東京都 たけやくん 19歳

めぐさん、ぱっぴー。
誰かにお話したくて、言葉にしたくて

ラジオぶりにこのホームに打ち込んでおります。
今日、父方の祖父が天国へ旅立ったと連絡がありました。
とても元気な方で、約16年前に祖母が亡くなってから1人で生活し、

毎年お歳暮やら何やらと沢山送ってくださいました。
お電話をしても、ちゃんと私を認識してくださっていました。
私の父(祖父の長男)が6年前に他界したとき、

慰霊車には私の母、私の姉と兄、

そして私の4人しか乗れず

「なぜ祖父ではなく私が乗るのだろう」と

中学生ながらに思った記憶があります。
祖父の命が私の命に繋がっていることを、

名前に誇りをもって、いつか苗字が変わっても

この名前を大切に祖父の優しさを忘れず、生きていたいと思います。
おじいちゃん、御先祖様方、ありがとうございます。

 

お盆も過ぎて…のご紹介。

私も来年で半世紀歳 ひゃあ!

 全然悲しい話じゃなくて、

怯えたり、恐れたりすることでもなく

本当に静かに

もう、

今まで生きてきた分は「生きない」な…って

しみじみ思う事があるんだ。

 

めぐさん死なないで~!

そんなふうに言わないで~!とか

まさか、病気?とか、

そういう意味じゃなくてだよ!!

本当にね。折り返し越えたなと

 

NHKで

ロボット工学のナレーションをやってみたり

未来に命をつなげる

すんごい技術がある…とか

プログラム化することで、

命は永遠になる…とか
 

いやいやいいやいや…。

「死」は大事だろ

 

その永遠の命は、残された人のもので

もはや、その人自身ではない気がする。

みたいな。

 

近しい人の死はとても悲しい。

どうもこうもない。

心の痛みを消す薬もない(なくていい)

どんなに願っても、もう会えない

(会えなくていい)

 

だからこそ

一緒にいた時間が永遠になる。

 

私の中で

もういない「おばあちゃん」に今でも助けられること

私の血液に流れる「父の血」を心底感じること

 

会えなくても、

会えないからこそ、

ありがたさを痛感できることが

死の先に、沢山ある。

 

肉親だけでなく、

仕事で出会ったあの人もこの人も

死んでしまっているけれど

きれいごとではなく、生きている感じ。

 

わかりやすく言い換えると

教えがちゃんと「生きてるっ」ていう感じかな。

かつて共に過ごした時間に「今」なお、救われる。

 死んだら本当んとこ、どうなるのか…は

死んでみないことにはわからないけど

(各宗教的にたどる道はともかくとして)

 

「死」という現象は誰にでも訪れる

なんなら、旅立ちと踏まえ、

残りどんだけあるかはともかく、

 いつか、必ず、ソコにあるものとして

悲しみではない意味合いで

脳内にあっていいものだと思う。

 

あの…

そんな

重くないレベルでね😇

 

たけやくんのじーちゃんも、

たけやくんの人生の中に一生いるもの。

絶対。

 

 今日は 奇しくも、今敏監督の御命日

今さんのブログに上がったご自身の、

あまりに凛とした遺書が話題になったのも、

随分前の話です。

作品は沢山残っています。

夏の終わりに是非ご覧くださいな。

 

リンクは貼りません。

最後の御言葉をご存知ない方は

ご自分でダイブしてくださいね。