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Reflective Journal by Megumi Nishikawa

Student at the University of Arts London,
BA (Hons) Theatre & Screen: Set Design for Screen

西川恵と申します。
ロンドン芸術大学で映画のセットデザインを学んでいます。

この記事はオフィシャルブログからの引用です。

竹の柵の素材(即写寸言より)

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角度調節をしました。

提灯も付け足しました。

桜を植えていきます。江戸吉原では春になるたびに、他所から上質な桜を持ってきて植えたそうです。(MIRACLE PHOTOSより)

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角度と色彩を調節

夕暮れの空の素材を拾ってきます(Photo Blog Premier Quartierより)

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ペタ

色彩を調節

看板の存在を忘れていました… (思いついた記より拝借)

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まず素材の看板の文字を消して、暖簾のときと同様タトゥーの写真から文字を切り取ります。

それで貼付けて、彩度や明るさ、色彩を調節して光を点します。

二階の窓も同様、明かりを点します。

一つ一つをMagic Wandで選択して、色彩、明るさ、コントラスト、彩度などを調節すると…

光が灯ると周囲が明るく感じたので全体的にトーンを下げて、コントラストをきつめにして一気に夜にします。提灯や電灯の光もさらに強めます。

夜ということで月をつけましょう。(胃切除後の日常生活より)

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雰囲気が出てきました。月があがってきた方向と太陽が沈む方向が同じということには触れないでくださいw

中が真っ黒けっけではへんなので玄関の中を入れます。(楽天トラベルより)

角度調節をして、

色彩を調節して、暖簾の下に隠します。

不要な部分を消して、暗くして出来上がり。

より自然になるように桜の花びらも足してみました

そんなこんなで完成です!!

外観

次はインテリアに進みます。

拡大写真は【こちら】で見られます

張見世をつけていきます(「meijishowa」より)

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ぺた

色彩や角度など調節するとこうなります。

余りの壁をつくっていきます(ちょっと疲れたから雑ですが)

提灯の素材です。(「大阪Deep案内」より)

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つけたらこうなります

外周を作っていきます。砂の素材です(「早春の京都」より)

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かなり省略しますが、こんなかんじ

色の調節をして

 

明日へつづく

拡大写真は【こちら】で見られます。

前回のつづき

「妓楼」で検索して出てきた美しいガラス窓の写真を拝借 (モノには限度 フロには温度より)

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前回と同様、Polygonal Lessoツールでコピペ。から角度&遠近感を調節。あと歪んでいたのでWarp機能を使って歪みも調節ました。

あと歪んでいたのでWarp機能を使って歪みも調節しました。

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隣の壁も同様に、

でも室外機のパイプと、電柱が映り込んでいたので、スタンプツールで削除

反対側の壁もガラス窓にかえます。

室外機をスタンプツールで削除

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そのんな感じで正面の壁もコピペコピペを繰り返します。

 

 

できました。

最後に色彩調節をしてガラス窓は完成。欄干に移ります。

欄干の素材です。(「小路・路地裏・横丁ファイル」より)

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画像から欄干の部分だけを切り抜いて

ぺたぺた貼っていっては、明るさや角度調整をしていきます。

できました。

 

 

 

次回へ続く

拡大写真は【こちら】で見られます

ベースになる素材(ストリートビューから拝借 )

 

ネットでいい感じの角度の唐破風の玄関の写真を拾ってくる (「迎春の飛田新地2」より拝借)

唐破風屋根の部分だけ「Polygonal Lesso Tool」ツールで切り取り、Distortで遠近感を調節

 

暖簾のいい感じの画像を拾ってくる(「京都:京都de日記」より拝借)

 

赤い壁が嫌なので、彩度を下げて白い漆喰風の壁にする。

黒い腰板(っていうん?)の部分を唐破風の画像の木目の色とマッチさせる。適当にコントラストとか明るさを調節したり色彩を調節したらある程度近づく。

 次回に続く。

ついでに暖簾の色もより明るく赤くする。

 

 

暖簾の店名を変えたいので、一旦元々の文字を、スタンプツールを使って消していく

 

こんな感じ↓

店名は自分のタトゥーを使いたい(笑わないでw)ので写真を取ってフォトショップでmagic wand toolで切り取る

 

色彩を暖簾の色に合わせて、角度や遠近感を調整

暖簾の切り目に合わせて消しゴムで消す

 

 

まだちょっと文字が浮いて見えるので、透明度を調節して馴染ます

 

できました

 

現在大学で行っている課題のプレゼンの内容です。

I was curious about the Japanese sex industry especially the culture of prostitution. So I started to research about the red light district including the history, the system, and people who involved in the culture.
日本の性産業について非常に関心があったので、遊廓(赤線)の歴史やシステム、そして取り巻く人々について研究をしました。


I decided to stick on the the red light district as soon as I started this project, especially around the 2nd world war. This picture were taken in 1950, and the prostitution was essential culture for both female workers and working man in this period.この課題が始まって間もなく、遊廓(赤線)を研究課題にすることは決めており、特に戦後の遊廓について興味がありました。以下の写真は昭和25年に撮影されたもので、遊廓(赤線)は働く女性にとっても男性にとっても不可欠な文化でした。


However it was hard to find the images from that period as photography were not permitted in the area. This was taken recently in the Tobita red light district in Osaka, but the style of the architecture in red light district haven’t changed much since 19th century.
しかし、女の子の写真を撮ることはタブーであるので、この時代の遊廓(赤線)の写真を入手するのは大変難しいのです。以下の写真は数年前に大阪の飛田新地で撮影されたものですが、建築様式は江戸時代の遊廓建築から見てもそれほど変化はないと感じます。


So, I decided to mix the period through 19th century until about 1950s. but I would set the period around 1930s in spring, because it was the last decade when Japanese sex workers were wearing kimono, then they started to wear westernized dress for US army.
ということで、江戸時代末期~戦後にかけての建築様式をミックスさせて、あくまでも設定は昭和初期の春に拘ることにしました。何故その時代かというと、そのへんの時代が着物の「女の子」をお目にかかれたギリギリの時代だからです。その後、パンパンガールの影響でしょうか、どんどんワンピースなどの洋服にシフトされていったようです。

I watched this film call In the Relm of the Senses, which is about the murder who was a prostitute in 1930s to get some inspirations what the red light district like in 1930s. The story was too pornographic compere to Dracula.
私の一番お気に入りの映画である「愛のコリーダ」を見て、その時代の遊女の雰囲気を得てみようと思ったのですが、ドラキュラ(1992)に比べると少しポルノの要素が強かったかと思います。


but I found there were lots of similarities between the Dracula and this film including the story, set and costume. That is a kind of a reason why I choose the red light district. Because the erotic atmosphere would matches the theme of Dracula.
とはいえ、ストーリーやセット、コスチュームなど共通するものは多くありました。それが遊廓(赤線)を選んだ理由の一つでもありますが、そのエロの要素がドラキュラのテーマにとても合うと思います。


At the moment I’m not really sure about the story, and trying to focus on the production design. But kinda have rough idea that the Dracula would be the ;owner of the brothel, and Mina and Lucy is sex workers. And Jonathan is one of their clients who is trying to help Mina and Lucy.
今のところ主にセットデザインに力を入れており、詳しいストーリー設定は決まってはいないのですが、ドラキュラが妓楼の主人、ミナとルーシーが遊女、ジョナサンは二人を救おうとする武士のお客という設定になるかなと考えています。


Before I design proper set I researched the history and system of the Japanese red light district. The history of prostitute in Japan started in ancient times and became more common since 17th century when the government built the Yoshiwara pleasure quarters in Edo.
セットデザインを固める前に、まず遊廓(赤線)の歴史について調べてみました。日本の売春の歴史は長く、古代にまで遡ります。一般的になったのは江戸時代に入り幕府により吉原遊廓が開かれてからでした。


This is a old Japanese panel screen from British museum, which illustrates the prostitutes displaying room in the brothel. Through this painting, you can see how girls were waiting for a clients. High class prostitute were sitting on the red carpet in the middle, and lower prostitutes were around the window.
これは大英博物館に展示されている、吉原遊廓の張見世を描いた屏風です。この屏風から遊女がお客を待っていた様子を伺えます。花魁は中央の赤い絨毯に腰掛け、その他の遊女は格子窓の周りに座っています。


These are some of the props I gonna include in the design, such as this curtain with the brothel name on it, and this Japanese heating pot was important tool in the cold spring whether and off course the lattice window which was the symbol of the red light district.
以下がデザインに加える小道具類です。例えば、妓楼名が書かれた暖簾や、寒い初春の部屋を暖める火鉢、もちろん格子窓も遊廓のシンボル的なものですね。

This is the example of traditional architecture of brothel build in 1918. The Japanese lantern hanging on the window is sigh that its open. And this red handrail is symbolic decoration of its kind. Also this exaggerated entrance is important to welcome the costumers.
典型的な遊廓建築の例です。 大正7年竣工の飛田新地の百番(妓楼時代は桃山閣)。窓には赤い提灯が下がり、美しい欄干が目を引きます。また唐破風の玄関もお客さんを迎えるのに重要な役割を果たしています。


This is my location a house in Brixton, the reason I choose here is this house has various unique shame which can transform into Japanese brothel. Such as the window on 1st floor could add the handrail, and the large windows in ground floor can be the prostitutes displaying room, and the entrance could be this style.
これがロケーションの元になります。ブリクストンにある住宅ですが、この場所を選んだ理由は、日本の遊廓にトランスフォームが可能なこの家のユニークな形にあります。例えば二階の窓の部分に欄干を付けて、一階の窓は張見店にできます。そして入り口は唐破風の玄関にします。


This is a brothel in mid 19th century in Yoshiwara pleasure quarter, as you see they also have the red lantern on the window, also the shop curtain with the brothel name on it. The cherry blossom in the middle of the main street were plant every April so nothing in there in other season.
これは幕末の吉原遊廓です。この頃から赤い提灯や暖簾がありました。中央の桜の木は春になると他所から持ってきて植えるのですよ。


This is the large brothel in 1890 in the same pleasure quarter. As the Tibita red light district still have, this brothel already had this exaggerated entrance and this beautiful handrail on the window. Also the lattice window along the street for the displaying room.
これは明治に入ってからの吉原の大きな妓楼です。飛田の百番でもあったように唐破風の玄関や窓際の美しい欄干、仲之町の本通りに沿って並ぶ張見世が見えますね。


I also find similarities between Dracula and Japanese culture, for example, as Eiko Ishioka who designed the costume, has a Japanese background, so many of her works were inspired by the oriental culture, such as the costume for wedding dress is very similar to Japanese traditional wedding costume.
お話は変わって、ドラキュラには日本文化に近いものを感じます。例えば、コッポラのドラキュラの衣装担当をした石岡瑛子さんのデザインは東洋の影響を強く受けています。ドラキュラに登場するルーシーのウェディングドレスも日本の白無垢によく似ています。


This is the example of the High class prostitute, they wear the kimono girdle the other way around to easier to take off the outfit. Also their hair accessories were very decorative and had big hair style. These kimono and accessory were normally given by the patron.
花魁の写真です。ご存知の通り帯を前後ろ逆に付けているのが特徴ですね。帯が前の理由は脱ぎやすさを重視しているとか、一夜妻の証であるとか、いろいろな説がありますね。髪飾りがとても派手であることも花魁ならではです。

These girl were often sold by their poor parents who is a farmer in countryside when they are around 7 years old, and the girl needed to lean various thing to entertain the clients until they became 15. Then they can start to work as a sex worker until 27 years old.
彼女達は主に、7歳くらいで貧しい百姓の家庭などから売られ、15歳頃になるまで芸事を学びます。それからはお客さんの相手をし、10年間の契約で売られた時の借金を支払っていきます。27歳が定年だと言われています。


This is the Yoshiwara pleasure quarters in 19th century from the gate. The sex workers were not able to get out from the gate likely until they die or get married with clients and clients need to pay very large amount of money to get married with the girl, so it was very rare to get out for the gate.
これは吉原大門から仲之町を見た風景です。遊女達は基本的に死ぬまで門の外に出ることは許されていませんでした。唯一の手段は結婚でしたが、遊女と結婚をするには全ての借金を肩代わりし、多額の金額を納めなければいけなかったために、幸せに結婚して出れる遊女はほんの一握りでした。

Girls were hardly get any salary because the most of the payment from the clients goes to the owner as he paid large amount of money for her parents. So these sex workers were died young due to hunger, or sexual disease. Also as Japanese people haven’t used a condom until 1950s, many sex workers died due to abortion.
花魁といえば華やかなイメージがありますが、現状は甘くは無く、お客が支払った代金の殆どは妓楼に回り、女の子達の給料というのは非常に少なく、飢えや梅毒などに苦しむ日々だったそうです。日本では戦後になるまで避妊具は珍しいものだったので、荒々しい中絶法によって命を落とすものもおりました。 ↓梅毒にかかった遊女。

On the other hand, the sex workers in the pleasure quarter were like superstar or like fashion model for the people in the town. Because in 19th century Japanese government made a law that ordinary people shouldn’t wear any colored clothes, so people were enjoyed to see the costume.
一方、江戸の町娘にとっては花魁はファッションモデルのような存在でした。当時は幕府により女子のオシャレには規制があったため、より花魁が芸能人のように見えたのでしょうか。


「ぺちゃくちゃ」という20枚のイメージ×20秒のスピーチという形式だったので中途半端な終わり方になってしまいました(^^;
そしてあまり知識を詰め込めていません。日本人にとては誰もがしっているであろうことばかり書いていますが、イギリスでの反応は、まさか先進国の日本にそんな文化があったなんてととても驚いていました。
Oyster, Pear and blue cheese salad, Foie gras terrine, and Creme brulee. Love.

牡蠣、洋梨とブルーチーズのサラダ、フォアグラのテリーヌ、クリームブリュレ。誕生日くらいは贅沢せんと♡





ファッションデザイナーのLucyと、(元)俳優のAlanと食事をしました。
ティーンエイジャーの頃は一緒に夜遊びをした友人達です。そんな私もすっかり24歳です。

Lucyの手がけるファッションはガーナのバックグラウンドや、ロンドンの斬新さ、様々な文化の影響を得ているので、オリジナリティに溢れています。
⇒作品を見る



Alanは多くの映画や舞台に出演していて、プライベートでもとてもアクティブな方です。
現在は俳優を辞めています。



演じている時の彼はとてもかっこいいですね。


2年生になりました。
そして今までの教室よりも何倍も大きな教室に移動になりました。

写真よりも広さが分かるようにわざわざ図って間取りを書いてみました。
こんな教室です。


エレベーターもついているので大きな作品や荷物の移動にも便利です。
ただ広すぎて寒すぎます(^^; そしてwi-fiが弱いのが致命傷です。

コンセプトデザイナーとして参加した韓国映画「100gram」が、カリフォルニアで開催されるモナーク映画祭2013の公式上映作品として選ばれました!
I just received great news from Jo who is a director of the film "100gram", which I worked as a concept designer, has officially selected for the Monarch Film Festival 2013 in California!

●Trailar/予告編⇒http://goo.gl/NYRR2d

●Watch Film/映画を見る⇒http://goo.gl/YRjLYT

●Official page for "100gram" on MONARCHFILMFESTIVAL.COM/ 映画公式ページ⇒http://www.monarchfilmfestival.com/one-hundred-grams




大英博物館へ歌川豊春による「角玉屋図屏風」を見に行ってきました。
ウェブサイト

江戸の中心から徒歩一時間、大門で刀を預けたら、さぁそこには吉原遊廓仲之町。
かの吉原遊廓にあった角玉屋という妓楼の顔見世を描いた屏風絵です。
描かれたのは天明年間初期(1781-89年)ころだと言われています。
歌川豊春による六曲屏風は他には残っておらず、江戸時代に描かれたこれほど大きい浮世絵といのは非常に珍しいので、イギリスでお目にかかれるとは素晴らしいことです。
これまでは大英博物館の日本エリアに展示されていたそうですが、今回は春画展に合せて特設展示コーナーにて吉原の歴史や文化の紹介と共に展示がされてあります。

画像:住友財団より


この作品は作画から2世紀もたっており元々はこれほど劣化が進んでいたものを、大英博物館が当時ニューヨークのメトロポリタン大学で修復師を努めていた阿部光博に以来し、2000年の8月より5ヶ月かけて修復が施されたそうです。

修正後  British Museumより

修正過程
修正箇所をマークしている

膠を塗っている

古紙を日本の糊で裏に貼り付けている


日本の屏風というのは手前にも奥にも折りたたむことができるので、とても複雑な加工が必要なのですね。

私は高校も芸術学科に在学していましたが、恩師は国内外の寺院の修復に携わる修復師でした。歴史価値のある美術品や建築物の修復というのは失敗の許されない繊細で責任感が必要な仕事ですが、その反面、修復により本来の姿を蘇らせ、閉ざされていた秘密を解き明かすことができるというとても素敵な仕事なのだなと本当に修復過程を見ていると涙が出そうになります。

絵の解説

この角玉屋図屏風は、張見世の様子を描いたものです。
この絵に描かれた妓楼が角玉屋というのは籬(まがき:格子)の外の暖簾で分かります。
ちなみに遊女の顔の白い部分は日本人形の絵付けにも使われる胡粉で描かれたそうです。
画像:British Museumより

角玉屋では一日に2度 張見世に座ったそうです。花魁は、振袖新造たちに囲まれ赤い絨毯に腰掛けました。(赤のサークル)

絵に描かれている花魁は、翼を広げた鶴が描かれた漆塗りの箱から濃紫太夫と特定されるそうです。が、「濃紫」という名前は遊女の源氏名としてよく使われたようで、三浦屋抱えの濃紫さんや、調べてみると沢山いすぎて生い立ちまでは分かりませんでした。

↓写真:角玉屋抱えの濃紫さん。知的で気品に溢れており、やはり太夫の名に恥じない美貌です。
鳥居清長(栄之派) 角玉屋濃紫 画像:江戸倶楽部より

北尾政演 吉原傾城新美人合自筆鏡 画像:千葉市美術館より

上記の濃紫の和歌:
年のうちは名のみなりしを新玉の春を待ち侘て立つ霞かな

青楼名君自筆集より


遊女の揚げ代(揚屋に呼んで遊ぶときの代金)は籬の種類によって分かれており、揚げ代の高価な見世程顔が見えづらく、ランクの低い見世は顔がよく見えるのです。
画像:遊女屋の様子より

十返舎一九著、喜多川歌麿画の吉原青楼年中行事をみると通りから見るとこのような感じです。これは半籬に値するようです。(展覧会からの引用ですが妓楼名はありませんでした)

絵からよると張見世では思ったより自由に過ごせたようで、映画の世界で見るような正座を座って張り詰めた様子で待っているようには見えません。新しい発見です。
右手の遊女は折り紙を折っている。真ん中は転寝中… 左手の遊女は三味線を弾きながら外の客の様子を見ているのでしょうか?

この遊女の絹のお着物はパトロンよりプレゼントしてもらったものでしょう。


吉原には年中様々な行事がありました。廓の年中行事
日本という国はとても面白く、世界で最も季節が人々の生活に密着している国です。
毎月様々な行事が執り行われ、季節によって道具や内装を変えたり、その様子で季節が特定さえされます。
展覧会では春と断言していましたが、私のこの絵は春より少し前の雨水(雪が雨に変わる頃:現在の日付で2月~3月)の時期ではないかと思います。何故かというと、この中国風のデザインが特徴的な火鉢が必要な季節であるということ。江戸時代の江戸はとても寒かったというお話を聞くので雨水の季節もきっと今より3℃~5℃程気温が低かったのでしょう。

そして、振袖新造のひとりが雛人形にお着物を着せて楽しんでいる様子です。昔は雛祭りというのは流し雛といい、人々の穢れを雛人形に託し、川に流し水祭りをしていた為、雛人形が手元にあるということは雛祭りよりも前の季節ということです。ちなみに和暦の3月3日は現在の4月頃です。



吉原についてのウンチク

遊女の値段
展覧会での説明によると遊女と遊ぶには5両1分(15万円程)と書いていますが、以下のサイトではこう書いてあります。
太夫(上級以上の遊女)の場合、1両1分(約10万円)
中級程度の遊女は、3分(約6万円)、
その下の遊女は2分(約4万円)です。
吉原の街の両端にある「河岸」の時間売りの「切り見世」の遊女では、100文(2000円程度)でした。
「切り見世」の遊女は酒を勧めたり、と何とか延長をさせて結局は8000円程度をお客に支払わせたそうです。
ちなみに吉原以外で夜鷹などの流しの遊女になると24文(500円程度)でした。
中級以上の遊女と遊ぶには、「馴染み金」が約2両2分(20万円程度)かかります。
その6割が遊女へ、4割が見世の懐に入りました。
その他酒や食事などの料金を含めると「馴染み」になるまでに総額40万円~50万円かかります。
PINKのhomepageより

暮らし
吉原の遊女の大半は貧しい家庭より売られてきます。前借金で買われ、約10年間の契約で遊女として働き、そこから借金を妓楼に返済します。
遊女は華やかな世界に見えますが、その生活は豊かなものではなく、栄養失調、梅毒や淋病、折檻など多くの苦しみがあり、妊娠をすれば堕胎しなくてはならず中条流と呼ばれる中絶専門医がとても荒っぽい方法で堕胎をさせました。この荒っぽい方法のせいで命を落としたり体を壊した遊女も多くいたそうです。そんな背筋も凍る方法を遊女は平均で5回も堕胎を経験しているそうです。書くのも悍ましいお話です。

梅毒
しかし吉原では不治の病であった梅毒に感染すると妊娠をしにくくなるため、一人前の証とも言われたそうな。男性にとっても梅毒は女性経験の多い証ですから一人前の証だったそうです。そんな恐ろしい梅毒を持った遊女が毎日お客の接待をするのですから恐ろしい話です。脱毛していく様子なんかも打ち萎れて美しいなんて言われたそうです……
梅毒は当時、死に到る恐ろしい病気だったため、末期に入り髪が抜け落ち、醜い容姿になり、そうなると「鳥屋につく」と呼ばれ、一時的に症状が良くなれば働くことができますが、症状が悪化するにつれて命尽きるまで静かに苦しむしかなかったそうです。
ランクが下の遊女は物置に追いやられ食事も満足に与えられず死を待つしかなかったそうです。悲しいお話です。

廓言葉
様々な映画やドラマで花魁が使う廓言葉ですが、各妓楼によって違いがあったそうですよ。

「こんなこんな」や「おまえさん」というのは角玉屋の言葉だそうです。
世の中で一番「おまえさん」のセリフが似合うのは愛のコリーダで阿部定を演じた松田英子です♡
京の島原遊廓から移ってきたこの独特の言葉遣いですが、目的は方言やなまりを隠すためなのです。吉原は男に幻想を与える場所ですから、やはり吉原の遊女は気品に溢れ、都会的な女性であってほしいとの願いが込められている言葉遣いなのでしょう。


次回は同じ大英博物館で開催されている「春画展」の感想を書きます。