コロナもすっかり明けきって、飲み会もレセプションも多くなってきた。家庭との両立が目下の課題である。
今日は、某社のレセプションパーティーだった。
えらいもので、酒が入ると適当に外国人のおじさんの肩を叩きながら適当な会話をするようになってきた。一期一会かそうでないかは知らないけれど、その場を適当に楽しむようにしている。
この感覚どこかで…?と思っていたら、知らない外国人とヘラヘラ話すのは、合コンみたいな楽しさがあるということに行き当たった。君は誰?ぼくのこと好きになれそうかな?もう一度会う気になる?、まあとりあえず話してみようぜ、みたいな。
そうやって適当に話していたおじさんと、そういや名刺交換してないなと思って交換したらば、ハーバードのケネディスクールの先生だった。はあ、気さくなおじさんだけどエラい人だったのねと感心した。こんなに権威のある立場のおじさんがこんなに気さくなんて、素晴らしい以外の感想はない。
外国人と話すようになって思ったことは、いわゆるグローバルエリート的な教育を受けてきた層のコミュニケーション能力は賞賛に値するということだ。
地方出身の田舎者であるぼくの見地からいけば、残念ながらやはり基本的な自信や自己肯定感、出自と教育、これまで付き合った環境に依存するのだと、こういうコミュニティを心情的にアウトサイダーだと自認している立場から見ていると最近富に感じる。
同時に大変興味ぶかい。それがいいとも限らんしね。
飲みながら適当にやっていたらすっかり過ごしてしまって、タクシーに飛び乗った。ぼくの1日の最大のタスクは息子を風呂に入れることである。十分な仕事をするには、なによりも家庭円満がファースト・プライオリティーなのだ。
間に合うかどうかは微妙なところだけれど、間に合わせる姿勢を示すことが大事だったりもする。
父は行くぞ。さあ待っていろよ、初鰹。