(9)


修学旅行の日。

一旦学校に集合してから、クラスごとに分かれたバスで空港まで向かう。ほぼ全員が乗りこんだと思っていたが、点呼を取っていた竹内が気づいた。久美子がまだ来ていないのだ。

「先生、河野さんどうするんですか?もう時間ギリギリですよ」

と学級委員の紗英が言うと、竹内は

「うん・・・」

と難しい顔をした。

もしかしたら久美子は、欠席するのかもしれない。生徒の中には、当日体調不良になったり、家庭の事情や経済的な理由から、修学旅行を欠席する生徒もいたので、特に不思議ではなかった。

と、そこへ竹内に電話が入った。

応対した竹内がバスに乗り込み、2組の生徒に告げた。

「河野は、家を出るまで行くかどうか迷っていたけど、お母さんに説得されて参加することにしたそうだ。少し遅れてしまったので、河野のお母さんが車で空港まで送っていくとのことで、直接向こうで待ち合わせることになったから、心配は要らない」

そして、運転手さんに予定通り出発してもらっていいことを伝えた。

バスの車内ではカラオケやミニゲームで盛り上がっていたが、空港が近づくとともに、だんだん静かになっていった。



バスを降りて全員が空港のロビーに入り、クラスごとに整列していく。

2組の生徒も荷物を持ってロビーに入ったが、女子の1人が久美子に気づいて指を指した。

そこには、下を向いて壁にもたれている久美子がいた。

久美子と同じグループになった清花たちが、久美子の腕を引っ張って連れてきた。

「河野、ここはまだ県内だからいいが、向こうに行ったら知らない場所ばっかりだから、単独行動は危険だぞ。グループから離れないように気をつけろよ」

と、竹内が諭した。

久美子は素直にうなずき、清花たちの後ろに静かに座った。


叶をはじめ、ほとんどの生徒が初めて飛行機に乗るからか、子どものようにはしゃいで先生たちから

「周りに迷惑をかけるなよ!」

と注意されていた。

叶は外の景色を見る気持ちの余裕がなく、ただじっと、早く到着時間が来るのを願っていた。


北海道に着いてからも出発時と同様、クラスごとに分かれてバスに乗り込んだ。

さすが北海道。窓から見える景色は雄大で、みんなが一様にスマホやデジカメで思い思いに記念撮影をした。

各施設や観光名所を見てまわる時間はクラスごとにまとまって歩いたが、土産を買う時間の他、バスに乗るまでに設けられた自由時間は、グループごとに歩いてもよかった。

叶は、麻里香たちと記念写真を撮ったり、土産物を見たり自由に過ごしていたが、その一角に北海道限定であろう、シマエナガが2羽並んだかわいいイラスト付きのキーホルダーを見つけた。そして、ある良いことを思いついた叶は、それを2つ購入した。


宿に着き、各グループごとに部屋割りがされた。

叶は、同じグループの美樹、麻里香、優奈と、優奈と同じく茶道部の里子とともに、割り当てられた部屋に入り荷物を降ろした。

「あ~、疲れたね」

と美樹。

「お風呂入りに行こう」

と優奈。

「そういえばさ、よく温泉旅館って部屋に和菓子が置いてあるけど、何か意味あるのかな?」

と麻里香が言い、置かれていたまんじゅうを手に取った。

「おもてなしの意味とか、売店にも売っているので気に入ったら買ってくださいっていう意味もあるらしいけど、一番の理由は、血糖値が下がったまま温泉に入ると気分が悪くなるから、それを回避するために「お着き菓子」っていって、入浴する前に血糖値を上げる目的で置かれているらしいよ」

と、知識の豊富な里子が教えてくれた。みんなは素直に感心し、

「お~、さすが茶道部!恐れ入りました」

「私も茶道部だけど、そこまでは知らなかった」

など、口々に里子を褒め称えた。そして5人で一服しながら、

「なんか私ら、おばちゃんみたいじゃない?(笑)」

「いや、でもこれが必要なんだから」

「まぁまぁ、時間はたっぷりあるんだから、慌てなさんな」

と、お茶会に集まった主婦のような会話を楽しんだ。



少し落ち着いた頃に夕食となった。

宿の食事は豪華で、よくある和食会席に北海道らしくカニ鍋が付いていた。慣れないカニを食べるのに、生徒たちのほとんどは苦労していた。

あとは風呂に入って寝るだけだと思っていたが、そこは高校生。食後にクラスごとに集められ、その日の感想を書くという、なんとも面倒な時間が設けられた。

みんなは、お腹いっぱいで眠い目をこすりながら、なんとか感想を書いて竹内に提出し、数行しか書いていない颯太や一部の男子たちは、書き直しを命じられて文句をこぼしていた。


入浴後、消灯時間までは少し時間があったので、叶たちはテレビを観ながら、売店で買ってきたジュースとお菓子を広げ、のんびり雑談していた。

「ねぇ、男子たちってさ、絶対枕投げとかやってるよね」

「うん、やってるやってる!それで、先生に怒られるパターンね」

「バカだよね~」

と、修学旅行あるある話で笑いあった。


案の定、先生たちが各部屋を見回りし、枕投げをしたり、ふざけ合ってせっかく敷いてもらった布団をぐしゃぐしゃにしていた男子たちに、声を張り上げて注意していた。

女子の部屋では恋バナが中心となり、叶たちの部屋でもそれぞれが探りを入れていた。

「みんな好きな人いる?」

と麻里香。

「私、Snowmanの館様」

と、優奈が男性アイドルの名前を出した。

「そうじゃなくて、学校でって話」

と麻里香が注意した。

「分かってるって。私は、今のところいないかな。里子は?」

と優奈。

「え~」

「佐藤君は?背高いし、イケメンで優しいじゃん」

と優奈が言うと、図星だったのか、里子の顔がほんのりピンク色になった。

「里子ちゃん、分かりやすい」

と美樹。

「そうかそうか、いつから?え、向こうも里子のこと好きなの?」

と、興味津々で麻里香がふっかける。

「・・・うん。実は、コクられた」

みんなが、ワーワーキャーキャー騒ぎ出した。叶は静かに、その様子を見守るしかできない。

佐藤君というのは同じ2年生で、優奈や里子と同じ茶道部員だ。イマドキの、というと変だが、高校生にしては真面目で古風なところがあり、優奈が言った通り、イケメンで優しい。同じ茶道部の女子だけでなく、

全学年の女子から注目され、狙っている人が多いらしい。

それでも佐藤君は、彼女に里子を選んだのだ。恋愛に詳しくない叶から見ても、お似合いだと思う。

「先越されたかぁ~」

と、優奈が溜息を吐く。そのとき、

「ところで、叶ちゃんは?」

と、麻里香が叶に話を振ってきた。

(ん?)

と自分の顔を指さす。

「そう、きみ。好きな人いないの?」

(ブンブン)

と頭を振って否定する。


「田原君は?たしか、幼稚園の頃から幼なじみじゃなかった?前に田原君が言っていた気がする」

と、美樹が話を継いだ。

叶は、颯太が自宅謹慎処分最後の日に話したことを思い出し、中学の頃から意識されていたことは伏せつつ、美樹の分も颯太に平手打ちを一発食らわしたことをみんなに伝えた。

(だから、別に颯太のことは好きじゃない!)

と一言加えて。

そのメモを見たみんなは爆笑して

「叶ちゃんって、意外と強~い!」

「まぁね、女子を傷つけたんだからそれくらいされても仕方ないよね」

「最高!」

「今度私が何かされたら、叶ちゃんに守ってもらおう」

と、叶の武勇伝を称えた。


一方、清花たちの部屋では、皆がそれぞれ自由に過ごしていた。久美子は窓際の椅子に座り、物思いにふけっていた。

「清花、久美子。私らもう寝るよ?」

とグループの1人が言い、清花が応える。

「うん。先に寝てて」

と、久美子の正面の椅子に座る。

部屋の主要電気が消され、常夜灯だけになった。


薄暗くなった部屋で、2人が向き合う。

「久美子、まだ叶のこと考えてる?」

「うん・・・というか、私が今までしてきたことをいろいろ考えてた」

「そっか」

静かな部屋に、遠くを走る電車の音がかすかに聞こえる。

「私さ、誰かを傷つけることで自分が優位に立った気になっていたんだよね。私は、昔からずっと家族に甘やかされて可愛がられてきたから、それが当たり前だと思っていた。誰からも好かれる人間として生きていけるんだって、どこかで勘違いしていた。杉原さんは他の人とちょっと違っていて、喋れないハンデを抱えていた。だから、竹内先生とか周りの人たちに助けられて、なんか特別扱いされているようで、見苦しいって思ったのかもしれない」

「だからイジメたの?」

「たぶん。杉原さんが嫌な気持ちになって泣いたりすれば、私も少しはスッキリするかなって。バカでしょ?熊沢さんたちからお金を巻き上げていたのは、単純に遊ぶお金が欲しかったから。もうさ、やっていること完全に不良だよね!ハハハ」

と、正直な気持ちを吐き出して、久美子は少しだけ自嘲気味に笑った。

「でも、この前のLHRで少しは反省したんだよね?」

「うん。少しどころじゃなくて、だいぶね」

「きっと叶もさ、久美子の涙を見て何か感じたと思うよ。さ、私たちも寝よ。先生が見回りにきちゃう」

「・・・うん」

清花と久美子も布団に入り、静寂の中には寝息だけが聞こえていた。



2日目は道南のほうに下り、五稜郭を観光した後、近くで昼食を取った。

店は先生たちが予約してあったが、団体のため各自が店に着いてから自由に好きなものを注文するのは、お店の人に迷惑がかかるということで、ある程度のメニューに絞り、それぞれに食べたいものを事前にバスの中でアンケートを取って、それをまとめて先にお店に伝えておくという方式が採られた。

叶は、丼の全体に真っ赤な魚卵が載った「いくら丼」を選んだ。


その後、金森赤レンガ倉庫でたっぷりと自由時間が設けられ、生徒たちはもちろん、先生たちも自由に観光や買い物を楽しんだ。みんな思いきりはしゃいだからか、集合後乗り込んだバスの中では寝息を立てる人が多く、喋っているのは一部の生徒だけだった。


最後の目的地・函館山に着き、ロープウェイで山頂まで登る。ここからは夜景が望めると人気で、日が落ちるまでまだ時間があったが、修学旅行生の他にも、たくさんの観光客であふれていた。

グループごとに移動していたが、いつの間にか里子の姿がない。

見ると、向こうのほうで佐藤君と2人、楽しそうに話している様子があった。

叶の他にも、麻里香たちも気づいたようだ。

「アツイね~♡」

「あれは、絶対また改めて2人で来ようね♪って約束するパターンだね」

「納得」

「あ~、私も早く彼氏欲しい~!」

叶は、そんな麻里香たちを見てクスクス笑った。


だんだんと周りが暗くなり、目の前には100万ドルの夜景がキラキラと輝き始めた。

「うわ~、綺麗だね」

「ビンに詰めて持って帰りたい」

「お、美樹ちゃんロマンチック」

叶も美樹と同じようなことを思っていたが、自分も一緒に褒められたようで、嬉しくなった。


集合時間になり、バスに戻る。宿に向かう道中、運転手さんが気を利かせて車内の電気を落としてくれたので、2組は特別に再び函館の夜景を見ながら、最高の思い出作りの時間を過ごすことが出来た。


昨日同様に夕食を済ませた後、地獄の感想タイムをなんとか乗り切って部屋に戻った。

「あ~、疲れた。あの(感想書く)時間いらないよね。もうさ、帰ってからまとめて書けばいいじゃん」

「ホント。学校行事だから仕方ないんだろうけどさ」

「早く、お風呂行こう」

と、みんなが風呂に行く準備を始めたが、叶はちょっとやることがあるから先に行っててほしいと伝え、1人部屋に残った。

みんなは不思議に思いながらも、きっと荷物の整理でもするんだろうと考え、

「じゃあ、先行ってるね」

と、連れ立って部屋を出て行った。

残された叶は、土産物屋で買ったレターセットを取り出し、誰かに手紙を書き始めた。


用事を済ませた叶も、少し遅れて大浴場に行った。

美樹たちは浴室に入っているらしく、脱衣所には姿が見えない。そこには、今来たばかりと思われる他のグループの生徒や、すでに入浴を終えて着替えている生徒たちがいた。

清花と久美子も風呂上がりなのか、鏡の前で髪の毛を乾かしていた。

叶に気づいた清花が声をかける。

「あ、叶今から?」

(うん)

「麻里香たち、中にいたよ。ゆっくり入っておいで」

清花に手を上げて応える。

一瞬久美子と目が合うが、気まずくてすぐにそらした。

浴室に入ると、

「お~、叶ちゃん。早くおいで!気持ちいいよ♪」

と麻里香が手招きする。

マナーとして一通り身体と頭を洗ってから、みんなのいる浴槽に入った。



入浴後、部屋に戻って落ち着いていると先生が来て、

「せっかくだからラーメン食べに行かないか?」

と誘ってきたが、今からまた外に出るのが面倒だった叶たちは、みんな丁重に断った。

「明日で終わりか~」

「やっと帰れると思うとホッとするけど、何だかんだで楽しかったね」

叶は、そういえばしばらくリノと交換日記をしていなかった事に気づき、明日帰ったらさっそく修学旅行のことを書こうと思った。


その夜は、函館山の夢を見た。

キラキラ輝く夜景を見ながら女性が一人、どこか寂しそうな表情で立っている。

その顔は、叶のようでもあったが、なんとなくリノにも似ているような気がした。

(リノさんも、きっと修学旅行でここに来たのかな)

と、夢うつつで思った。

2日めの夜は、こうして静かに更けていった。



最終日。

札幌時計台の前で今日の予定が伝達され、13時までは自由時間となった。

「13時には点呼が出来るように時計台の前に集合」

と言われたが、それまでは観光施設に入るのも飲食をするのも、ほぼ生徒たちの好きなように過ごしていいとのことだった。ただし、

「あまり遠くには行かないこと、戻って来られる範囲で楽しむこと、人の迷惑になるような行動は慎むこと、1人で行動しないように、なるべくグループや複数人で行動すること」

を注意された。

叶たちは、清花たちのグループと一緒に観光することになった。

久美子と一緒に行動するのは少しドキドキするが、きっと久美子も同じ気持ちかもしれないと思い、あまり深く考えすぎず、叶は北海道にいられる貴重な時間をみんなと一緒に楽しむことにした。

「どこに行く?」

と里子がみんなに聞いて、スマホのマップを開いていた清花のグループの中島穂乃花が

「ここからちょっと行ったら、『大観覧車nORIA』っていうのがあるみたい。みんなで観覧車乗ろうよ♪」

と提案した。

特に誰も反対せず、みんなでその観覧車に乗りに行くことにした。


”ノリア“とは、スペイン語で観覧車を意味し、直径45.5m、地上78mに達する札幌初の屋上観覧車だ。

1周10分で、緑に囲まれた美しい札幌の町並みを遙か遠くまで見渡すことが出来るそうだ。

1つのゴンドラは4人乗りなので、それぞれ適当に分かれて乗る。

叶は、清花と久美子の3人で乗ることになった。

ゴンドラが動き出してしばらくは、3人とも無言で景色を眺める。気まずい空気が漂う。

沈黙を破ったのは、清花だった。

「叶、その手袋かわいいね」

と、傷跡を隠すために着けていた手袋を褒めてくれた。久美子もそれに目をやる。

叶は

(お母さんに買ってもらった。もう、傷はほとんど目立たなくなったけどね)

と返事を返した。

「そっか、よかったね」

と、笑顔で清花が言う。そして、久美子も一言だけ

「かわいい。いいな、そういうの似合ってて。私には無理かも」

と自嘲気味に言った。

(そんなことないよ)

と叶は思ったが、きっと今の久美子には、どんな言葉も上手く届かないような気がして、もどかしい気持ちを抱えたまま、窓の外を見た。

10分が経ち、ゴンドラが地上に着いた。


その後、麻里香が

「昨日先生がラーメンに誘ってくれたけど、面倒だから行かなかった」

という話をし、それなら今から食べに行こう!ということになり、少し早めの昼食で札幌ラーメンを食べに行くことになった。

食後の腹ごなしには、北海道で最古の商店街の一つである「狸小路」を散策し、集合時間より少し早めに時計台の前に着いた。

そこからは、またバスで空港まで行き、あとは飛行機で地元に帰るだけだった。叶は、前日に考えたことを向こうの空港に着いてから実行しようと決めていた。

(受け取ってくれるかな。いやもう、思い切って強制的に渡してしまおう!)


行きの飛行機では気持ちの余裕がなかった叶も、帰りの飛行機では美樹と話したり音楽を聴いたり、機内サービスの飲み物を飲んだりする余裕があった。それはきっと、さっきの観覧車で久美子が何気なく発した素直な一言が、叶の心を緩めたからかもしれなかった。


地元の空港に着き各クラスで点呼を終えると、そこからは、家族が迎えに来ている生徒は空港で解散となり、バスで学校まで帰る生徒は、先生の誘導でバス乗り場に移動する。叶はバス組で、久美子は行きと同様母親が迎えに来るとのことだった。


叶が、いよいよ計画を実行する時が来た。麻里香他、バス組の生徒が移動を始めた時、叶は母親のもとに歩いていく久美子の背中を追いかけ、肩をたたいた。

驚き振り返った久美子に、叶は一つの封筒を渡した。そこには一言『河野さんへ』と書いてある。

「叶ちゃ~ん、行くよ―」

と麻里香が呼ぶ。叶は、久美子に軽く手を上げて、バス組のほうへ走って行った。

「久美子のお友だち?」

と久美子の母親が聞くと、

「・・・うん。まぁね」

と、久美子が静かに答えた。



家に帰ると、叶は両親に土産の『白い恋人』を渡した。北海道土産の定番菓子である。

「楽しかった?」

と聞いた母に

(うん。でもあちこち行ったから、疲れた)

と答えた。父には

(地ビール買えなかった。ごめん)

と伝えた。

悠介は

「別にいいよ。ビールなんて、こっちでいつでも買えるから」

と笑って言ってくれた。

晴海が

「せっかく叶が買ってきてくれたお菓子、後で食べようか。先にゆっくりお風呂入っておいで」

と言った。

旅行の疲れが出たのか、風呂を上がると途端に眠気が襲ってきた。

母に

(ごめん、もう眠いから先に寝るね。お菓子は、2人で食べて)

と伝え、背中に

「おやすみ」

という声を聞きながら、自室に上がった。

修学旅行を終えた2年生は、翌日は休養日となっていた。片付けは明日やろうと考え、とりあえず布団に入ったところで、交換日記のことを思い出した。

しかし、眠気のほうが勝ってしまい、起き上がる気力もなかった叶は、そのまま寝息を立てた。



その頃、久美子は自分の部屋で、空港で叶に渡された封筒を開けて手紙を読んでいた。そこには、こう書かれていた。

『河野さんへ

LHRの時、竹内先生から河野さんのことを「許してやるか?」と聞かれて、私はすぐに返事ができませんでした。

それまでずっと、河野さんが私に対して数々の暴言や嘲笑をしてきたことが、引っかかっていたからです。

私は河野さんに対して何もしていないのに、何で?っていうのが、ずっと心の中にありました。辛かったです。苦しかったです。早くそんなイジメ、やめてほしかったです。

そんな時、LHRで河野さんが意外にも素直に自分の気持ちを吐き出して、泣きながら何度も頭を下げて謝ってくれて、それでも私は複雑な気持ちで、どうしたらいいんだろう?って悩みました。

一人で考えても分からなかったので、知人の女性に相談しました。そうしたら、

(本当は叶ちゃんたちと仲良くしたいんだけど、今までずっとチヤホヤされて大切に可愛がられてきた自分と障害のある叶ちゃんじゃ、立場の違いがある。だからわざと、自分より弱い叶ちゃんたちをイジメることで、自分を守ってきたんだと思う)

と教えてくれました。そうなんですか?

たとえそうだったとしても、そんなの全く意味がないよ。その女性も言っていました。

(本当は、そんな立場の違いなんてほとんどないし、人はそれぞれ個性が違うんだから、比べる必要もないんだけどね)って。

見た目は同じ”人間“かもしれないけど、私と河野さんは、全く別の人。だから、河野さんが私をイジメたとして、それはただ河野さんが無駄に時間を使っていただけ。

これからはもう、私のような立場の弱い人たちをイジメるために時間を使うんじゃなくて、河野さん自身が幸せになるため、自分の人生を生きるために時間を使ってください。

結局、私は河野さんを許せるかどうか?私自身もよく分かりません。だけど、せっかく同じクラスになれたんだから、仲良くはなれなくても、河野さんは大切なクラスメイトだよっていうのは、伝えられたらなと思います。

河野さん、前に「私も清花とお揃いのものを持ちたい」って言っていたよね?

清花じゃなくて、私とお揃いのものって、ダメかな?(照)

修学旅行で、北海道限定のかわいいキーホルダーを見つけたから、河野さんにどうかな?と思って買ってみました。もしよかったら、どこかに付けてほしいな♪

あ、嫌だったら無理しなくていいよ。清花とか、誰かにあげてもいいから。

私は、子どもの頃から喋れない障害があります。

いろんな人から、たくさん偏見の目で見られたり、傷つけられて生きてきました。

だけどね、そんな自分でも恥ずかしいと思ったことは一度もなかった。

あるとき、(あ~これが自分なんだ)って、腑に落ちる瞬間に気づいたんだ。

私が失声症になったのは、きっと何か意味があるんだって。

そのときに思ったのはね、私が生まれてくる時、他の誰かが声を必要としていて、神様が私に

(きみの優しい声を、その人にあげてほしい。代わりに、きみにはもっと素敵な才能を授けよう)

って、運命を決めたんだろうって。

私は、そう考えたら全然悔しくなかった。むしろ、私の声をもらったその人が、幸せになってくれたらいいなって思った。

私は私のままで、これからも自由に楽しく生きて、幸せになる。だから河野さんも、河野さんらしく生きて幸せになってください。

いつかきっと、私が河野さんを許せる日が来ますように 

                杉原 叶 』


久美子は嗚咽をこらえながら、ただただ静かに泣いた。

机の上では、キーホルダーの枝に止まった2羽のシマエナガが微笑んで、そんな久美子を優しく見つめていた。



土曜日、叶は修学旅行の土産を持って、『カフェlino』に出向いた。

しばらく交換日記を休んでいたことを詫びたが、

(気にしていないよ)

と笑ってくれた。

リノへの北海道土産は、ふっくらモコモコとした愛らしいシマエナガのぬいぐるみだった。

リノは

(かわいい。ありがとう♡)

と叶に伝え、さっそくそれをカウンターに置いてくれた。

ぬいぐるみは、まるで最初からそこにいたように店内の雰囲気に溶け込み、以前よりも森にいるような感じが増した。

叶が、久美子にキーホルダーを渡したことを伝えると

(そう。じゃぁ少しは進展したんだね。よかった。でも焦らずゆっくりでいいからね。叶ちゃんには叶ちゃんの、その子にはその子の、前に進むペースがあるから)

(うん)

叶は、最初に店に来た時にも注文したミルクティーをゆっくり丁寧に味わった。



週明けの月曜日

叶が昇降口に行くと、下駄箱の叶の上靴の上に手紙が入っていた。そこには、

「ありがとう。キーホルダー大切にする。                                                   河野久美子」

とだけ書かれていた。

叶は、その手紙をそっと鞄に仕舞い、靴を履き替えて教室に向かった。


叶が教室に入ると、清花や麻里香たちが

「おはよう、叶」

「叶ちゃん、ゆっくり出来た?」

など声をかけてくれた。

叶は、それにうなずいて返事をしながら、久美子のほうをちらっと見る。

久美子は、腕に頭を乗せて机に伏せていたので顔は分からなかったが、机の横に掛けられた鞄には、ちゃんとあのシマエナガたちがくっついていた。

(よかった)

もうすぐ冬が来る。冬の北海道は、きっとかなり寒いのだろう。あんなところで暮らして、シマエナガは大丈夫なんだろうか?と、寒さが苦手な叶は、余計な心配をした。