見た方も、見なかった方も、見られなかった方も

ネタバレ含めて…。(放送後だし)


東日本大震災から 7年


ここへ来て、吐きだせなかった、我慢していた気持ちがあふれ

心や、行動に異変があらわれている子どもたち、親子の姿を

追っていました。


番組としては、その気持ちをどう乗り越えたか

また、そんな中にいる人に、どう乗り越えていけるかの願い、思いを込めて

エンディングを迎え、希望を胸に抱けるのですが


私自身は、エンディングの希望だけではなく

冒頭で

カレンダーの3月11日を

ペンでグリグリと

「なくなっちゃった」

「嫌だもんね」と塗りつぶす場面。

親子にとっては、当たり前の行事だったのでしょうか。

ソコから、大きな衝撃と、反面、今後へのメッセージをもらった気がします。



乗り越えるということは、

消したり、なくしたり、なかったことにすることじゃないんだな…。

逆に、そうすれば、そうするほど、消せない事実が襲ってきて

ずっと苦しいんだな。


一番苦しい「認める」「受け入れる」ということが出来たとき

その次に、はじめて、乗り越えるという、道があるのかもしれない。


それは、震災だけではなくて、誰にでも言える事で、

人の死、つらい体験、二度と見たくない様々な思い、決してバカに出来ない失恋など。

生き死にだけではなく、自信では受け止めるに重過ぎる様々なぶつかり。

もう一度、見つめて、見つめなおして、受け入れて…からの

道。


簡単そうで、本当に出来ない。

だからこそ、それを助けるために

ドクターや、友達や、愛を持った周りの人が必要なんだな、と。


以前、マルドゥック・スクランブルという作品で

自分の嫌な記憶を消して生き続けている「シェル」という男がいました。

嫌な記憶を消しているにもかかわらず、ずっと苦しみ、ずっと怯えていました。


嫌な記憶、嫌な体験は「消せない」「消えはしない」「なかったことにはならない」

でも、それでも、「生きていく?」「生きなければならない?」「生かされた?」


ワードはどれでもいいのだけれど、

その経験があって、今、「生きている」という事実を、無理やりではなく

受け止められたときに、きっと、道に光がさすんですね。


どうか、どうか、ご自分を責めず、生き残った事を嘆きすぎず

「生きている」という、

これからの命の使い道に、光が柔らかく、さしますように。