この前、会社のエレベーターでスマフォゲームをしているおじさんがいた。ぼくがおじさんと評するからにはマアマアのおじさんで、恐らく50歳はゆうに超えているかなと言ったところ。

ここ数年ゲームは全く触っていないので、タイトルはよくわからなかったが、アクションRPGのような、そこそこ忙しそうなものだった。

それ、いかな業後の退勤中とはいえ、会社のエレベーターでやるかね、と思った。

個人の自由であることは百も承知だけれど、ぼくはかなりびっくりした。


本当にスマフォはこわいなと最近思っている。

YouTubeなんかを見ていると、とっつきやすそうな縦スクロールのシューティングゲームやパズルゲームのようなものが大量に広告出稿されている。

アイテムを取ることで機数が増えたり武器が進化するのは内容的には昔からあったものの焼き直しで刺激として目新しくはないのだけれど、ハードがスマフォというのが恐ろしいところで、要するに安価にいつでも好きな時間に隙間時間ですらも刺激を得られる、あえて嫌な言い方をすれば、貧乏人の麻薬みたいなものなのだろう。

ああいうシンプルな刺激を繰り返し受けることで、脳みそが手軽にチャリンチャリンとご褒美をもらって、幸せ物質がプッシャーっと出るようになっている。いっちょ上がりだ。


並行して、書店で最近平積みになっている、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という本を少しずつ読んでいる。見かけてから2回くらい買うのを我慢したが、タイトルホイホイだと思った。

脳みそがどうこうというよりも、労働史文化史的な人文学的アプローチなのでちょっと切り口が違うし、まだ結論部には辿り着いていないけれど、お話の導入は、社会人になって本を読まなくなって、パズドラでしか余暇を過ごせなくなった某小説の主人公の話だった。


笑えない。

ブログを毎日書くことと、常になにか読み途中の本を持ち歩くことで、断崖に指一本ひっかけてブラブラしているぼくなのである。


本質的には、エレベーターでスマフォゲームやるおじさんと変わらないのではないかという恐ろしさがある。