韓流時代小説 国王の契約花嫁
~王の女と呼ばれて~
そなたは髪の毛ひと筋まで俺のものだ。勝手に後宮を去ることも他の男と結婚することも許さぬ―王の寵愛
―ひとめ惚れから始まった「契約結婚」。この夫婦関係に未来はあるのか?―
国王と「契約結婚」した少女が辿った運命とは?
~ある日、町中の古書店で出逢った青年と両班の令嬢ファソン。その青年も上流両班の子息らしく、何と、今、都で大流行の小説「春香伝」の続編を書いているというが―。
~一生に一度の恋をした。私が恋したのは
夫であり、朝鮮国王のあなただった。~
☆「忘れるな、そなたの涙をこうして拭っても良い男は私ただ一人だ」。
賢宗のただ一人の妻、中殿(王妃)として数々の試練を経た少女ファソンが最後に辿り着いた応えとは。
「王妃の中の王妃」と後に讃えられた仁貞王后の少女時代を描く。
「そう、王さまを好きになるというのは、そういうことだった。けして大好きな男のただ一人の女になることはできないのだ。後宮という美しい花が咲き誇る庭園で、たまに気まぐれに訪れる蝶を待つだけ。
蝶が飽きれば、花は後はうち捨てられ、ひっそりと咲いて散るしかない。それが、後宮で生きる女の宿命なのだ。
愛のない男ならば、他の女を抱くのを側で黙って見るのも耐えられようが、彼を愛していればこそ尚更、側で見ているのは耐えられないし辛い。」
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今日も都漢陽の下町外れ、〝曺さんの本屋〟は、大路の賑わいが嘘のように、ひっそりと静まり返っている。
ファソンはそっと深呼吸する。同時に大好きな紙の特有の匂いが身体中に滲み渡り、生き返った心地がした。よくぞ二ヶ月以上もの間、この大好きな場所に来なくて平気だったものだ。
宮殿で暮らしている間は、カンが立派な王宮の書庫に連れていってくれた。あれはあれで素晴らしかったけれど、やはりファソンにとっては、下町のこの古本屋がいちばん落ち着ける場所に違いない。
カン。ファソンは今でも忘れられない愛しい男の面影を胸にいだき、そっと心で呼ぶ。まるで手放したくない宝物を愛おしむかのように、心を込めて呼ぶ。
今頃、どうしているだろう? また風邪を引き込んで伏せているのではないか。〝続春香伝〟を書くのに時間を忘れ果て、無理をしているのではないだろうか。
逢いたい、逢いたいよ、カン。
大好きな男の名を呼びつつ、本がずらっと並ぶ本棚を眺め渡したその時、左端の最上部に初めて見る書名が眼に付いた。
「なになに、〝続春香伝〟」
そのタイトルを見て、ファソンは眼を瞠った。慌てて伸び上がるようにしてつま先立つ。
こんな時、カンが側にいてくれたら、すぐに取ってくれるのに。―カン。
また、名を呼びそうになったその時。
ファソンの頭越しに手が伸びて、〝続・春香伝〟は先客に奪い取られてしまった。
「申し訳ないですが、この本は私が先に見つけたのです」
戸惑いがちに言い終えたファソンの上に、クスクスという笑い声が降ってきた。
「これを書いたのは、この私なんだけど」
「カン!?」
見憶えのある薄紫のパジチョゴリを上品に着こなしたカンが笑顔で立っている。
「相変わらず、ここが好きなんだね。〝本の虫〟のお嬢さん」
彼の笑顔はどこまでも屈託がない。まるで、初めてここでめぐり逢った日に時間を巻き戻したようだ。
「小説が完成したのね」
「ああ、ファソンを歓ばせたくて、これでも頑張ったんだ」
親に褒めて貰いたい子どものように得意げに言い、それから慌てて言い足す。
「あ、でも、別に昼の政務はサボッてないからな。ちゃんと夜に書いた」
更にカンは早口で言った。
「そなたと一緒に夜を過ごさなくなったから、夜は時間を持て余すようになった。だから、執筆の方もはかどったんだ。だが、私はファソンと一緒の方が良い。そなたと愉しく語らって同じ寝台で眠った夜の方が良い」
カンの頬がうっすらと上気していた。
「もう一度、ここから始めよう。私にとって妻と呼べるのはファソンしかいない。改めて求婚させてくれ。私と共に生きて欲しい」
ファソンの瞳に大粒の涙が盛り上がった。
常に変わりゆくこの世で変わらないもの。 今こそ知った。
それは今、この瞬間、自分の心があなたの許に向かって流れているということ。
たとえ何がどう変わろうと、私のこの想いだけは変わらない。
ファソンはカンのひろげた腕に飛び込んだ。その背にカンの手がしっかりと回される。
ファソンの結い上げた漆黒の髪に蒼い鳥を象った菫青石(アイオライト)が夏の陽差しを受けて燦めいた。
終章~そして物語は続く~
〝続春香伝〟はその後、〝曺さんの本屋〟で売られるようになり、口づてにひろまり、人気に火が付いた。
〝春香伝〟の愛読者たちは、あの続編が出たということで、こぞって読みふけったという。売り本だけでなく貸本も数冊置いてみても、どちらもすぐに売り切れるか借りられてしまい、待ちきれずに持っている者に大枚をはたいて借り受け、自ら書き写す者まで続出したとのことだ。
続編は、〝春香伝〟でモンリョンに不正を暴かれた使道の弟が兄の復讐を図るという筋書きである。舞台は都に移り、晴れて高官となったモンリョンは或る日、友人に誘われて妓房に上がる。
そこで眠り薬の入った酒を飲まされ、目覚めた翌朝、彼の側で妓生が死んでいた。妓生殺害の容疑をかけられたモンリョンは義禁府に囚われの身となる。
モンリョンの妻春香は良人の無実を信じ、男装して客として妓房に上がり、死んだ妓生の馴染み客や朋輩妓生たちの話を聞き込みして回り、ついにモンリョンを陥れたのがあの悪徳使道の弟だと突き止める。
弟は情人でもある妓生と共謀して、その妓生がモンリョンの酒に眠り薬を入れたのだが、春香はまんまと色男になりすまし、情人を誘惑して事件の真相を彼女に話させることに成功、何も知らない女は春香に乞われるまま義禁府で証言する。
見事、良人の無実を証した春香の評判は都でも上がり、稀代の貞女としてその名を馳せることとなった。
この〝続春香伝〟を書いたのがまさか両班どころか、思いもかけぬ貴人だと知れば、人は腰を抜かしたに違いない。
〝続春香伝〟の人気が都でうなぎ登りになっていたその頃、二十一歳の若き国王が中殿を迎えた。盛大な嘉礼が行われ、国を挙げての久々の慶事に、朝鮮中の民がお祝いムードに包まれたといわれている。
良人たる国王にただ一人の妻として熱愛された世にも稀有な女人、それが賢宗大王の王妃仁貞王后だ。
私が語った恋物語の主人公たちがそも誰なのか、もう、お判りかな?
この類い希な高貴な方々のお話一つを見ても、よほどモンリョンと春香の物語よりも劇的(ドラマティツク)だと思わんかね。
まさに、事実は小説より奇なりを地でいくような話ではないか。さて、この二人の話はこれで終わりというわけではない。
一国の王と王妃という関係は、ただ互いに愛情があればそれで成り立つというものではない。漸く結ばれた二人ではあるが、実は、この後も紆余曲折があったのじゃ。
二人が真の意味でこの朝鮮の王と王妃と呼べるようになるまで何があったのか。
もし、興味があるなら、語ってみようかのう。マ、すべてを聞きたいというなら、少し長い昔語りになるかもしれんが。
(了)
【第二話 「月影打令~つきかげタリョン~に続く】
アイオライト
石言葉―和名は菫青石。石言葉は〝愛を見つめ育む〟。
青い鳥―「幸せ」の象徴。青い鳥モチーフの小物を持つと幸福になれると伝承される。


