「弱き者を助ける、民間同士の助け合い」

 

この夏、埼玉の叔母の遺品から、生きた軌跡として遺してあげたいものを選んで持ち帰りました。

家を継いだ叔母の遺品の中には、祖父母の遺品もあり、家財整理の業者が入る前に数回行って、とりあえず運び出しました。

額に入った賞状や感謝状は20以上。

丸めたものも何枚かあり、片づけるために、まず写真に収めて、保管をしました。

 

 

古い額の中の書状から、祖母が民生委員をしていたことを知らされました。

昭和23年4月1日発行。

昭和21年に公布された民生委員令がこの年に廃止され、民生委員法が公布されています。

祖父が野辺山開拓農業協同組合の理事として地域の教育環境も整えようとしたように、祖母も民生(児童)委員として、何らかの活動をしていたことをあらわしています。

後に、広島の復興に関わり、埼玉に落ち着いてからも自宅で塾を営み、民生委員も務めていたようで、民間の福祉活動を貫いていたことが分かります。

 

民生委員制度の前身である「方面委員制度」を創設した小河滋次郎氏は、長野県上田市出身の法学者。

刑務所の運営や、受刑者の社会復帰を支える「監獄学」の研究者です。

岡山県で大正6年に生まれた「済世顧問制度」が、翌7年に大阪知事に招かれた小河氏によって方面委員制度となり創設されています。

「弱き者の友たれ」という小河氏の理念は、住民同士の助け合いを支えとしています。

 

亡くなった叔母も、祖母とともに民生委員・児童委員として活躍していたのが、たくさんの賞状に示されています。

また、刑務所でペン習字を教えたり、短歌や俳句をまとめた記録もありました。

今年、制度創設100年の民生委員制度。

叔母の遺品の数々から、細やかな民間福祉の心を感じ、制度と活動を見直しました。