「自然災害もコロナ禍も、本当はシミュレーションできること」
「想定外」という言葉。
東日本大震災の津波の高さでも言われ、大きな出来事や災害があると耳にします。
”想定”はいったい誰が決めているのでしょうか。
「もしも…」。
2008年発行の「世界の環境地図」という本が手元にあります。
地球温暖化を懸念し、地球で起きている問題がいろいろ書かれていますが、内容は今と同じ事。
ただし、変わらず続くこと、悪化していること、新しく加わっていることがあります。
ごみ処理とリサイクルのページにはまだマイクロプラスチック問題の浮上はなく、SARSやMERSを含むコロナ感染症もありません。
感染症のウィルスは変異するから、グローバル化した中で発生すれば大変なことになる、という会話は、SARSの時にありました。
あの頃、環境問題が取り沙汰されましたが、何かにもみ消されてきた気がします。
当時から、地球温暖化への対策の必要性を説いていながら、それに反して「温暖化ではない」という学者層は、今でもそれを主張します。
方向性の分断で、10数年経っても温暖化対策が遅々としていました。
かなり前から、農地での水資源の涵養を河川の水の管理として考えたり、かこさとし氏の「川」の絵本のように、水の流れから想像力に訴える危機管理が想定を持って伝えられていました。
各地には災害を記録する記念碑や、災害を想像できる地名もあるのです。
福島原発事故も、コンクリートで覆われた地上の暑さも、想定できること。
想像を打ち消し、方向転換から目を背け、安穏としてきた社会。
新型コロナ感染症も同様に、「風邪と同じ」「若者は重症化しない」という初動の説は行動に緩みを与えました。
目に見えて現れている現象、姿、データが揺るぎない現状…。
現実を正面から捉えることが、その先の想定の現実性を高くします。
「何かを守るために、間違っていても選択する」という、利権との混迷が想定を低くする要因。
想像の中では仮定できることも、視野から外して都合を優先することで、後に「想定外」という言葉にすり替えられることが多く感じます。
「ワクチンを打てば安心」というワクチン推奨は、「ワクチンを打ったから会食をしよう」というワクチン万能のような気の緩みを生み出したのも想定内。
オリンピック開催で感染者が増えるのも、想定内。
本当は分かっていたことを、想定外にすることは、「仕方がなかった」と言いたげな居直り?
ワクチン万能思考より、治療薬が重要だと思えます。
ワクチンを何度も打って、量で対処する選択は本当に正しいのか…。
アルコール消毒で常在菌を含むあらゆる菌を殺して人間を“清浄豚”状態にしている中で、違う菌や病気と闘う免疫力を無くしてしまうことも、次への懸念です。
土壌病害も、消毒によるブーメラン現象が起こる実例があります。(消毒することで、菌による緩衝能がなくなり、病害が激発生すること)
「こうすれば、こうなる」という判断が、人の命より利権で動くようなことは無しにしてもらいたいと願うところです。
自分で自分を守る覚悟で生きることは、”自助”を求める国に住む人の意識の基本です。
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