同期と話をしていたら、ランチの時間調整するときに見たけどお前ものすごい忙しく予定が入ってるな。忙しい部署の課長してるなあ、こっちは部下もちゃんとしたのばっかでもないし、端パイ部署だからなあ。


こんなことを言われた。

共通の知り合いの先輩も同じ部にいて、自分たちも含めてお荷物扱いなんだろ、という話をしているらしい。


そりゃ目立つ部もあればそうでない部もある。そういう意味において彼の自己認識がおかしいとも言わない。が、そんなものは役割なのだ。

うちの部だって、会社において花形かと言われれば別にそんなこともない。でも前線の課長のポストは多くはないから、それはそれで羨ましがられることもあるし、誰もが全員就くということでもない。

でもやっぱりそれも含めてただの役割なのだ。


終局まで一つも動かなかった香車が効いている場合だってある。でもそれは香車自身にはわからないし、香車にとっての真実は、1マスも動かなかったということのみだ。


人生に棋士のような俯瞰する存在はいない。

だから、全うすることだと思う。

腐ったら悪い方向にしかいかない。

曖昧な自任で胡乱に手放すと、なかなか戻ってこないのは感覚的にみんなわかるでしょと思う。散々子供の頃から絵本とか昔話で見てきたじゃない。


一番時間を使っている場所だから、そこで認められたいという気持ちはそりゃ強い。ぼくだってそうだ。会社で怒られれば悲しいし凹むし自己嫌悪になることもある。

でも、会社での自分の評価なんか、自分のほんの一部分なのである。冷静に考えればそんなコト誰にでもわかるのに、視野狭窄になりがちなのだ。

ぼくは、ぼくなりに全うしているならば、他人から評価されなくても自分を認められるのでは?という仮説を持って生きている。


呪いの言葉を自分にかけてもしかたなかろう。

人から呪われるのは自分ではアンコントローラブルだ。人を呪うのはやめたほうがいいけれど、自分を呪うよりは健全だろう。

また悪いことに、自分で自分にする呪いはよく効くのだ。どう考えればこたえるか、自分で知っているのだから当たり前だ。

さすがにバカバカしいから、やめときなと言いたい。