福音のはじまり | めぐみキリスト教会

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人はパンだけで生きるのではなく神の口からでる一つ一つのことばによる。
               新約聖書マタイの福音書4章4節

 今日は、マルコ福音書1章1節~8節までのところから「福音の始まり」と言う題で、みことばから恵みを頂きたいと思います。

 

 マルコ福音書は、新約聖書の四つの福音書中でも最も早くに書かれたものです。その著者は誰かと言うとマルコ福音書とあるように、イエス様の十二弟子のマルコです。マルコはギリシャ語の名でして、ユダヤ人の彼のヘブル語の名はヨハネと言います。「主は恵み深い」と言う意味です。彼の両親は、そうあってほしいと願って付けたのでしょう(使徒12:25)。

 

 聖書を見ると、マルコは聖書のあちこちに出てきますので、それらの記事を見てみますと彼の性格であったり生い立ちが分かってきます。彼の母はマリヤと言います(使徒12:12)。マリヤと言う名は聖書なのかで複数人いますので混乱しないで下さい。マクダラのマリヤ、ヤコブの母マリヤ、イエスの母マリヤ、ベタニヤのマリヤなどです。お父さんは、聖書には出てきませんので早くに亡くなっているようです。

 

 母マリヤの家はとても裕福な家でした。イエス様の最後の晩餐もマルコの家でしたし、ペンテコステに日120人の弟子たちが集まって祈っていた所もマルコの家の一室でした。それだけ見ても、彼はとても裕福な家の御坊ちゃま育ちのところがありましたから、若い頃は我慢することが苦手のようでした(マルコ14:51~52、使徒15:36~39)。

 

 そんなマルコでしたが、数年の時が過ぎ彼は変えられたのです。パウロ先生から信頼を失っていましたが、その後、パウロ先生から役に立つ男だといわれるような器へと成長したのです。それは、神のお取り扱いと、神のみ言葉に養われたからでしょう(ローマ1:16)。

 

 その様に、神に用いられる器となったマルコが、今ここにキリストの福音を書き残そうとしたのです。

 1節をご覧下さい。ここに「福音のはじめ」とあります。福音とは「グッドニュース」と言うことで、何が私たちにとってグッドニュースなのかと言うと、イエス・キリストだと言うのです。

 

 しかし、2節を見ると、キリストについて書いているのかと思いきや、預言者イザヤと出てきます。イザヤと言う預言者は、イエス様が誕生する700年も前に神に用いられた人です。その預言者が言っていた通り、バプテスマのヨハネが登場したというのです。

 

 バプテスマのヨハネについては、6節を見ると、まるで仙人の様な変わり者のように見えますが、彼は旧約時代の最後の預言者であるとともに、新約時代への架け橋となった預言者でもあるのです。彼は具体的にどういう働きをしたのかと言うと、「悔い改めのバプテスマ」を説いていたのです(4節)。

 

 「説いていた」と言うと、福音について自分で調べたことや悟ったことを話していたと私たちは思いますが、そうではありません。神の言葉をそのまま預かり人々に伝え宣言していたということです。

 

 初めて教会に来た人は、「悔い改めて福音を信じなさい」と一方的に言われて、カチーンと頭にくる人もいると聞きますが、ヨハネは、そんなことなどお構いなしに人々に宣言していたのです。これが預言者なのです。ですから預言者は、私はこう思うとか、こうなるかもしれないというような、あやふやなことは言わないのです。

 

 ここで注目したいのは「降った」と言う言葉です。これは、ヨハネの宣教の業は、神の言葉が降ったことによって始められたということを意味しています。ですから、ヨハネの宣教の働きは、彼が今までずっと学んで温めてきたことを、いよいよ語る時が来たのでここで一念発起して語り始めたのではないのです。

 

 ですから、神の福音と言うのは、人間の思想であったり人間が考えて始めたことではなくて、神から降った知らせであり、神が告げられたみ言葉なのです。そして、人がそれを聞き、受け入れ、それによって生きていこうとするときに、信仰者としての歩みが始まるのです。

 

 ですから、バプテスマのヨハネは、人々に罪を指摘し悔い改めを宣言したのです。人々は彼の厳しい言葉を聞いて、反発したり拒絶したのかと思いきや、1章5節をご覧下さい。ユダヤ全国から、またエルサレムの全住民が彼のところに来て、バプテスマを受けたとありますから驚きです。

 

 なぜ人々は、彼の言葉に引き寄せられたのかと言うと、そこに神の臨在を見たからでしょう。私たちも、キリストの福音をストレートに伝えていかなければなりません。ただ注意したいのは、語るだけでなく、キリスト者にふさわしい生き方を忘れてはいけません、このバランスが大切なのです。

 

 私たちも、このヨハネの様に、この世の何かではなくてキリストの福音を届ける者でありたいと思います。Ⅱテモテ4章2節