毒親育ちの私の子育て①
色々やっかいになってきたな・・・と思いはじめたのは娘が3-4歳になった頃。
夫婦仲は当然冷え切っており、離婚までのカウントダウンな頃でもあった。
娘の口も達者になり、できることも増え、今までのように私の言うままにならなくなってきた。
公園に行っても帰らないと言ってみたり、みんなと走り回るよりじっと砂遊びをしていたり。
今となっては「別にええやん」と思うことに私はいちいちイライラして帰り道
「みんなと走り回って遊ばないとダメ」
とかわけのわからん説教を娘にしてしまうとか。
家の中でも、コップのお茶をこぼすとか、急いでほしいときに急いでくれないとかそんなことでついたたいてしまったり。
いつもの量ご飯を食べないことを怒ったり。
保育園のお弁当の日に作ったお弁当残してきたことを怒ったり。
で、怒ってその1-2時間後に自己嫌悪。
でも、子どもに謝るということができない。
完全毒親スイッチ入ってる![]()
自分が母のようになりかかっているという恐怖と、それをどうにかしなくてはいけないのにできない自分と、その中で何の問題もない風に取り繕っていくギャップと・・・
色々あって疲れ果て、2週間ほど入院することになった。
入院したらしたで、母は夫が私のことをちゃんと扱わずにメイドだかお手伝いさんみたいに扱うからだと言ったり、私がワガママだからだと言ってみたり。
病院=他人の目がある場所なので、そりゃもうほぼ毎日くらいかいがいしく世話に通ってきた。
娘を心配して心を痛める母に酔っている姿は、そりゃもう気分が悪かった。
でも、そんな母が優しくしてくれることが嬉しく、どっぷり依存していた私。
夫は娘の世話は不慣れながらもしてくれて、保育園に迎えに行った帰りに毎日キッカリ15分だけ病院に寄ってくれた。
その間、私と夫の間で会話はなく、娘と私が話をしたり絵本を読んだりして15分経ったらとっとと帰る。
娘がもうちょっとと言おうが、私がここまで絵本読んでからと言おうがお構いなし。
今思えば、私も夫も母も、3人み――――――んなおかしい・・・![]()
退院して、元の生活に戻ったものの、夫の猛反対で仕事を辞めざるを得ず。
「そんな、急に入院とかする人が仕事なんかできるわけないやろ」
っていう当時の夫の言い分もなんかヘン・・・![]()
挙句の果てに、入院中に娘の世話とかしてもらったお礼を言うと
「あなたのせいでオレの社会生活がめちゃくちゃになった」
と言われる始末。
あ、離婚しよう、と思ったのはこのとき。
そこから具体的に離婚について考え、親権を手放すことが自分にできるのか考える日々が続いた。
母に相談すると、母は「あんな人とは別れたほうがいい、人の痛みもわからんでから」と言い、当時、母が人に貸していたうちに私が住むといいと甘い言葉をかけてきた。
でも、今までも、母の手を借りたいときにはことごとく裏切られてきていたので、近くに住むのは私の心がもたないと思ったので、さすがにそれは断った。
それに、夫の持ち物である当時のオートロックのマンションでさえ、合鍵を使って何の連絡もなくやってくるくらいなので、夫がいなくなればなおのこと我が物顔で入ってきてあれこれ言い散らかされると思うと考えただけでもうんざり。
今まで、離婚の話が出るたびに親権は渡さないと言っていた夫も、さすがに具体的な話になったときには、自分に育てられないことがわかって娘は私が引き取ることになった。
しかし、うちのものは一切持ち出すな、夫の両親にも言い出したあなたが悪いんだからちゃんと話をしに行け、養育費についても公証人役場で書類を作ってもらいに行って
「養育費以外にご夫婦共同で築いた財産などはどうされますか?」
と聞かれたときに
「そんなものはありません」
とバッサリ言い切られた。
このときは、あともう少しの辛抱だからもうどうでもいいや―と思っていたが、ずいぶんな話である。
なかなか大変ではあったが離婚が成立し、私は、母から物理的な距離をとることを選んで生まれ育った町を離れ福岡へ娘と移住。
つづく
