大阪府 PNきたようさんより

めぐさん、こんにちは。
紆余曲折を経て、数年前に英会話の先生になることができました。
英語は苦手だったはずなのに、ここまで成長できたのは、
ひとえにめぐさんが色々な媒体を通じて発信してくれた
「言葉と心を大切に」という哲学のお陰だなぁ、
と感謝しています。
この仕事に就いて気づいたのは、
母国語、外国語に関わらず本当に言葉の達人って、
子供のうちに勉強を始めたとか、
成績が良いとか、そんなことではなく、
言葉とそれを発する心を大切にする人なんだということです。
ただ、この哲学、なかなか生徒には伝わりませんね( ノД`)
例えば"Good morning!"の一言でも、
練習だからって機械的に声に出す人と
友達に話しかけるつもりで生き生きと声に出す人では、
後々の上達度が違うんです。
知らない単語に出会っても、辞書も引かない。
「自分の言葉」にしようとしない。
勉強がとても表面的で、
とりあえずテストに出ることしか興味がない。
ひどいと「子供をバイリンガルに育てたいから」と言って、
付け焼刃の、愛情も何もない、
空っぽの言葉をとりあえず覚えて赤ちゃんに話しかけている、
という人もいます。そういう人は
日本語もちょっと危うい・・・これでいいのかと危機感を感じます。
「言葉と心を大切に」の哲学、めぐさんのファンとして、
また実践者として地道に伝えていけたらな、と思います



まずは先生就任おめでとう!

己の努力のたまものですよ。

そして、「ここから」だね!


さて、あらためて


そっか…

心と言葉。なるほどね

哲学だったのか…とひとしきり…。


そういう言い方をするならば


昭和の時代の「駄菓子屋のおばあちゃん」

って

哲学の塊だったのかもしれないね。


ほろりと言う言葉には

つちかった年輪があり、

説得力がある。

さてはて、
「心問題」は根深いですよ。

心があっても、なくても

英検や、トエックの点数が良いと

英語ができる人になってしまうみたいに


心には、級も、点数もつけられない。


あるのが良くて

無い(感じられない)のが悪い

って時代でもなくなってきている。


本当に思ってなくても


「ありがとう」(Thank you)

「ごめんね」(sorry)

は言えるちゃ、言える。


でも、もし言葉がなかったら…?


(`・ω・´)


英語どころか、全くわからない言語の間に

立たされたら?


きっと

ボディランゲージで伝えるしかなくなる。


英語の先生に言う事じゃないけど


もしかしたら

それが究極の「心表現」かもしれないね。


そして、

それじゃ足りない!

もっと、もっとちゃんと伝えたい!


の先に「言葉」が存在する。


ボディランゲージは言葉が出来ない人のもの

ととらえずに

心全開で話そうとする人


ってとらえたら、それはそれで好感が持てるね。

ちなみに

心と言葉

で、浮かぶのは


やはし

綾波レイ

「心がないのではなくて、感情を知らない」

という、庵野監督の演出


改めて、深いわ


まあ、丸投げなとこあったけど( ̄▽ ̄;)



お味噌汁飲んでの


「おいしい」


棒読みだけど、

「おいしい」って心は
動いてるからな~。

あの味は、私の脳内に保管計画
してあるのであーる。笑