキ子さんが顔を出した。

「なに、今日帰るって聞いたから土産やろうと思って、持って来た」

と言って、トキ子さんの家で採れた野菜や漬物、煮物など、おばあちゃんが孫に持たせるような食料がいくつも袋に入っていた。タケ夫と菊子は、それを見て

「まぁまぁ、すみません。こんなにもらっちゃって」

と、申し訳なさそうに頭を下げていた。

トキ子さんは、叶たちにも

「またいつでも遊びにおいで。美味しいもんいっぱい食べさせてやるから」

とにっこり笑って言った。

またみんな揃っては、いつ来られるか?分からないからと、和美が家の中からカメラを出してきて、トキ子さんも一緒にみんなで記念写真を撮った。

タケ夫と菊子が先に車に乗り、和美たちが花江、典文と別れを惜しんでいると、お祭りの時と同じように、花江が3人に

「これ持って行って」

と、ポチ袋に入ったお小遣いを渡してくれた。典文もぎこちないながら

「和美は卒業したら戻ってくるが、颯太と叶ちゃんも、じいちゃんばあちゃんの家に行くと思って、また毎年遊びに来てくれたらいい。盆でも正月でも、おっちゃんたちいつでも待ってるから」

と優しい笑顔で言ってくれた。

3人も車に乗り込み、出発する。

花江、典文、トキ子が、車が見えなくなるまでいつまでも手を振って見送ってくれていた。

このメンバーで会うのが今日で最後になるなんて、この時はまだ誰にも想像できなかった。