タイトル、おっもー。
過去3回とはだいぶ趣向が違うんですけど、先日歯磨きをしてたら突然ポッと浮かんで頭の中でいろいろ考えたので、それを記録しようと思います。
今世界中で勢いが衰えることなく、感染が拡大している新型コロナウイルス。
私の旦那さんの故郷であるイタリアでは、瞬く間に感染が広がり、多くの方が命を落とされています。
ほとんどの人が、まさかこんなに早く愛する人へ別れを告げないといけなくなるとは思ってもなかったでしょう。
そしてそれだけでなく、最後のお別れさえも許されない現実があります。
もし明日、私の家族が新型コロナウイルスに感染して隔離され、面会することもできずに永遠の別れとなったら?
考えるだけでとても胸が苦しいです。
イタリアのジュゼッペ・コンテ首相が言ったこの言葉は多くの人の胸に強く刺さりました。
「明日、抱きしめ合えるように今日は離れていよう。明日、もっと走れるように、今日は立ち止まっていよう」
ニュースによると、イタリアでの感染はピークを越したといわれています。
だからこそ、今が正念場。ここで気を緩めず感染防止に努めてほしいです。
そんなイタリアでは、早くから「お年寄りよりも若い人の命を優先する」動きがみられています。
先日歯磨きをしてた時、ふと頭に浮かんだんです。
私が運ばれたらどうなるんだろう?
私が新型コロナウイルスに感染し、かなり重い症状だったとして、同じタイミングに私より倍年を取っている60代のお医者さんが同じような状態で運ばれて来たとする。
人工吸器が1つしかない場合、どっちが優先されるんだろう。
そして、私はどうしてほしいだろう?
私の答えは、自分よりも60代のお医者さんを優先してほしい。(これは、死が差し迫ってないから言えることかもしれないけど。)
私はその人より若い、でも私は他の人を救うことはできない。
お医者さんであれば、その人が生きることで救える命があるかもしれない。
こうゆうことを考えていたら、命の大小ってあるんじゃないかなってところに辿り着きました。
よく、人の命はみな等しく優劣をつけることはできないって聞くけど、そうなんかな?
私はあると思う。常にあるわけじゃないかもしれないけど、こうやって切羽詰まった状態になった時には少なくともあると思うんです。
だって目の前で判断を迫られているから。
どっちかしか助けることができないんだったら、そこに優劣が出ることはしかないと思います。
今、全世界で医療現場の崩壊がいわれています。
日々身を粉にしながら従事してくれている医療関係の皆さんには、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
患者の数に対して機器が足りず、つらい決断を迫られることも少なくない状態があるのではないでしょうか。
でも、それって誰がそれを判断するのか。
これは重大な責任です。個人で決断にするには荷が重すぎます。
ただでさえ精神的にきつい状態なのに、こんな辛いことまで自分たちで決めていかないといけないとなると現場の皆さんの精神はもたないんじゃないかな。
だからこそ、国が大まかに優劣を決めてあげてもいいんじゃないかなって、私は思ったんです。
このブログを読んで、私の事をひどい人だなって思う人が居るかもしれない。
もちろん考え方は多様なので、そういう意見があるのも尤もです。
ただ私の考えを書き綴っているだけですので、こんな風に考える人も世の中にいるんだな。って読み流してもらえれば幸いです。
おわり。