二人目の子供は産むつもりなかった。。


娘は障害もあるし、学校も特別支援学校で

普通に仕事(社会人)になれるのは

見通しがつかない。



私が今20代なら二人目の妊娠喜んだと思う。


若いし、まだ頑張れると。


だけどあと3年したら40。


想定外に二人目を妊娠してしまった時に、


「産む」という選択肢は、


精神的にも経済的にも、

私にも旦那にもなかった。



だから8月にわかった時は、


今とは違う決断、「もう子供は産まない」という決断を夫婦で決めていた。


15歳の娘だけで手一杯だった。


そんな中、


その決断を止めたのは私の母。


その時は体調も良く精神的にも元気だったからか、

「大変だろうけど、産まれたら私にとっては最後の孫だから面倒も見るし、経済的にも赤ちゃんに必要なものは全部私が揃えるとか私が協力するから、私の最後の孫おろさないで」


何度も言われた。


その説得で私は言葉選びは悪いと思うけど、
仕方なく「産む」という決断をした


こう思ったから。


まぁ赤ちゃんに必要なもの用意してくれたり、たまに見てくれるなら、
私も外で仕事できるし、経済的にもなんとか大丈夫かもしれないと。



でも


22週に入った途端(法律上もう産むしかない状態)、

母の体調不良、

人間だから体調が悪くなる時もある。仕方ない。それは仕方ない。


でも、


私の体の中ではそんな事お構いなしに、


どんどん大きくなって、日々暴れてる



そんな状態でもちろん仕事も断られる



母が放った一言、


こんなに大きくなってから無責任なこと言ってごめんね。一生うらんで。



恨むような話でも、ごめんねで済む話でもない。



夫婦で散々話して、


今はもうすぐ16になる娘で全てが手一杯だから、経済的に育てるのは無理だとあれだけ固く決意してたのに、


「協力」の話はどこいった


私は妊娠6ヶ月で外での仕事は全て断られて、

しまいには自宅での仕事も妊娠中で体に差し障りがあると断られる始末




特殊な障害がある娘と夫婦の生活で、


もう限界な中、


あと4ヶ月したらでてくる「これ」


何も買えないから床で寝かせる羽目になるレベル



旦那は一生懸命頑張ってる


これ以上ないくらい頑張ってる



私と旦那の最初の決断「産むのは無理だから諦めよう」

この夏の決断は絶対に間違ってなかったのに、


結局法的に産まざる得ない状況にまで成長してしまったから、


絶望の中「これ」はでてきて、


経済的に一切の余裕がない中、


どうこれからまた20年の子育て、


無責任な約束をされて、


私の人生は潰れておわったという、


絶望の中のいたしかたない妊娠生活



人生でここまで時間戻れ
8月に戻れ
私の決断を覆される前に戻れ


ここまで願ったことはない



次に私が自由に働けるようになる時は、

私は50過ぎてる。




絶望以外に言葉がみつからない