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それからも『山の屋』は、まずまずの繁盛をしていた。
あるとき、若い二人連れの女性客がロビーでお茶を飲みながら談笑していると、雲沢が来て物憂げに窓の外を眺める様子を見た。
女性客は、ヒソヒソ
「なんかあの人、怪しいよね」
「ホント。陰あるって感じ?ちょっと怖いかも」
と噂した。
それからも度々、雲沢が館内を歩く様子を良く思わない客が冷たい視線を浴びせたり、夜になると時々蜘蛛が徘徊しているのを見た客から、苦情が寄せられるようになった。
それはたとえば、このようなものだった。
「最近、全身黒ずくめの怪しい男がうろついているんだけど、大丈夫?」
「廊下を歩いていたら、蜘蛛がいて気持ち悪かったんだけど。ちゃんと掃除しているの?」
それを聞く度に、仲居たちや節子は
「あちらのお客様は、作家さんのようでして。訳あって、あのような格好をされているようでございますので、どうぞご安心ください。」
「館内の清掃は、徹底しております。ですが、古い建物なので時々虫も入ってきてしまうことがあります。蜘蛛は、こちらが何かしなければ特に被害をもたらすようなものではございません。私どもも十分に気をつけておきますが、どうぞ過度にご心配なさらないよう、お願いします」
と、客に頭を下げてまわった。
そのように、雲沢の姿を冷ややかに見ていた客や、虫を嫌って『山の屋』を徘徊する蜘蛛を追い払おうとしたり殺そうとしていた客には、後日何らかの良くないことが起こった。
一方で、雲沢の姿を見ても別段気にする様子もなく、自分たちの旅を楽しんだ客や、館内で蜘蛛を見かけてもそっと見守っていた客には後日、日常でささやかな喜び事が続いていた。
あるとき、客から
「なんかさ、隣の部屋から時々カリカリボリボリって、変な音がするんだけど。薄気味悪くて。ちょっと見てきてくれる?」
という、苦情とも依頼ともとれる連絡が入った。
音のする部屋というのは、雲沢の部屋だ。
「かしこまりました」
そう言うと節子は、不思議に思いつつ、様子を見るために雲沢の部屋へ向かった。
雲沢の部屋の前で耳をそばだてると、確かに客の言っていた通り、カリカリボリボリと菓子を食べるような音が聞こえてくる。
音が漏れ聞こえてくるのは、壁が薄いからだろう。
(小腹が空いて、間食でもされているのかしら)と思い、
「失礼いたします」
真意を確かめるべく、節子が意を決して雲沢の部屋に入ると、そこには先日、美千子が言っていたとおり、虫を食べる雲沢の姿があった。
「ひっ!!!!」
節子は驚いて、その場にへたりこんだ。
その瞬間、闇に溶けるように雲沢の姿が薄くなり、気づくと一匹の蜘蛛が部屋の外へ出ようとするところだった。
節子は、しばらく呆然としていたが、これまでのことが、まるでパズルのピースのようにカチッとはまっていくのを実感した。
深い息を吐いて
(あ~、そういうことだったのか)と、一人納得する節子であった。