「“尊厳死”と“安楽死”の違いを考えながら…」

 

地元佐久総合病院の医師でありながら芥川賞を受賞した作家、南木佳士氏原作の映画「山中静夫氏の尊厳死」を観てきました。

延び延びにしていましたが、一日1回の上映になり、見逃しそうなので昼下がりに飛び込み…。

地元で撮影され、終末期を扱っていることもあり、中高年の観客が多いようでした。

       ★「山中静夫氏の尊厳死」HP

         http://songenshi-movie.com/

 

 

末期がんを宣告され、故郷にある病院の浅間山を臨む個室で最期を迎える主人公が、理解ある主治医によって尊厳死を叶えた物語…。

担当医の「尊厳死と安楽死は違うのだ」という言葉が印象に残り、観賞後、考えてみました。

 

死に向う恐れや不安から、何度も「楽にしてほしい」と願ったのは、

「死なせてほしい…」ではなく「今の痛み(苦しみ)を取り除いてほしい」という事で、

“目の前のことに立ち向かって生きる”ための(前向きな)望みなのではないのかと。

 

思えば、これは自殺の場合にも通じることで、

「死にたい」のではなく、「目の前の苦しみがなくなれば、生きられる」

“生きたい…!”のではないのかと。

 

苦しみの中にいると、ただ「楽になりたい」と思います。

目の前を塞ぐ壁を乗り越えると、楽になる…、そして、また次の壁に塞がれ、また乗り越える…。

苦と楽を繰り返して、振り向くと進んでいる自分がそこに居る。

人生は一度きりで、長かれ短かれ、必ず終わりがきます。

 

最期くらいは自分の求める生き方(死に方)で…。

心が求めるものを殺さず、自分の意思を大切に生きる…。

それが人生なのかも、とイメージして、今は低くみえるようになった目の前の壁(課題)を越えようと思います。