2629日目。

おはようございます

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4月27日、水曜日です。

今日は番外編。
今年の春に高校生になったことから、やっと『男の子で、高校生です』と公開した、息子と私のこれまでを、ダイジェストで

書籍化にて、お送りします。



2回目の『風』です。笑
ちなみに、コチラが1度目の『書籍化風』です。
息子と私のお弁当を通しての1週間のエピソードが盛り沢山です。


◆はじまり、はじまり。

まずは、ざっくりと自己紹介。
私は4歳から『絵かきさん』になる夢を追いかけ、独学で、18歳で本職絵かきになりました。
アパレルメーカー数社のTシャツデザインから始まり、19歳でフリーマガジンの漫画を書いたり、服屋の店長になったり。目まぐるしく夢に向かって走っていました。…そして、もう間もなく23歳になる、22歳で『息子』との人生が始まりました。

私は、シングルマザーな理由を公開していません。
これは、息子が大きくなって、ここやSNSに残る文章に余分な想いをして欲しくないからです。
そういう話は、直接、時が来たらパァーっと、本人にしたいなぁ、と。

『それが世の中のシングルマザーの勇気になる』と、メディアのお話が来た時に言われたときも、
『私は息子の将来を選ぶ、ただの母です』と、シングルマザーな事すら公開せずに、シンプルに絵かきとして公の場に立ちました。

今述べた事の他にも、
『シングルマザーだから絵を買うよ。』と言われたときに、ありがたいけど、シンプルに絵で勝負しなきゃ。という気持ちと、
そして、もっと更にシンプルに『2人暮らしで、息子に何かあってはいけない』という防犯の気持ちから、
ひとまずは、10歳まではシングルマザーな事も公開せずにやってみよう。と思ったのでした。

10歳になり、ここでシングルマザーな事をお話ししたときも、沢山の激励の言葉を皆さんにいただいて、本当に涙なくして読めないほど、嬉しかったです。

さて、高校生になっても、やっぱり私は色々な過去に口を開かずに、どんなお話しができると言うのでしょうか…。 始めっ。


〜2人の生活、4ヶ月のキミと。〜

貯金もなく、お仕事を漠然と探しながら始まった、小さなおチビさんと私の生活。
もう、絵かきの夢は諦めて、別のお仕事を探そう。
…そう思えば思うほど、心の片隅で、『ほんとにそれで良いの?』
『方法は無いの?』 ひたすらユラユラと、私の本心が尋ねてきました。

まだ、おチビさん、4ヶ月なんです。
小さな手を見つめながら、私は静かに、自分の人生のこれまでを振り返りました。

『いつか』を夢見て、ドッジボールをする友達を窓から眺めながら絵を描いた、昼休み。
年頃になって、旅行に出かける友達たちを見送りながらTシャツデザインに集中した、18歳。
まるで『あの日の窓から見た景色』のように、楽しそうに向こうで笑う皆んなを横目に、作業に励んだ、SNSのタイムライン。。

【ほんとに、やめちゃうの?】【これまでの努力を捨てきれないだけなんじゃないの?】
【でも、絵かきなんて不安定なお仕事で、親は務まるの?】

グルグルグルグル、毎日、ひたすら自分から自分への質問が頭や心に回ります。

…そんなの、『絵かきが真っ当な仕事じゃないみたいで、嫌だ。』 
これが、私の本心で、いよいよ火がついた。


ねぇ。おチビさん。
『働く親の背中』と、『夢いっぱいの親の背中』、どちらも私にできないかな。
…これで見つからなきゃ、運命じゃないって片付けられるぐらいは、挑んでみようか。
少しだけ、がんばってみたい。もう少しだけ、やってみたいの。。

…ラストチャンスだ。



〜過去からの赤い糸〜

パソコンを買うお金もなく、紙に手書きで書いたプロフィールを持って、町の小さなラジオ局、フリーペーパーの会社、モデル事務所、、ありとあらゆる会社に『アポ』を取り、走り回る事、1年。

微々たる貯金もあと少し。
時々、過去にお世話になったアパレルメーカーさんやフリーマガジンの編集部の方々が絵の仕事を振ってくれるも、生活するには、届かず。

おチビさんのお金だから、これは使わずに。。
『あぁ。もうダメか。』 

交通費すら出せないほど、ギリギリになってきて、走り出した日から、気付けばもう、1年。

『よし。わかった!』 深呼吸して、現実と向き合って、電話の受話器をあげました。
『職案』に電話をかけよう。なんだって、お仕事無いか聞いてみよう。

潔いスピードで受話器を上げられたのは、この1年のおかげだから、ずいぶん遅かった。

プッシュボタンに指を置いた瞬間、携帯電話が鳴った。一旦受話器を置いて、携帯に出た。

『もしもし?会わせたい人がいるから、すぐ来れない?』
19歳の頃、お世話になっていた、メーカーの社長さんだ。私は、すぐに大阪に走った。

そこで紹介してもらったのが、
『ボクサーパンツのデザインをして欲しい。自宅仕事で、毎月お給料出すから!あと、出勤が必要なときは、保育料も出す』と言ってくれた社長さんだった。

…そんなふうに、過去の繋がりに助けられ、それからも次々と助けられ、私は、『絵かき』の糸を切らず、少しずつ結えながら、気がつけば20年になる。




〜大丈夫。ママはお家で1等賞だから〜

まだ息子が保育園の頃だ。
そうして沢山の方や、町に絵かきとしてお仕事を貰っていた時のこと。
やはり、大きな安定はしない生活に、息子の事が心配でありつつ、自分の絵に未来がないとは思えないほど、積み上げて来たものが、そこにあった。

だけれどまだ、今思えば弱さだらけだった。

大きな絵の依頼が来て、それが上手くいかず完成間近でキャンセルになり、かなり落ち込んだ時のこと。
『そうだ。お店に飾ってある、私の絵を見に行こう』
少しでも、自分を肯定したくてお店の前を通りすぎながら、店内を覗いた。
…そこに、私のあるはずの絵が無かった。

ずっと前向きに走ってきて、なぜかこの日は、何もかもが下向きに動いて、
勢いとは恐ろしいもので、【それまでのプラスの勢い】が、同じ振り幅で【マイナス】に襲いかかってきたのだ。

キッチンで夕飯を作っていると、涙が出そうになった。
『ごめん。おチビさん。細々でも、何苦労なく、一緒に笑っていたいのに。本末転倒じゃないか。』
心の中で、たくさん溢れてきた。

そんな時、おチビさんが突然、私の足にギュっと掴まってきた。

…どしたの? 

私はしゃがんで、おチビさんと顔を合わせた。

おチビさんは、めいっぱいの力で私を抱きしめて、
『ママ、どしたの?』 
と、尋ねてきた。
もう、全身の筋肉をすり抜けて、涙が出そうになった。

『なんでもないよ。ママ、ちょっと絵かきさんで上手じゃなかったの。大丈夫だよ。』

そう言うと、おチビさんは、さらにギューっと抱きしめて、私に言いました。

だいじょうぶ。ママは、おうちでいちばん、えがじょうずだから。いっとうしょうだから。

この言葉には、私はもう、なにも言葉が出ないほどに泣きました。

そして、『夢とは、視野を大きく!』と思いすぎていて、【フィールドを小さくすると、1番になれる】という事を教わったのです。

私の一生を変えてくれた言葉になるとは、この時の私は、まだ知る事はありませんでした。(この後、私は地元奈良にフォーカスを縮めて活動し、沢山のメディアに取り上げて貰えることになります)

ちなみに、後から聞いたお話し、お店の絵は、『ちょうどお掃除していて、外していた』だけだったそうな。 しかしそのおかげで、私はおチビさんから、大切な愛情と教えをもらえたのでした。


〜小さな絵かきさん、誕生〜

おチビさんが保育園の年長さんになったとき、私は大きな映画祭のトロフィーやグッズのデザインを依頼され、雑誌や新聞にも取り上げて貰えるようになってきた。
その雑誌社の方から、『2ヶ月後、ファミリーフェスをするのですが、そこで似顔絵とかできますか?』と、聞いて貰えたのだ。
私は似顔絵は、小学校の卒業アルバムでクラスメイトを描いたぐらいで、本格的には、した事が無かった。しかし。これは『大きなきっかけになる』と直感が働き、
『私、やりたいです!』と伝えて、翌日から、時間の許す限り、近くにいる人たちの似顔絵を描かせてもらい、走り回りました。

おチビさんの通う保育園では、学童保育の時間に呼んでいただき、
子供たちの似顔絵を。

子供とは面白いもので、私がお友達の似顔絵を描いていると、その絵を見つめすぎて、どんどん顔が近付いてくるのです。笑

子供たちのジャングルジムと化しながら、子供の似顔絵を描いていると、その外にいる子たちは、『似顔絵屋さん』と『モデル』の子になって、小さな似顔絵屋さんだらけに。

なんともかわいい景色の中、
完成した似顔絵を見て、『わぁ!〇〇ちゃんだ!すごい!』とキラキラした目で絵を見つめる子供たち。

その遠く向こうに、我が子のおチビさんがいました。

ふと目を合わせると、
『ママ、かっこいー!!』と、おもむろに画用紙を出してきて、クレヨンでお友達を描き始めたのです。

実は、息子はクラスの中で唯一、『絵が苦手かもしれない子』でした。
それは、大人が見た『苦手』なのかもしれませんが、人の絵を描くときに、目のところに、点を沢山描いちゃうような、独特な雰囲気だったのです。
いつも絵を描くときは、あまり楽しそうではなく、そんなひとつにも、
『私がお母さんがきちんと出来てないからなのかな。』と、ポツリ落ち込んでいました。

そのおチビさんが、黙々と、お友達を描きながら、私に言いました。

ぼくも、ママみたいにヒーローになるんだ

私はこの時初めて、【最初の親の背中】を見せられた気がしました。
動き出して、よかった。と、思えたのです。

いつもいつも、私がこの子に、支えられている。
そして、今の息子は私よりも絵が上手い。
おそるべし、きっかけ!



めぐ、初めての説教をくらう。〜

『ママ!そこに座りなさい!』
…おチビさんが小学1年生の春のこと。
私は、初めて、おチビさんに説教されました。

これは、私が初めて、大きなテレビ取材を受けることになったときのお話し。

その日はおチビさんの最初の参観日。なんと、大きなチャンスと参観日が、丸かぶりだったのです。

私はおチビさんに言いました。
『この前言ったテレビのお話しね、参観日と同じだったの。でも心配しないで。ママ、時間が同じなら、ぜーったいに、参観に行くし、テレビいらないから!』

この言葉に、おチビさんが言ったのです。
ママ、そこに座りなさい。と。

私は、『えっっ…』と戸惑いながら、おチビさんの前に正座しました。

おチビさんは大きな声で言いました。
あのね、さんかん日は、まだあるの。テレビのお話は、もうないかもしれないんだよ?早く有名になって、じまんのお母さんになってよ!』

…ねぇ。いつの間に、そんなしっかりしちゃったの? まだ小学一年生だよ?春だよ?
やはり私が頼りないから、こんな事まで言わせてしまっているとしか思えない。
すごく複雑な気持ちでその『教え』を聞いていたところ、

それにね、ママは間に合う。テレビも、さんかん日も。

なんだか、絶対そうなんだと思った。
分からないけれど、私以上に『夢とは何なのか』を教えてくれる、おチビさん。

そして、私はおチビさんにもらったチャンスを掴み、テレビの取材を受けてから、タクシーに飛び乗り、小学校へ。

初の参観日のラスト5分に駆け込むと、おチビさんが振り返り、満面の笑みで手を『Good!!』してくれたのを、私は一生、忘れない。




〜こんな沢山のエピソードがあった〜

まだまだあるけれど、私が『実はシングルマザーなのです』と公開するまでにも、こんな沢山のエピソードがありました。
そして、そんな母になった私と、『おチビさん』から『息子』呼びになった高校生の息子との生活は、
今も変わらず、変わりながら、続いています。
→高校スタートから2人で始めた『お弁当特訓』のお話しは、コチラ


〜そんな私の『母』〜

実は、一度だけ、『ブログを辞めよう』と思うほど凹んだ日がありました。(6年半無休で書いて、1回だけなのもスゴいか。笑)
それは、ブログを辞めようというより、何もかも手に付かないほど、落ち込んだ事件でした。

ただ、その日に、たったひとつ。

私の『母』が、私のブログを見て『クスっ』と笑っている後ろ姿を見たのです。

私は、自分が母であり、子供であるからこそ、分かった事がありました。

『この人が笑うなら、何が何でも、書く。』

そして、どこかの誰かも、私のブログを見て、こんな風に笑ってくれてるのかな。と、想像すると、私は母の背中を通して、またひとつ大きな大切な事を教わったのでした。


私は、ちょっと独特な母なのかもしれない。
足りない事も山ほどあると思う。

それでも、私の息子として生まれてきてくれて、ありがとう。
沢山の事を、教えてくれて、ありがとう。

息子が『幸せだ』と思える片隅に、寄り添える母になっていく。


〜最後に〜
長いお話を聞いてくださり、ありがとうございました。私は、自分の歩んで来た道が正しかったとは思いません。
しかしながら、間違っていたとも、思いません。

これからもきっと、ずっと自問自答したり、迷ったりしながら生きていくのだと思うけれど、
こんな生き方をしている奴もいるんだなぁ。と、思っていただけたら幸いです。

まだまだ、母としても、人としても、これからです。

いつも暖かい眼差しを、ありがとうございます。

今後とも、よろしくお願いします。


MEG♀

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