こんにちは。

「マイナスからゼロ、そしてプラスの人生へ! あなたに寄り添い可能性を広げる」

ストレスクリア®コーチ 久保田恵です。

 

今までの私のブログをもし読んでくださっていた方は、

わかっていられるかもしれませんが、

 

私の両親は、家の都合で結婚させられ(しかも親戚婚)

結婚当初から、全く折り合いがつかず。。。

結果的に私が離婚させたんですが。

 

はい、私が母親を 半分以上脅したんですね。

「離婚してくれないなら、妹をつれて家をでて、二度と戻ってこないから」

そういって、母親に離婚の選択をさせたんです。

その時の私には、それが最善の選択だと思っていました。

 

というより、それしか、もう考え付かなかったんです。

 

それから、正式に離婚が決まっって 別居するまでが

本当に地獄でした。

 

毎日毎日、双方の親戚から電話が鳴りやまず。。。

そう、親戚は、身内同士ということもあって、

絶対に離婚させたくなかったんです。

 

父の身内はともかく、母の身内(特に私の祖母)も、離婚なんて、青天の霹靂で。

私も、散々ののしられました。 祖母には、

「二度と顔をだすな!」 くらいのことを平然と言われました。

 

そんな日々を送っていたとき。

私はお風呂に入っていました。

アパートだったので、玄関を入ってすぐそばにお風呂場があり、

玄関の靴箱の上に、電話が置いてあったんです。

 

電話のなる音が聞こえて、母親が応対している声がかすかに

本当にかすかに聞こえてきて。

「ああ、また親戚の誰かが かけてきたんだな」と思いながら

お風呂に入っていたんですが。

 

突然、何かが激しく落ちる音とほぼ同時に、

玄関のドアが開け閉めされた音が聞こえました。

嫌な予感がした私は、急いでお風呂からあがり、

濡れた髪のまま、とびだしました。

 

いるのは、子供部屋で寝ている妹と、酒に酔っぱらっている父だけ。

すぐに父に詰め寄りました。

「お母さんは!?」 答えは 「でてったぞ」

その一言で。

 

私はパジャマの上にジャンパーを羽織り、

母の上着をもって、急いでアパートを飛び出しました。

私の頭の中には、「母は死ぬ気かもしれない」 という

嫌な思いしか浮かんでこなかったんです。

 

そして、すぐに公衆電話で、母の親友に電話をしました。

「お母さんが家をでました、そちらに伺ったら、確保してください」と。

そして、自転車をこいで、最寄の駅のほうに向かい。。。

 

結局、母はみあたらず、他のところを探そうか。

どこを探したらいいんだろう。

そう思って、いったん家の方向へ向かっていると。

 

前から母が歩いてきたんです。

やはり、母は親戚から責められて責められて

突発的に家をでて、半分死ぬ気で、海のほうまでいったときに。

私たち姉妹の姿が頭に浮かんで、家に戻ったんだそうです。

そして、私が家を飛び出したことを父に聞き、

探しに来たということでした。

 

私はただ一言「お母さん、帰ろう」 としか、

かける言葉がありませんでした。

 

そして、二人で、自動販売機の温かいコーヒーを買って

飲みながら、ただ黙って家に向かいました。

途中で、母の親友に連絡を入れ、無事に見つかったことを報告して。

 

私たちは、家に帰りました。

 

その日は11月の、寒い夜でした。。。。 

妙に星がきれいな、澄み渡った夜空だったのを、

今でも覚えています。

 

たまに昔の話になると、母とこの日のことが話題になります。

今だから笑って話せるようになったけれど。。。

ここまで笑って話せるようになるまで、随分時間がかかってしまったけれど。

 

あの時、もし私が迎えに飛び出していなかったら。

そして、母が 私たち子供のことを思い出していなかったら。。。

そう思うと、ひとつの分岐点だった気がします。

 

 

本日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。