"「死後」を説いていない"
(そもそも釈迦は死後は説いてない)
でも
どうやらこの世界
"死んで終わりじゃない"
世界。
信仰していた時代
"お題目"をあげ抜いても
指導集を読みあさっても
いつも心の底で
どこか足りない…
"最後"
の答えがない……
あとから考えると
いつもそう感じていた
終わりのない
ゴールのない「戦い」は
あとから考えると
まわし車で走っている
ネズミの様…
自らを見つめる暇などない
息つく間のない
「無限ループ」の世界だった。
説明できない焦りや
物理的な忙しさに
思考は…
それらに費やすエネルギーは
常に枯渇していたのだ
死後の世界を
あらゆる見えない世界を
本当の歴史を
知りたかった
"生に焦点をあてる"
これはもちろん間違いではない
けれど、
生きることで
必死な時代は終わりに近づき
生への執着は
昔と比べ薄くなったと言える
畏怖するものとして教えられてきた
「死」を
とらえていく時代だ。
インターネットの普及で
「生」の在り方は飛躍的に変容をとげた
「即身成仏」を説いていたが
(生きたまま"成仏"できるという教え {死後の成仏を説く宗教が多いが生あるまま仏の境涯を表すこと} )
もう、それだけでは不充分、なのだ。
生を説いた時代は
今度は死を説く時代に。
人々は
生というものを謳歌し尽くした後
災害やパンデミックを体験し
求めるものは
変化してきた。
宇宙は
常に
変化変容拡大し続けるものだ。
"変化"を受け入れなければならない。
この肉体から離れ
人は、
魂は
どこへ行くのか
生まれ変わりがあるのならば
どのような段階を経て
生まれ変わるのか
もう、あらゆる情報は
とどまることなく
一気に溢れている。
不確かな情報も溢れるものだが
様々に新たな研究による
事実、科学は
それに追い付き
追い越す時代になりつつある。
死後は知りようもない
あやしい世界
そこでストップしたままでは
自身の 地球の発展は
止まってしまうだろう
(宗教といっても
本来の在り方とは
別物になっている場合がほとんどだろうが)
既存の宗教の全ては…
「アタラシイカタチ」 へと
生まれ変わらねば
その存在価値は
失われていくだろう

