祈りの先にあるもの


マタイ7:7

求めなさい。そうすれば与えられます。

捜しなさい。そうすれば見つかります。

たたきなさい。そうすれば開かれます。


ポイント1

求めなさいは、原語では、求め続けなさいです。

捜しなさいは、捜し続けなさい。

たたきなさいは、たたき続けなさい。

ギリシャ語では、

動作の継続を示す現在命令法なのです。

あきらめずに、やり続けことが

すすめられているのです。


ポイント2

誰に求めるのでしょうか?

7:11

してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、

自分の子どもには良い物を与えることを

知っているのです。

とすれば、なおのこと、

天におられるあなたがたの父が、

どうして、求める者たちに良いものを

下さらないことがありましょう。


天の父なる神様に求めるのです。


ポイント3

「そうすれば」

与えられるのです。


実際に祈り続けることです。


ポイント4


7:8

だれであれ、求める者は受け、

捜す者は見つけ出し、

たたく者には開かれます。


「だれであれ、」なのです。

だれであれ、みことばを行なって、

神様の祝福を体験できるのです。


求め続け、捜し続け、

たたき続けた人がいます。


クリーニングの会社の「白洋舎」を始めた

五十嵐健治さんという人です。


1906年(明治39年

東京日本橋で、白洋舎という洗濯屋さんを始めました。

彼は、三浦綾子さんの小説「夕あり朝あり」の

モデルとなった人です。

五十嵐さんは、最初、北海道の開拓団に加わり、

うまくいかず、自殺を考えながら、

小樽の町をさまよっていました。

その時、夜の明かりに導かれて教会に行き、

自殺を思いとどまりました。


19歳の時、洗礼を受け、東京に出て

三越で10年間働きました。

29歳の誕生日に、三越を退職し、

独立して事業を起こすことにしました。

一体どんな仕事が良いだろうと考えていた時、

思いの中に、世の中のために、奉仕できる仕事がしたい。

という考えが浮かび、

人があまり、やりたがらない、仕事をすることにしました。

それで洗濯屋をすることにしました。

町の洗濯屋ということで、

各家庭を御用聞きで回ることにしました。

「洗濯物ありませんか?」


門をたたき続けました。


さて、五十嵐さんが、

家々を回っていた時、とても大きな家があり、

その家に入りました。

後でわかったことですが、その家は、

当時の文部大臣の家でした。

その時、夫人が言った一言が、心に止まりました。

「オーストリアのウィーンで羽二重の綿入れを洗濯に出したら、

水を使わずに洗濯してくれたので、大助かりしましたよ。」

五十嵐さんは驚きました。

どうやったら、

水を使わないでクリーニングできるのか?


当時は、ドライクリーニングの技術が、

日本にはなく、

羊毛とか革製品は、外国に送って、

クリーニングしていました。

さっぱり見当もつかない五十嵐さんは、

東京工大の教授に、

洗濯の化学について教えを受け、

農商務省の技師から指導を受け、

ドライクリーニングの技術を身につけました。

そして、明治40年、

東京の大井町に日本最初のドライクリーニング工場を

設立しました。これは大成功でした。

その後、白洋舎は、日本中に広がっていきました。

五十嵐さんは、求め、捜し、たたきました。


洗濯の御用聞きの人であっても、

門をたたくという行為は、

ためらいがあるでしょう。

しかし、門が開かれ、洗濯物が手渡される時、

大きな喜びがそこにはあるのです。


詩篇32:8

わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。

わたしはあなたがたに目を留めて、助言を与えよう。


祈りの先には、神様の用意した道があるのです。

神様の助言があるのです。

神様の祝福が待っているのです。

大いに期待するべきです。


マタイ7:7

求めなさい。そうすれば与えられます。

捜しなさい。そうすれば見つかります。

たたきなさい。そうすれば開かれます。


聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会を引用