「しんどい」
「何かおかしい」
「幸せを祈っているのに一番悩みになっているのは宗教内部の人間関係・・・」
悩みながらも 疑うことすらこわい というのが
長年続けてきた宗教の洗脳である。
■疑問を感じながらもなぜやめられないのか
・自らの心の拠り所がなくなる恐さ
・宗教によっては、やめると不幸になる・地獄に落ちる等と言われていたりする(そりゃ恐いよ😱)
・コミュニティ内のしがらみから抜けられない
・コミュニティ内の様々なルールがあり、行動に不自由さがある(仕事を持つことさえ“指導”が必要!)
・日常の物理的な忙しさ、しんどさによって「考える(内観する)」エネルギーを奪われている
・自己否定的になりがち・疑問が生じても全て「自己の力不足(祈り不足)」故となるため、外部に相談する等の行動にはならない
(自己否定的なのは自身の他に神仏本尊を置き崇めることで、大抵起こり得ることだろう…特に内観する余裕のない場合は顕著)
■そもそも宗教の目的って?
・自らが「仏」や「神の子」であることを知る・悟る
・幸福、世界平和のために祈り・行動すること
■なぜ信仰するのか?
・無明に覆われた生命、迷える魂の救済
(生きる意味、死後世界、病・障害の意味、幸福とは・平和とは・・・を知るため)
[不明なことだらけの世界に答えを求めるため]
・・・この不明(グレーゾーン)の多き世界よ。
この世の宗教という「タブー」よ。
もう、「うんざり」なのだ。
これまでさんざん搾取されてきたのだ、私の時間を返してもらおう。
「拠り所がなくなる」恐さ!?
大丈夫。
今は目覚めの時らしい。
大丈夫だよ、気づいてゆける。
私の場合は苦しみの時期が長かったためか、
洗脳からの「目覚め」は団体から距離を置いてからすぐに、一瞬で起こったような感じだった。
あとはひとつひとつ。
「ん?これって無理してやる必要ないよね」
「あれ?なんか別に(お勤めに)座らなくていいんじゃない?」
自分の心のままで生きる・という自由を1日1日ゆっくりと味わいながら進んでいる。
長い苦しみから目覚めに至った私を書いてみるのは次回に。