僕は幼い頃

よく転校を繰り返していた


そして両親は

夫婦喧嘩が絶えない夫婦だった


小学校3年のころ

母がこんな環境は良くないと

離婚を決意する


そんな頃に今の父親は

僕の実の父親じゃないと知らされた


母は遠くに住む僕の実の父親と

電話で話をさせてくれた


僕はその時訳もわからず

ボロボロと涙を流しながら

話した記憶が残ってる


僕には4つ下の妹がいたが

その頃の父親は妹には実の父親だったので


母は苦渋の決断をし

妹を置いて僕と二人で家を出た


向かった先は僕の父が住む地へ


僕の実の父と母は結婚はしていなかった

僕がまだ母のお腹の中にいるときに

父は家を出ていったと母から聞かされた


父はある企業の跡取りで

母との結婚を反対されていたらしい


それを知った母は父に選択肢を与えた


企業の跡取りを取るか

母とお腹の中の僕との家族を取るのか


その翌朝父は

家の鍵を置いて出ていった


そして母は僕を生んだあと

産まれたばかりの僕と実家へ帰ったのだ


母は離婚をして

またその父の住む地で

僕と二人で再出発しようと決意する


そんなときに僕は

実の父親と初めて会うことになった


僕の父は遺伝子検査でもしない限り

僕の実の父親だという証拠はない


でも僕はなぜか

この人は実の父親だと

肌で感じることができた


今振り返ると

産まれて初めて遠慮の要らない人だと

そう感じていたのだろう


短い期間だったが

その頃父と遊んだ記憶が

今でも残っている


これも今振り返ると

最初で最後の楽しい記憶だった


そんな父も

僕のことが可愛かったらしく

母とやり直したいと母に話したらしい


しかし母はそれを望まなかった


父はすでに家庭を持っていた

子供も二人いた


いわゆる僕は

父からすると隠し子になる


うちらみたいな経験をするのは

もううちらだけでいいと


母は父に今の家庭を大事にしてほしいと

おそらく断ったのだろう


その話を母は僕にもしてくれた

僕たちは母が離婚をするまで

どれだけ辛い経験をしてきたのか


それを考えると

僕も手放しでは喜べなかった


確かに父と一緒に暮らしたい


でもそれよりも

今の父の家庭に

同じ辛さを味わってほしくなかった


母はその事を話し

夜の仕事に出る前に


もうお父さんが来ても

ドアを開けてはいけないよと言い残して


僕はいつものごとく

夜はひとりで留守番をしてた


すると仕事を終えた父は

僕の家にやってきて家のドアを叩く


○○くん、帰ってきたよ

ドアを開けてくれないか?


僕は

お母さんがもう会ってダメだって


○○くんはもうそれでいいんだな


・・・

しばらく無言が続いたあと


父は去って行った


今振り返ると

10歳に満たなかった僕が

出した決断だった


僕はその頃はその事事態に

なんにも感情を抱いていなかった


今振り返ると僕は自分の感情を

封じ込めてしまっていたのだろう


それも45年近くも


ある心理カウンセリングの

養成講座に通ってた頃も


僕はその頃の感情を

封じ込めていたことに

気が付かないいでいた




長くなったので

次の投稿につづく