たとえどんなにきれいな言葉であっても
それが言葉である以上、いつも必ず、暴力に違いない。
AKBのあるメンバーに対する殺害予告とみられる書き込みをされた方が書類送検されたという話。
確かにそこに書き込まれていた言葉は直接的なものであったけれど
たとえばGoogle+などでたまに目にする暴言とさほど変わらない、という私の印象。
いやむしろ、一時期、AKBの某メンバーのブログに大量に書きこまれていた罵詈雑言に比べるとまだましなんじゃないかって思える。
そして私も。
こうしてブログを書いている以上、言葉を扱っている以上、
言葉は慎重に扱わなければならないと、改めて。
言葉はいつも選択する、選別する、すなわち切り捨てる。
その切り捨てに、常に自覚的でなくてはならない。
言葉はいつも踏襲する、模倣する、すなわち署名する。
その連署に、いつも意識的でなくてはならない。
そしてまた、考えなくてはならない。
言葉は、そのシニフィエは、いつも必ず、異なるということを。
言葉を扱うにあたり、思考を止めた時、
裸の暴力が、猛威をふるう。
だから私は詩をかこう。
自らの言葉に打ちつけた槓杆、「スタンツァ」。
とはいえその詩形態に支配されるわけではなく、
詩とはエコノミーである、
その意味において、
私は、詩を書こう。
この温かな部屋で。
追記。
本ブログをアップしようか迷ってたまさにその時、
真那ちゃんが同じタイトルで、ブログを更新してくれました。
2012-08-22 23:39:12
(大矢真那)言葉
___________________________
こんばんは。
大矢真那です。
些細な一言でも、それが自分にとってすごく響く言葉だった時
ジーンとなって上手く言葉が出ない時があります。
些細な一言でも、それがツボにはまって
笑いからなかなか抜け出せなくなる時があります。
些細な一言でも、それが自分にとって
もやもやする時があります。
言葉って、数や長さだけが大事ではないのだと
日々知らされます。
同じ言葉もその時々で気持ちが違うし難しい。
これは皆様からのコメントのお話ではありませんので
どうか
誤解なさらないで下さい。
なんとなく
今日思ったことでした。
今日は
かなり元気な私でした。
ありがとうございました。
どうぞ
暑い中にも
わずかな涼しさに
癒される
そんな
優しい夜でありますように
おやすみなさい☆ミ
ジーンとなって上手く言葉が出ない時があります。
些細な一言でも、それがツボにはまって
笑いからなかなか抜け出せなくなる時があります。
些細な一言でも、それが自分にとって
もやもやする時があります。
言葉って、数や長さだけが大事ではないのだと
日々知らされます。
同じ言葉もその時々で気持ちが違うし難しい。
これは皆様からのコメントのお話ではありませんので
どうか
誤解なさらないで下さい。
なんとなく
今日思ったことでした。
今日は
かなり元気な私でした。
ありがとうございました。
どうぞ
暑い中にも
わずかな涼しさに
癒される
そんな
優しい夜でありますように
おやすみなさい☆ミ