何か言わなければと、桂花は焦った。長引けば長引くほど、自分の心の真実を彼に見抜かれてしまう。ー本当は〝後悔している〟という心の奥底に封じ込めた想いを。
「後悔などしておりません。何度も言わせないで下さい。私は邸下を心からお慕いしております」
情熱的な言葉のはずなのに、言葉だけがうわすべりして感情がこもらないのは気のせい? まるで下手な芝居役者が台本を棒読みするようになってしまった。
賛が微笑む。彼の笑顔もぎごちなく見えるのも私の考え過ぎだろうか? 桂花が不安げに見ていると、賛が無造作に眼前の小卓を脇にどけた。
音も立てず桂花に近寄ると、彼は桂花が頭に乗せた重い髢を器用に外す。
「いつまでもこんなものを乗せていては、余計に疲れる」
呟きながら、後頭部で結った髷に挿した幾本もの簪も丁寧に引き抜いてゆく。
「ー邸下?」
いきなりの展開に、桂花はついてゆけない。しかし、これから彼がしようとしていることが恐らく教師から教わった〝閨事〟なのだとは漠然と理解できた。
「シッ」
賛が悪戯っぽく瞳を煌めかせ、桂花の唇に人差し指を当てる。今朝、女官たちが一生懸命に化粧を施し、桂花の唇にも
ーこの椿色がお似合いになるわ。
ーあら、あたしはやっぱり、嬪宮さまには派手すぎない控えめな桜ピンクが良いと思うわ。
と、楽しげに紅選びをして塗ってくれたのだ。身体の秘密があるため、湯浴みや着替えは基本介添えは不要と断った。もちろん、幾重もの重たい豪奢な婚礼衣装は一人では着られない。ゆえに、下に着るチマチョゴリまでは一人で着て、そこからは女官たちに手伝って貰った。
簪をすべて外し終え、賛は今度は重たい衣裳を脱がせにかかった。
「あの、チ、チョ、邸下」
桂花が思わず狼狽える声を上げるのに、賛はまた熱っぽい瞳で見上げる。
「シイッ」
賛は本当に男同士で身体を繋げるつもりなのか? 心のどこかで油断していた。ーというより、賛はどこまでも紳士で口づけ以上のことは仕掛けてこなかったから、安心していたのだ。
桂花が身を引こうとすると、賛が手を止め、桂花の顔を覗き込む。
「桂花は私を好きか?」
賛への恋情については、ひと欠片の迷いも偽りもない。桂花が頷けば、賛が頷いた。
「ならば、今夜は私の思うようにさせてくれ」
賛の幾億もの夜空を閉じ込めた双眸に、見たことがない熱が宿っている。その熱が少し怖いと思った。まるで桂花の知らない別の男のようだ。
「待っー」
止めようとした桂花は最後まで言葉にならなかった。賛に激しく唇を奪われたからだ。
普段の彼からは信じられない荒々しさで、押し倒された。寝台へゆくまで待てないといった性急さだ。
ピリッと、桂花の纏う衣が裂ける音が夜陰にどこか妖しく哀しく響く。室の窓はすべて閉まっているはずなのに、得も言われぬあの花の独特の芳香が鼻腔をくすぐった。時折、衣擦れの音、あえかな声が洩れる他は、夜が支配する静謐さが閨を満たしている。
ほのかに混じった花の香りがひときわ強くなった。
韓流時代小説 秘苑の蝶 第二部
「恋慕~月に咲く花~」 後編
「秘苑の蝶」第二部スタート。
奇跡の出会いー13歳の世子が満開の金木犀の下で出逢った不思議な少女、その正体は?
第二部では、コンと雪鈴の子どもたちの時代を描く。
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幾度目の嵐が二人の上を通り過ぎたか知れない。最初、桂花は急に事に及んだ賛にかすかな抵抗すら示した。
賛は半ば強引に彼の処女を奪った形になってしまった。辛抱強いと思われていた桂花が破瓜の瞬間は痛いと訴えて泣いた。賛はそれでも一度逸りだした己れ自身を止められず、桂花を宥めながら想いを遂げたのだ。
けれども、ささやかな抵抗は最初だけだった。痛がって嫌がった彼も次第に慣れていった。
もとより桂花だけではない、賛にせよ男を相手にした経験はないのだ。かつて東宮殿の複数の若い女官に夜伽をさせたから、女の抱き方なら知っている。が、相手が同性となると、まったくのお手上げ状態だ。
桂花の前で恥をかかないように、事前に書物などを読み、ホン内官に訊ね、男同士で身体を繋げるための予備知識は仕込んでおいたつもりだ。
ーヨジン、実はだな。
訊きにくいことを訊ねた自覚はあった。時ここに至り、賛は兄とも友とも信頼するホン内官にだけは、想い人桂花の秘密を打ち明けていた。彼は最初は愕き衝撃を受けつつも、結局は今までのように賛の気持ちを受け容れてくれた。
もちろん、それとホン内官が男同士の恋愛に賛意を示したかどうかは別問題だとは判っている。しかし、去勢した内官は女官と疑似恋愛を愉しむか、もしくは内官同士で恋愛関係になることも少なくはないのが実状だ。
ホン内官もまた柄にもなく紅くなりつつも、
ー私めは、その手の趣味はないので、よく判りませんが、知り合いに内官同士で相思相愛の者がおります。その者にそれとなく話を聞いてみましょう。
と請け合ってくれ、その者から伝え聞いた話を賛に教えてくれるという経緯があった。〝講義中〟に、ホン内官が羞恥のあまり時々絶句して、倒れそうになったのには参ったが。