私が子供の頃、家族の一人には
「おばちゃん」と
呼んでいる人がいました。


その人は
血の繋がりはなかったのですが
昔、父の実家が旅館を
経営していたときに
住み込みで働いていた人で


そのおばちゃんが子供の頃の父の
世話をしてくれて、乳母さんのような
役目をしてくれていたらしく


祖父母が旅館経営は廃業され、
祖父母が亡くなった後も


父が母と結婚して兄や私が
生まれてからも
そのまま一緒に住んで
家族になっていました。


家事や私達、子供の面倒を
見てもらっていたので、


おかげで母も勤めに
出られていました。


おばちゃんは
とてもいい人だったのですが
自分に自信が持てないで
いつも卑屈だったんです。


おばちゃんは大正時代に生まれて
子供の頃から余所の家に
奉公に出されたりと


戦前・戦後の険しい時代を
経験して生きてこられたから
仕方なかったとは思うんです。


家の外で友人を作るとか
人の中に入っていけないところが
あったので、交友関係も
無いようなもので


それでも、人間なのだから
家族の世話をすることで
「自分の存在を認めて欲しい」
という気持ちがあったんですね。


私達、子供も大きくなれば
世話をする必要もなくなるのですが
「それでも何か世話をすることで
自分の出番が欲しい」で
正直、かみ合っていない状態でした(^^;)


私が大学に入ってすぐくらいに
おばちゃんはもうかなり
高齢だったため、亡くなられましたが


そのとき両親と
「おばちゃんは、あんなにずっと
不器用な生き方で、
幸せだったんだろうか。」
と話したこともあります。


家族であっても自分以外の他人が
「あの人は幸せだったのだろうか?」
と言うのは、確かにどうかと
いうところではありますが(^_^;)


おばちゃんは確かに
謙虚で優しい、とてもいい人では
あったんです。


ただ自分に自信が無いために卑屈になり
「自分」というものが無い状態に
なっていたと思うんです。


「誰かの世話をすることで必要とされたい」
という気持ちがあるなら


必ずまず先に必要になってくるのは
「自分を好きでいること」です。


西洋占星術で言う「自分の太陽を使う」
というところでしょう。


太陽は「自分の生きる目的意識。」


「人のために」と思うほど
他人軸ではなく自分軸でいるかを
問われることになるんです。



「自分自身がやりたいから、やっている。」
という自分自身に主体性があるかを
確認することです。


自分という自我や自尊心を失って
「他人のために」となってしまうと


人に嫌われないかとビクビクしたり

もしくは
思うように人から受け入れてもらえないと
「あなたのためにやっているのに!」と
被害者意識になってしまったり・・と


自分自身が
満たされないままなんです。


昔、近所で
ボランティア活動をやっている
お婆さんがいましたが
自分が必要とされて、感謝されて
充実感も感じていると
話していました。


マザー・テレサだって
もちろん、人のためにあれだけの
貢献をしてくれたのでしょうが


でも何より
「自分自身が納得がゆくまでやりたい。」
「自分の在り方、自分がやりたいから」
という意識があったのでしょう。


強い意思を持ってやらなければ
あれだけのことを成し遂げることは
出来なかったと思います。


ボランティアでも
仕事であっても


「誰かのために」と思うほど
真逆の「自分の自我」に光が当たり
問われるでしょう。


「自分がやりたくてやっているのか。」

「自分に主体性があって、
自分を持っているのか。」と。


「自分の生きる目的」である
太陽を使えているのか。


意識されてみてください^_^


私と、そのおばちゃんとのお話は
まだ語りたいテーマは他にもありますが
もう十分、長文になっているので
別の機会にしますw