神様からの招待状
マタイ11:25〜30
そのとき、イエスはこう言われた。
「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。
これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、
幼子たちに現してくださいました。
そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。
すべてのものが、
わたしの父から、わたしに渡されています。
それで、父のほかには、子を知る者がなく、
子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、
だれも父を知る者がありません。
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、
わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、
あなたがたもわたしのくびきを負って、
わたしから学びなさい。
そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、
わたしの荷は軽いからです。」
今日のメッセージのタイトルは、
神様からの招待状です。
イエス様の言う「幼子たち」とは、
イエス様のメッセージを素直に受け入れる人のことです。
幼子の持つ心の柔らかさと、
実際にイエス様のメッセージを受け入れることによって、
神様の子どもになることを教えているのです。
(ヨハネ1:12)
「子が父を知らせようと心に定めた人 」というみことばは、
とても素晴らしい表現です。
この箇所を、注意深く読むと、
父なる神様を知ることができるのは、
イエス様が心に定めた人です。
イエス様が、私たち一人一人を
心に定めているのです。
イエス様の決定事項なのです。
偶然、救われたわけではありません。
神様からの招待状の内容とは、何でしょうか?
第一の内容は、
1 イエス様のもとに来て救いを受けることができる。
私のところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
安らぎを持つということについて、
二つの意味でそうなのです。
福音を聞いて、イエス様を信じる時、
このみことばは、成就します。
イエス様を信じて生きることは、
真の休息を経験するのです。
イエス様は、私たちを休ませることができます。
永遠のいのちを与え、永遠の希望をもたらします。
私たちの心に平安が与えられます。
もう一つの意味は、
毎日の生活の中には、さまざまな出来事があります。
予期せぬ出来事も起きます。
そのような時、心の平安を失いますが、
「わたしのところに来なさい。」
というみことばに応答して、
イエス様の前に静まって祈り求める時に、
心に平安が与えられます。
イエス様に委ねることができるのです。
ローマ8:28
神を愛する人々、すなわち、
神のご計画に従って召された人々のためには、
神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、
私たちは知っています。
神様は、いつも、ベストを尽くされます。
あなたに良いことをしたいのです。
「わたしのところに来なさい」という言葉は、
良いことを計画しているということです。
来ても何も良いことないよ。
それなら、
来なさいとは言わないのです。
町でチラシを配っている人は、
良いものを提供しようとしています。
まして、神様は、
もっとも良いものを提供したいのです。
神様からの招待状の内容は、
2 イエス様の弟子として学ぶことができる。
よくピアニストとかバイオリニストなどの肩書きを見ますと、
誰に師事したかが書かれています。
誰に習ったのか? 誰から学んだのか?
ショパン? サラサーテ?
私たちは、聖書を、イエス様から学んでいるのです。
全知全能の神様から学んでいるのです。
これは、とても、栄誉なことです。
私たちは、イエス様の弟子なのです。
わたしから学びなさい。
そうすればたましいに安らぎが来ます。
また、自分から学ぶ習慣を
身につけることが大切です。
そのために、日々のデボーションの中で、
祈りつつ、聖霊様の助けを受けながら、
聖書を学ぶのです。
体のためには、食事をします。
パンを食べるのです。
私たちの霊魂、言うなれば内なる人のためには、
いのちのパンであるみことばが必要なのです。
みことばを学ぶことによって、
いのちのパンを食べているのです。
霊的な成長があるのです。
パウロは、もう会うことができないエペソの教会の人々に
次のみことばを送りました。
使徒20:32
私は、あなたがたを
神とその恵みのみことばとにゆだねます。
みことばは、あなたがたを育成し、
すべての聖なるものとされた人々の中にあって
御国を継がせることができるのです。
みことばは、育成するのです。
みことばを学ぶことによって、
成長することができるのです。
神様からの招待状の内容は、
3 イエス様のくびきを負って
神様のみこころを行うことができる。
わたしのくびきは、負いやすく(ある訳は、心地よく)
くびきとは、牛などで畑を耕す時、
二頭の牛をつなぎ合わせるものです。
イエス様のくびきを負うとは、
イエス様につながって、
神様のみこころを行うことです。
神様のみこころとは、
神様を愛し、人を愛することです。
私たちは、人の集まりの中で生きています。
家族も学校も職場もそうです。
私たちは、その中に生きています。
もちろん、私たちは、疲れることがあります。
問題で悩み、重荷を負うことがあるのです。
でも、大丈夫です。
私たちは、一人ではありません。
イエス様と、くびきでつながっています。
イエス様がともにいてくださって、
乗り越えさせてくださるのです。
最後に、神様からの招待状を
他の人に届けるという
素晴らしい働きについて取り上げます。
それはどんなに小さな働きに見えても、
時とともに、大きな働きになるのです。
リンゴといえば青森県
日本の生産量の60%が生産されています。
青森県のリンゴの始まりは、明治時代
青森県弘前市 東奥義塾の英語の先生
アメリカ人宣教師 ジョン・イング先生(1840〜1920)が、
1874年のクリスマスに学生たちに、リンゴを出したのです。
リンゴを食べた学生たちは、大喜びしました。
それで、アメリカから、苗を取り寄せ栽培したのが始まりです。
始まりは、小さくても、
大きく育つのは、
神様のみこころであり方法なのです。
実は、アメリカ全土にリンゴの栽培を広めたのは、
ジョニー・アップルシード
(本名 ジョン・チャップマン)という人です。
キリスト教の伝道者で、野宿しながら、福音を伝えました。
福音を伝えながら、リンゴの種を植えていきました。
リンゴの種は実を結び、アメリカ全土に広がりました。
それ以上に、福音の種は実を結び、
多くの人が救われました。
私たちも、神様からの招待状を
届けることができるのです。
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会を引用