九段下まで来たからには行かないわけにはいきません。
近美のフランシス・ベーコン展。
というか以前招待券を頂いてて、武道館が当選した時点で、一緒に行こうって決めてたの。
ということでフランシス・ベーコン展。
とても良かったです。
久しぶりにたくさん刺激を受けられた気がします。
ということで感想を。
とはいえ今武道館入場待ち列からブログを書いてて、しかもスマホだしで書きにくくて集中力もないのdr無茶苦茶な文章になるかも笑
ひとつ、事象があって、身体がある。
でもそれに先立つイメージがある。
そのイメージから距離を取り、あるいは破壊する作品群。
物事を不用意に、暴力的に切り捨てるスラッシュの罠。
A/B、人間/動物、聖/俗、聖なるもの/呪われたるもの、此岸/彼岸、、、
スラッシュによって切り捨てられた「あいだ」について、
定型なるものの不定形(amorphon)性について、
ベーコンの作品から私が受け取ったのは、そんな否定性。
肖像画の習作に描かれた枠。
枠の中に描かれた訴え叫ぶ男。
透明性を帯びた身体。
背景に溶け込もうとする色彩。
歪み、ボカされた顔。
ガラスによって隔てられた絵画と鑑賞者との距離。
それらはエピステーメー の枠を超えた外の思考。
だがそうした外の気付きは日常からはうまれない。
日常もまた、引用符によって閉じ込められた定型世界。
だからこそ、映像の中でベーコンは語る。
「チャンスの到来」を、「偶然性、accident」を待つと。
それは日常から、枠から飛び出た外の世界。
いかなる先行するイメージをにもとらわれない気付きの世界。
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