斎場は、おかあさんの時と同じ場所で、おとうさんが眠っている部屋と、控え室用にテーブルが置いてある部屋との、二間続きの和室でした。
祭壇があるほうの和室の隅に座って、携帯を見ていた息子の横で、おとうさんが一緒に携帯を覗き込んでいたのがみえたそうです。
お兄さんたちにも、去年会った時に父ちゃんがみえるという話をしたので、話したらごく自然に受け止めてくれました(お兄さんは昔、小さいおじさんをみたことがあると言っていました)。
さらに驚いたことに、おとうさんは、棺に入れると言っていた、まだ袖を通していなかった服を着ていると言うのです
そして、お兄さんが遺影用にプリントしたおとうさんの写真を分けてくれましたが、最近のものや、私の携帯に入っていた、6年前に撮ったものなどがありました。
父ちゃんがみたおとうさんのお顔は、最近のものよりも6年前の写真に近かったそうです。
その後もおとうさんは、祭壇の近くにいて、棺をのぞきこんだりしていたようです。
亡くなってからまだ丸一日くらいだったので、まだよくわかっていなかったのかも知れません。
私の叔母の時と同様に、父ちゃんの夢の中にあらわれたおとうさんは、にこにこと笑っていたそうです。
大動脈解離で人工の血管を入れて10年、おかあさんを見送ってから6年、帰省して「また来るからね」と言って帰る時には毎回、「もう年じゃき、(次は会えるか)わからん」と言っていたおとうさん、よく頑張ったね。
実家の近所の女性が斎場に勤めていて、おかあさんの時にもお世話になりました。
朗らかだったおかあさんと似たタイプの温かい方で、おとうさんの車が(廃車にしたため)無くなっていたので、気になっていたそうです。
その方が、右手の不自由なお兄さんが棺に服を入れるのを手伝ってくださいました。
おとうさん、紺色の服がよく似合っていました
火葬場から斎場へ戻り、初七日にあたる十日祭を行いました。
玉串(榊)を奉納して二礼二拍手一礼をします。
拍手は「しのび手」と言って音を立てずにするのですが、左手に強い失調がある父ちゃんは、音を立ててしまい、おとうさんは笑っていたそうです。
榊の向きを変えて奉納する時には、父ちゃんの横で手伝う私は反対に回しかけて、「違う違う」と呟いて直したり
最後の最後に、宮司さんがおとうさんの名前を忘れてしまい、言葉に詰まっていらしたので、「○○です」と小声で助け舟を出したりと、締めくくりは笑顔で終わりました
おとうさんが旅立った2日後にはすべて終わり、家に帰って来たのですが、そのまた2日後には、私の母が救急搬送されたり(今は回復しています)と、落ち着かない日が続きました
土曜日には、父ちゃんのプラスチックの仮歯が欠けた上に、飲み込んでしまうというアクシデントが発生
マンションの理事会を早退させてもらって、歯医者さんに連れて行きました
そして、夜には頭が痛いと顔色の悪い息子。
とうとう私は叫びました
「あんたたちは倒れていればいいかもしれないけど、いつもいつも心配させられるこっちの身にもなってみろ」
好きで病気になっているわけではないのはわかっていますが、言わずにはいられませんでした
父ちゃんの生検の結果も気になっていて、もう限界だったのです。
「そんなこと、言われましても…」
と、父ちゃんが言いました
息子も同じ気持ちだったことでしょう。
でも、心の中を吐き出して、少しスッキリしました
そして今日は、父ちゃんがお兄さんに服を買いたいと言うので、休む間もなくアウトレットへ行って来ました。
1日雨の予報でしたが、「雨でも行く」と父ちゃん。
覚悟して出かけましたが、ほとんど濡れずに済みました。
お兄さんにTシャツを、連れ合いさんには香りの良いボディスクラブを選びました。
おとうさんのことでは、何もできなかったので、せめてものお礼の気持ちです。
色々なことがあった1週間でした。
もしかしたら、気が紛れるように色々起こっているのかなぁなんて思いました。
今週からは通常運転に戻して、みなさんのところにもお邪魔したいです
今日も読んでくださり、ありがとうございました。