朝―――

幸八の前には、和朝食が並べられている。配膳をした仲居の紗絵が

「ごゆっくり」

と立ち去ろうとすると、今しがた思いついたように、幸八が言った。

「今日は、天気がいいので『星の館ミュージアム』のほうまで、足をのばしてみようと思っています」

「『星の館ミュージアム』ご存じなんですか」

「えぇ。ひと昔前、一度だけこの辺りを訪れた記憶があります。たしか、そこのレストランで食事が出来たと思うので、昼はそこで済ませてきます」

「かしこまりました。あそこは、いいですよね。私もたまに、仕事の疲れを癒やしに行くことがあるんですよ。ぜひ、楽しんで来てくださいね」

「ありがとうございます」

そう言うと幸八は

「いただきます」

と手を合わせ、箸を手に取りゆっくり朝食を食べ始めた。


『星の館ミュージアム』というのは、寂れたこの辺りにしては、まぁまぁ有名な観光スポットである。

あらゆる写真家たちが撮った星空の写真が展示されている他、土産物としてポストカード、キーホルダー、各種雑貨の他、施設限定の菓子類なども販売され、

最上階にあるプラネタリウムも、観光客には人気があった。

まわりに高い建物がないこの地域では、たしかに夜になると満天の星空が望めるので、一部のキャンパーやライダーなどが、時々野宿をしていることもある。



幸八が身支度を整え、部屋の鍵を受付に預けると、近くで花を生けていた節子に声をかけられた。

「お出かけですか?」

「はい。『星の館ミュージアム』のほうへ行ってみようと思います」

「それはいいですね。どうぞ、ごゆっくり」

幸八は軽く会釈して外に出ると、明るい日の差す街へと歩を進めた。

青く晴れ渡った空に、一羽のトンビが悠々と弧を描いて飛んでいた。




節子の部屋には、先祖代々をはじめ、先代社長である義父、先代の女将の義母、若くして亡くなった夫の遺影が飾られている。

机に置かれた写真には、若い頃の節子と一緒に、元気だった頃の夫が笑顔でおさまっている。

ふと、その写真を見た節子は思った。

(なんだか、雲沢様に似ているような・・・)

「ふふ、気のせいかしらね」




『星の館ミュージアム』

しばらく歩いていると、まわりの景色には似つかわしくないお洒落な外観が現れた。白塗りのコンクリート壁に囲まれた重厚な建物でありながら、ガラス張りの窓からは、吹き抜けの明るい室内が見渡せる。上のほうには、プラネタリウムの丸い天井が鎮座している。


どこか懐かしそうな目をしながら、幸八が建物に入っていく。

一歩中に入れば、ここもまた白一色のシームレスなロビーがある。ここからガラス窓の外を見ると、その日の空をアートのように切り取った大パノラマが広がる。奥のほうには、レストランと売店が設置され、観覧後に客がくつろいだり、土産物等の買い物を楽しめるようになっている。


受付では、暇そうにしている若いアルバイトが、携帯電話をつついていた。幸八が近づくと、携帯を横に置き、だるそうに

「いらっしゃいませ」

とだけ言った。

幸八は、そんなアルバイトの様子は特に気にせず、入館チケットを買い、写真の展示コーナーへ向かった。

 写真の展示コーナーには、ありとあらゆる星空の写真が飾られ、空いっぱいに輝く満天の星空、タイムラプス、明け方に輝く星空など、たくさんの美しい作品が目を引いた。

ふと、幸八はある場面を思い出した。

それは遠い昔、一緒に『星の館ミュージアム』を訪れた妻の横顔だった。

長く美しいストレートヘアに、一点の曇りもない白い肌。妻は静かに微笑みながら、ため息交じりに一言

「きれいね」

と言った。

その時、幸八は思ったのだった。

(この星空に負けないくらい、きみも綺麗だよ)



売店に寄り、雑貨コーナーをのぞいてみる。

色とりどりの星を模したキーホルダーがある。小さな子どもが好みそうな品だが、大人の女性やカップルなどにも隠れた人気商品である。

幸八は、それらを見ながら何事か思案している。

一角に、ヘアアクセサリーを置いた棚があった。

(これだ!これならきっと、喜んでもらえる)

星形のモチーフが付いた髪飾りを手に取り、他にもいくつかの菓子を一緒に持ち、レジに向かった。


買い物を終えたところで少々小腹が空いたので、レストランに向かう。

客は、親子連れや一人客がちらほらいるくらいで、思ったよりも空いていた。

幸八は適当な席に座り、メニューを開いた。

ありきたりなカレーやサンドウィッチの他、懐かしのナポリタンやレトロプリンなどもある。

そういえば昔来たとき、自分はナポリタンを食べたことを思い出した。

ページをめくると、「スペシャルセット」という文字が目に入った。

(これは・・・)

昔、妻と一緒に来たとき、妻がそれを頼んでいたような記憶が、かすかにあった。

たしか、昔はホットケーキと飲み物だけではなかったか。当時は、それのどこがスペシャルなのだと怪訝に思ったものだ。

妻が注文したそれを食べるのを見て、幸八が

「きみは、そんなものでいいのかい?もっとたくさん食べていいんだよ」

と言うと、妻は

「えぇ、いいのよ。私は、すぐにお腹いっぱいになってしまうんですもの」

と、あまり裕福ではなかった幸八に遠慮して言ったのだ。

今の「スペシャルセット」は昔と違い、メインに星の焼き印がついたパンケーキ、サラダ、青と白の二層になった綺麗なデザートが一つの皿に配置され、セットの飲み物もコーヒーや紅茶に加え、ハーブティーやジュースなど、種類が豊富になっていた。

それだけ、豊かな時代になったということだろうか。

注文をとりに来た店員に、幸八は

「スペシャルセットとコーヒーを」

と、伝えた。




なかなかに美味い軽食を終え、腹ごなしに商店街を歩く。

この辺りの商店街は例に漏れず、多くの店がシャッターを閉め切っていて、営業している所が少ない。

たまたま開いていた土産物店に足を踏み入れてみると、温泉街によくある雑貨やおもちゃ類に混じって、土地独自のものであろう乾物を見つけた。

幸八が、まだ子どもの頃には馴染みがなかったその商品に少々驚かされたが、裏面の説明を読み(これはいい)と、迷わず購入して店を出た。




その夜、美千子は仕事を終えて帰宅しようとしていた。

書架スペースの椅子に座る雲沢の後ろ姿が見え、声をかけようと近づいた。

「あら、雲沢様。まだお休みに」

(ならないんですか?)と言おうとしたところで、雲沢が振り返った。

が、その口には数本の長い虫が、まるでかっぱえびせんのようにくわえられていた。

それを見た美千子は

「ぎゃ~~~~~~~~!!!」

と、慌てて節子のいる部屋に飛んでいった。

そのおぞましい姿を見られた幸八は

(ん?)と、遠ざかっていく叫び声を不思議そうに聞いた。




そろそろ寝ようかと寝間着に着替え、おろした長い髪を櫛で整えていた節子は、真っ青な顔で部屋に入ってきた美千子を心配そうに見つめた。

「どうしたの?そんな怖い顔をして」

美千子は、息も絶え絶えに

「お、女将さん、大変です!書架に、雲沢様がいらしたので、声をかけようとしたら、く、くも、雲沢さまが・・・む、虫を、食べて・・・はぁ、はぁ」

「え~、まさかそんな」

「と、とにかく来てください!」

仕方なく、美千子と一緒に書架へ向かうが、そこには誰もいない。

「ほら、誰もいないじゃない。きっと疲れているのよ。今日はもう帰って、ゆっくり休んで」

と、美千子の肩に優しく手をかけた。

「え~、私、夢でも見ていたのかしら」

 節子が部屋に戻ろうとすると、一匹の蜘蛛が横切るのが見えた。

(あら、あんなところに蜘蛛が)

節子は、蜘蛛は悪いものではないと知っていたので、きっとどこからか入り込んだのだろうと、特に気にしなかった。


翌朝、美千子から電話があった。

「なんだか、昨夜から体調がすぐれなくて。食欲もないんです。しばらく、仕事を休ませてください」

「あら、大変。風邪でもひいたのかしら。しっかり栄養のあるものを食べて、よくよく休んでね。こっちのことは心配しなくていいから」

節子は、今日の仕事が終わったら様子見がてら、美千子にスイーツでも持って行こうと思い立った。