https://voicy.jp/channel/657/43995
によると、不安感の正体は、
- 準備不足
- 努力不足
- 高すぎる目標
だそうだ。
「智慧を修習するはは疑心を破らんが為なり」
と、仏教の経典・大般涅槃経にも載っている。
大般涅槃経といえば、
「人はみな生まれながらに仏になる素質をもっている」(悉有仏性という)
ということも書いており、生きているだけでいいじゃん的発想も持つ経典で、
実際、浄土真宗では大般涅槃経が採用され、南無阿弥陀仏を唱えるだけで、
極楽浄土に行けるとされている。
話を戻して、
不安感をなくすために、農業の本をいっぱい買って読み漁っても、
なにも不安感はなくならない一方で・・・。
思い返せば、受験のときも、
問題集の専門家になるほどやった記憶が蘇ります。
けれども、結果が追いつかない。
あの時はセンター模試で700点を越えるほどまで、
成績は上がっていったが、病気にさいなまれ、
それ以降は落ちる一方であった。
だから高校時代は、
③の高すぎる目標が原因だろう。
今回、農業で
漠然たる不安を覚えるのは、
①②③全てということもありえる。
①の準備に関しては、
中学の論文大会で農に目覚め、
結局、大学も浪人しつつも農学部になんとか入ることができた。
その後、農学部から追い出された後も、
農の学校に入って卒した。
しかし、それでも、技術力に不安を覚える。
ある程度の技術を手に入れるためには、これでも不十分だ。
もう少し、準備をしてから就農すればよかったと今後悔している。
人のせいにはしたくないが、役場に相談するのがちと早すぎただろう。
ある程度、大きな法人で、就農し、経験を積んでから独立すればよかった。
②の努力不足に関しては、
高校時代に罹患した持病のため、
心と体は弱体化した。
今も続いている気がするが、
なんか色んな人に監視されているような気がする。
特にネットの有名人が突如私に関するズバッとした
ツイートやFacebookなんかの投稿を見ることがある気がする。
私は一般人で特段価値のある人間だとは思っていない。
そのためか、動かなくてはいけないと思っていても、
なかなか動けないことが多くなった。
特に苦手な作業に関しては、
あまり1人では動けなくなった。
ここには甘えの構造もあるのかもしれない。
たとえば、収穫など、同じ作業の繰り返しのときは、
漸次、つまらなくなっていく。そうすると、投げ出したくなるときもある。
だから結局、行動が足りていないのだろうなぁと思う。
③の高すぎる目標に関しては、
経営指標を参考に組み込むと、
1000万円を越える目標になってしまう。
ここでは正確な額は述べない。
去年の売上高100万円を越える程度なのに、
目標は高いといえば高い。
努力不足・技術不足で、
実現する目標も遠ざかってしまった。
要するに、
国からお金を貰う前に、
どこか技術をつけてから就農したほうが、
心の安寧につながるだろうという結論。
最初の大般涅槃経に戻るが、
「三昧を修習するは心の寂静の為なり」
という文もある。
三昧とは心を一つの対象に集中して動揺しない状態という意味で、
不安感を打ち破るためには、
しばらくは続けるしかないのではないか?という結論に至る。