みんなで頑張りましょう! | Jazz Singer 藤倉メグミ



大地震から、丸4日が経とうとしています。


まずは、
亡くなられた方のご冥福を心からお祈り申し上げます。
被害に遭われた皆様に心からお見舞い申し上げます。


不眠不休でがんばって下さっている皆さま
本当に本当にありがとうございます。



みなさまは、ご無事ですか?
お怪我などされていませんか?


私は、地震後、
何度もブログを書いては消し、書いては消し。



とり急ぎ、

今日15日 9:05 twitterで
「仙台の友人、今、電気と水が通ったそう。」というつぶやきを見てすぐ、

仙台市青葉区のおば(父の妹)に電話したら通じました!
おばも「あ!電話通じた。震災後はじめて」と元気そうな声でした。


「メグちゃん、歌手の夢を叶えて良かったね。
 ブログ見て、電話しようとずっと思ってたの。
 私は、応援してるからね!
 ママ(30年前亡くなった私の母)もきっと応援してるよ。」と

逆に励まされちゃいました。

「ここは津波の被害がないから大丈夫!」との事でした。



東京にいると、仙台はみんな大変な事になっていると思うけれど、
おばの家の辺りは、水道はずっと通っていたそうで、
ようやく電気が復旧。ガスはまだのようですが、少しづつ
少しづつ、元気を取り戻しているようで安心しました。




東京にいる 私にも、たくさんの方々から
メールやtwitterでご心配頂きました。


本当にありがとうございます。


twitterやmixiではお返事しましたが、
私は、おかげさまで「無事」でした。

家族も友人知人も
怪我や家の倒壊等もなく、みんな無事です。





地震当時、私は『プロフィール写真』を撮るため、
上野にあるカメラマンさんのスタジオ兼ご自宅に
13時入りし、準備をしていました。


地震の多い東京。あ、また震度2~3位の揺れかな?と思いましたが、
今回は今までに体験したことのない激しい揺れでした。


スタジオは震災に耐えられる設計とのことでしたが、
立っていられないほどで、怪我をしないようしゃがんで、
コートを頭から被って、揺れが収まるのを待ちました。

「東京が震源ではない」なんとなくそう思ったので、
震源地にいる方は、もっともっと恐い思いをしている。

そう思ったら、恐いというよりも
震源地の方々の事が、心配で心配でたまりませんでした。


撮影を中断して帰ることも考えましたが、
電車も地下鉄も止まっていたので、余震の中、
4人(私を含む) 全員撮影してもらい19時頃終了。


スタジオにいた5人のうち、お2人は、
カメラマンさんのお宅に残ることに。
(翌朝、横浜と相模原に電車で無事にご帰宅)


横浜の先生宅でお子さんが待っているピアニストもっちゃん、
愛犬が心配な私と、コーディネーターのかほるさんの3人は、
かほるさんのご主人の待つ、築地までカメラマンさんの車で
送って頂こうと出発しました。(20時半位)

でも、渋滞でほとんど車が動かず。

歩いて築地まで行こうかと話していたら、
21時頃、車内で見ていたTVで「銀座線再開」と速報が出たので
近くの銀座線の駅まで2~3分歩いて、即乗車。
(速報後すぐ乗ったせいか、案外空いていました)

かほるさんは、銀座駅で降り、歩いてご主人のいる築地へ。

私ともっちゃんは、新橋駅で都営浅草線に乗り換え
終点の西馬込駅に22時半頃到着しました。

西馬込駅前に通っているの国道1号線は、
大渋滞の下り車線、歩いて帰宅する方でごった返していましたが、
裏道を使い20~30分位歩き、23時過ぎに帰宅できました。


本当に私はラッキーでした。

東京では、6時間とか10時間歩いて帰宅された方が
たくさんいらしたようですから。


この間、携帯(iPhone) が繋がらず、
港区のオフィスから2時間半歩いて帰宅する夫とは
twitterのDMで連絡を取り合っていました。


愛犬も元気でした!
余震ではまったく吠えもしないので、当時はどうだったのかな?


家の中は、オーラソーマのボトルが半分位落ちたものの
割れたボトルは一本もありませんでした。↓


$Jazz Vocalist 藤倉メグミ♪


いつも元気印の私も、
震災後は、TVやインターネットで地震のニュースを見て
哀しくて、悲しくて、ずっと放心状態。


昨日から出社している夫から
「普通の生活を送るのが一番だよ」と言われても
今朝、被災地のおばの声を聞く迄は、私も元気が出ませんでした。



でも、被災した仙台のおばから

「夢をかなえて良かったね。応援しているよ!」

と言われ、こんな事じゃいけないと思いました。



「私の歌を聴くと元気になる」

そんな、みなさんの声を胸にまた歌おうと思います。



「私が出来る事」から始めて行こうと思います。



30年前、母が亡くなった時、12才の私が思ったように


亡くなった方が心配しないように、

亡くなった方の分も笑顔で元気にがんばりましょう!




ひとりでも多くの方が助かって欲しい、
みんな元気で頑張って欲しい、そればかりを祈りながら…。