ラジオの延長…のつもりで始めたこのブログ

 

ブログやっていてなんですが…、

 

ふと思う事。

 

SNSが当たり前になったら

SNSに飽きる人もそろそろ出てくるんじゃないかなあ…

なんて。

 

犯罪とか

怖い事件とか

そこまで、恐怖にかられてではなく

単純に

「飽きる」

…て感じ。

 

ラインなどの連絡手段や

検索などの調べる手段はともかく

 

自分から発信するって部分。

 

フェイスブックがスタートした時

なつかしいあの人や、そんなとこで

そんな活動してんの?の知り合いや

同じ趣味の人や、出かける先の情報や

 

ネットさえ繋がっていれば

人と人が本当につながれた。

 

で、

情報交換から

 

「自己発信」になって

芸能人じゃなくても

いいねをもらったり

コメントもらったり。

 

インスタも…

 

ある意味どんどん簡略化して

なんなら文章すら、めんどくさくて

写真だけ!とか

(そうじゃないのもあるけど)

 

そして

更新にとらわれず

手軽な手軽な

ツイッター

 

でも、

そのうち

つぶやくのもめんどくさくなって

 

あんまりしなくなったり…とか。

 

「寝顔です」に、神クラスにかわいい

「すっぴんで~す」に、癒されると絶賛や

必死で撮る自撮りも、盛り上がり写真も

それも、これも

毎日食べるハンバーグは飽きるみたいに

毎日かわいいだ、ステキだ、いいねだ、

いいな~だ

言われたら、もういいか…みたいな。

まあ、そんな方向だけじゃなくても、

必死にブログを更新している人も

多少、依存していたかもな、人たちも

 

人類がネット上でやれることを

やれるだけやって

 

そして、

結果飽きちゃって、

 

ネット上が

 

いつしか

 

し~ん

 

としたら

どうだろう…と

 

洗濯ものをたたみながら

SFなことを考えてみた。


繋がる事が当たり前になると

逆に繋がらない事

個が個を自ら守るために

あえて、繋がらない。

とか。

 

「そんなわざわざ自分の時間裂いて、発信なんてめんどくない?」

「まじ?SNSまだやってんの?」

「ありえな~い」

 

はクールで、、ちょっと面白いけど

 

「え?他人に教えたいことなんてないし」

「は?知らない人に、なんでいちいち評価されなきゃいけないわけ?」

『プライバシーをわざわざ他人にさらして、

何の意味があんの?』 

ともしも、クールがちょっと冷え冷えしたら

その時代には、何があるんだろう。

昭和にスマホがなかったように、

それに代わる何があるんだろう。

 何もないように見えた昭和

何でもあるように見える平成

何もいらない 次世代…。

はやだな。

 

と妄想が負の方向に行ったから、

このへんでやめよう。

 

「おなかすいた」

 

「何か食べろよ」

 

こんなつぶやきがあったかく感じるのは

 

まずまず、「いいね」だな。