中崎は日本人として天皇の血筋をまもりたい「悠仁さま、慶應は虚心坦懐、お迎えいたします。」 | 中崎塾和歌山校【代表:慶應高校・大学(経済学部・島田晴雄ゼミ)出身】

中崎塾和歌山校【代表:慶應高校・大学(経済学部・島田晴雄ゼミ)出身】

「基礎の徹底」をテーマに「受験」に縛られた勉強から生徒・保護者の皆様を解き放ち、真の学力向上を目指します。

いつもお支え頂きありがとうございます。

今日も沢山の生徒と学べましたこと感謝いたします。

 

今日は、念願の夢が叶いまして、妻とツーリングに行きました!高速に乗って、明恵温泉までのロングツーリングでしたが、インカムをつないで色々なことを話せたので、とてもうれしかったです!200Mくらい離れても音声が途切れないので、今のインカムの性能は素晴らしい!です!感動しました!

 

 

 

 

 

悠仁さまの「東大進学反対」にかんして、 ネット署名サイトが設けられ、署名者数は12,000人を超えた、という記事をネットで拝見いたしました。

 

中崎は、どうにも心が痛いです。

悠仁さまは皇位継承順位2位、天皇になられる可能性が十分にあるお方です。

 

戊辰戦争が英仏の代理戦争となりかけた際、江戸城無血開城(1868年4月)によって、両国の干渉は阻止されました。これは、鳥羽伏見の戦い(1868年1月)で「錦の御旗(天皇が官軍の大将に渡す旗印)」が薩長軍側に翻ったことを知った将軍・徳川慶喜が、江戸城へ戻り謹慎を続けたことが一つの契機となっている、と中崎は考えています。

 

日本が仏英の干渉を排除できたのは、佐幕派、倒幕派ともに「天皇」という存在によって結びついていたからにほかなりません。

 

「天皇」という存在がなければ、日本は、アフリカ諸国のように定規で線を引くがごとく、西洋諸国によって、バラバラにされてしまっていたかも知れないと思うのです。

 

福沢諭吉先生がおつくりになられた、わが母校、慶應は、虚心坦懐、百三顧之礼を尽くして、悠仁さまをお迎えいたしますので、どうか、慶應にお越しください。

 

信濃町でも、矢上でも、日吉でも、三田でも、悠仁さまがお好きな学部で学んでいただけると存じます。

 

どうか慶應で悠仁さまが笑顔の日々をお過ごしいただけることを日本国民として、塾員として、心より願っております。

 

以上。

お読みいただきありがとうございました。

 

中崎塾

中崎一樹