「在る」 たしかに存在している

ここに在る自分の意識


誰の疑いようもなく

思考しているという我


この意識思考する存在は

何者なのか

いったい何者といえるのか



消えては又灯る

星の瞬きのように

瞬きは

自ら消えよう灯ろうと

意図していない


魂のリズム

今の人類は

何者かを探求するに

物理次元の肉体に入れた魂の実験


命も短い その儚い存在たちは…

「何者か」への

問の答えに 少し近づいたのではないか


儚さ

そう、消えるから瞬きは美しく見える


数字の世界でも

0(ゼロ)があってこそ

1を証明できる


視点を変える

消えている、0の方が

何者か、存在に意味を求めて

「在る」を生んだか……




「無い」「0」「消える」陰陽の「陰」……

……………「陰」を愛する!??


無いを愛する

0を見る

消えるを愛しみ味わう



陰をきらい、認めないから

陰は主張する…………




全てを

「在る❗」……と認めることだ❗


(存在していないとする無も存在している!)

(そしてそう、卵鶏論争も、"両方在る"。姿の見えない鶏と見える鶏からはじまる、というより同時存在している。………を今は結論としたらどうだろう)




今、物理次元の現実世界では

強い「動」を続けた結果

「静」「止まる」ことを学んでいる


止まるを歓迎すればいい

もっと言ってしまえば…

忌み嫌ってきた「死」をも

歓迎する


これは大きく魂の学びになるだろう





💫さてこの思考する、たしかに

存在する意識の我は   

何者なのか……


「在る」と「無い」を繰り返す存在

「無い」という"在る"をもって


「在る」という存在を知り

"在る"を歓ぶ者だ



そのとき、

意識の底から湧き出る

"存在している"歓びを………


魂からの訴え

謳いたくなる、止められぬ衝動

そう、歌うに相応しい「ハレルヤ❗❗」

在る時 魂はハレルヤを歌う