イエス様の弟子づくり  


人は、時々失敗します。また心配事もあります。

良い事ばかりのクリスチャン生活はありません。

人は、失敗を通して学んだり、

心配事に対処することによって、

イエス様の弟子として、訓練されているのです。

私たちの生活が、弟子訓練の場なのです。

わざわざ、弟子訓練会がなくても

訓練されているのです。


また、クリスチャンは、

迫害を体験することがあります。

迫害や試練は、

イエス様の弟子づくりの重要なステップです。


マタイ5:10 

義のために迫害されている者は幸いです。

天の御国はその人たちのものだから。


イエス様を信じているという理由で、

迫害されることは幸いなのです。

その信仰が本物であることの証明になります。


ペテロ第一4:12 〜14

愛する者たち。あなたがたを試みるために

あなたがたの間に燃えさかる火の試練を、

何か思いがけないことが起こったかのように

驚き怪しむことなく、

むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、

喜んでいなさい。

それは、キリストの栄光が現れるときにも、

喜びおどる者となるためです。

もしキリストの名のために非難を受けるなら、

あなたがたは幸いです。

なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、

あなたがたの上にとどまってくださるからです。


迫害とは、キリストの苦しみにあずかれることです。

ペテロは、「喜んでいなさい」とすすめています。

「あなたがたは幸いです。」とも言っています。


私たちは、イエス様の弟子として、

1 あかしをする者になる


マタイ10:18〜20 

また、あなたがたは、わたしのゆえに、

総督たちや王たちの前に連れて行かれます。

それは、彼らと異邦人たちにあかしをするためです。

人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、

何を話そうかと心配するには及びません。

話すべきことは、そのとき示されるからです。

というのは、話すのはあなたがたではなく、

あなたがたのうちにあって話される

あなたがたの父の御霊だからです。


イエス様の弟子は、イエス様の証人です。

イエス様の福音を伝える者です。

そのためには、聖霊に満たされて、

聖霊に聞き従う者になることです。

自分の力には限界があるからです。


また、この箇所のキーワードは、

「あなたがた」です。

一人でクリスチャン生活を送るのではありません。

仲間たちがいるのです。

みんなで一つなのです。

お互いに支え合い、励ましあって、

クリスチャン生活を送るのです。


2 イエス様のようになる


マタイ10:24 〜25

弟子はその師にまさらず、

しもべはその主人にまさりません。

弟子がその師のようになれたら十分だし、

しもべがその主人のようになれたら十分です。

彼らは家長をベルゼブルと呼ぶぐらいですから、

ましてその家族の者のことは、何と呼ぶでしょう。


弟子は、先生のようになることが目標です。

教会では、尊敬の意味で牧師に対して先生と呼びますが、

本当の先生は、イエス様です。

テキストは、聖書です。

私たちは、イエス様の学校に入学したのです。

ペテロたち12弟子のように、

召されて弟子になったのです。


イエス様に弟子入りしたということは、


まことの神様に従い、

真の礼拝者になるのです。

永遠の福音を宣べ伝える者になるのです。

神様を愛し、人を愛する者になるのです。


コリント第二3:18 

私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、

鏡のように主の栄光を反映させながら、

栄光から栄光へと、

主と同じかたちに姿を変えられて行きます。

これはまさに、

御霊なる主の働きによるのです。


3 圧倒的な勝利者になる


10:29〜31

二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。

しかし、そんな雀の一羽でも、

あなたがたの父のお許しなしには

地に落ちることはありません。

また、あなたがたの頭の毛さえも、

みな数えられています。

だから恐れることはありません。

あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。


ローマ8:37

しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、

これらすべてのことの中にあっても、

圧倒的な勝利者となるのです。


イエス様は、自分のいのちを捧げて従うように

弟子づくりをされます。

誰も、自分の力や決心だけでは献身できません。

イエス様の愛だけが、

献身のよりどころなのです。


それでは、圧倒的な勝利者とは

どんなクリスチャンでしょう。

答えは、テサロニケ第一5:16 〜18です。


いつも喜んでいなさい。

絶えず祈りなさい。

すべての事について、感謝しなさい。

これが、キリスト・イエスにあって

神があなたがたに望んでおられることです。


喜んで仕事をしていると、

良い証しになります。

日本の企業の創立者には、

たくさんクリスチャンがいますが、

事業で成功した後に

クリスチャンになった人がいます。

陶磁器のメーカー 

ノリタケの創立者 森村市左衛門です。


森村市左衛門と聞いて、知っている人は少ないでしょう。

しかし彼の起こした企業名の、

ノリタケ、TOTO、日本ガイシ、INAXなどの社名を

聞いて知らない人は少ないでしょう。

しかし、森村市左衛門が

熱心なクリスチャンであったということは、

あまり知られていません。


クリスチャンになる以前の森村市左衛門は、

出家を考えたほどの仏教徒だったといわれています。

彼は様々な企業を設立し、

それで得た多額な利益を用いて、

日本の社会に貢献すべく活躍していました。

慶応大学校舎建築の為にも、

日本女子大学校舎建築の為にも、

多額の寄付を行ないました。

特に彼は、当時遅れていた女子教育に協力し、

多額の寄付をしたようです。

ただ企業家として利益を追求するだけでなく、

社会貢献を大きな目的としていたようです。


キリスト教に関心を持つ

きっかけになったことがあります。

彼は、陶磁器の貿易で海外と接し、

アメリカでも販売しました。

彼がニューヨーク支店へ出張した時のことでした。

そこの支店を視察中に、

薄暗い地下室で一生懸命働いている

青年社員がいました。

荷造りや発送の仕事を一生懸命しているのです。

しかも、喜んでやっているのです。

それから一年後、

またその支店を訪れると同じ地下室で、

その青年社員が同じ仕事を熱心にしていました。


感心してその青年社員に話しかけてみると、

彼は、京都の同志社大卒の

クリスチャン青年であることが

わかりました。

どんな仕事も喜んで、進んでやるという

模範的な青年社員でした。

それまで森村社長は仏教の信者でしたが、

この青年社員の仕事振りに感動して

教会に通うようになったといいます。


77歳の時に洗礼を受け、

クリスチャンとなりました。


森村市左衛門は、クリスチャンになってから

ひたすら伝道して各地を回りました。

そして短いクリスチャン生涯でしたが、

世の成功を収めた者が

クリスチャンとなり

伝道者となったと言うことは、

素晴らしい証しになりました。


森村市左衛門さんが

キリスト教に導かれるきっかけは、

一人の青年でした。


いつも喜んでいなさい。

絶えず祈りなさい。

すべての事について、感謝しなさい。

これが、キリスト・イエスにあって

神があなたがたに望んでおられることです。


テサロニケ第一の手紙は、

世の終わりのイエス様の再臨がテーマです。

どんな時代であろうと、

どんな状況であろうと、

このみことばは、

クリスチャンスタイルです。


イエス様の弟子づくり

先生の面倒見の良さはどうでしょう。

間違いなく最高です。

弟子をどこまでも大切にされる先生です。



聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会を引用