安楽死…最近ニュースになっていた
自分の命、生きる時間・期限の選択
勇気?覚悟なんて表したらいいのだろう
母親の介護を10年近くした私、胃瘻をするしない考え方はいろいろ、ある人は寿命を延ばす意味があるのか?家族のえごでは
私は胃瘻を選んだ…大好きな母親がいなくなる…私には怖かった。命の選択をする
母親は喋る事も動く事も出来ずに天井をみて、たまにディサービスを利用してお風呂に入れてもらう。毎日何を考えて部屋で一人で過ごしてたのかなぁって思うと、正しいとか正しくないとか一言ではいい表せないよね。でも時々、エステごっこといいながら母親の顔の手入れしたり、寝たきりの母親を車椅子に無理矢理乗せて、氷川きよしの座長講演のDVDを見せたり、私なりに母親を楽しませてあげようとしたこともあるよ。かけがえのない時間…つきっきりって言う訳にはいかなかったけど、母さんと過ごせた時間は大切なかけがえのない時間だった。いつも母親の影で、好きな空間に入れた私、私を守ってくれた母親が今はいないと言う現実、私のえごだったかも知れないけど、私は母親のために介護も頑張った。母親とのお別れをする夜、私は眠らずに母親と二人きりの時間を過ごした。
会館に流れていた音楽は心地よくて、あの晩は子供のように会館の中を冒険のように歩いたり、なんか不思議な時間だったなぁ
でもね、葬儀が終わって空を見上げてたら
太陽が天高くなんかものすごく清々しい感じだった…悲しいって感情ではなく
母さんがありがとうって言ってくれたように感じたの。
選択が正しいとか正しくないとか、命の期限を決めるのは難しいけど、母さんがありがとうって言ってくれたのなら、私が選んだ母さんの命の期限もけして悪いものではなかったのかなぁって…
尊厳死、選ぶのは自分だけど人のお世話になるくらいならって気持ちもわからないわけでもない。私はそれでも母さんにそばにいてほしかった。永遠に命が続くわけではないけど、しゃべれなくてもこころで会話することも私は出来るように感じたから
母親の最期は病院で、私もこころの病院に入院中、病院に駆けつけて葬儀屋さんが母さんを迎えにきた時、一緒に乗って行くって声をかけてくれた。
お姉ちゃんが亡くなった時も、火葬の帰り
母さんも乗れないのは可愛いそうだからって家族みんなが車に乗れるようにしてくれた。私達家族が選んだ葬儀屋さんはそうやって家族のこころに寄り添って考えてくれる葬儀屋さん…
母さんとお別れした晩に流れてた曲、私は父さんの時も変えないでって同じものかけてもらっていた。
父さん母さんのこと思い出すと涙は止まらないけど、
あの時空を見上げて、清々しいって
母さんが本当にありがとうって言ってくれたんだなぁって…
良く頑張ったねって褒めてくれたのかも