保育園や、次の園の説明会。子供たちの参加型イベント。初鰹とおんなじくらいの子たちと遊ぶときに、妻が「うちのコは集団行動ができない」と呟いた。


たしかに、司会のお兄さんが「みんな!〇〇しよう!」ということは一つもしないで別のことをしたりしていたが、まだ2歳10ヶ月である。そんなもんだろう。


だいたい、大人だって、「心此処ニアラズ」なんてよくある話で、ぼくだって、会議に出ながら別のことを考えているなんて言うのは日常茶飯事である。

我々だってたいして集中してはいない。たまさか、それを糊塗する技術的な方法を習得済み、というだけなのである。


だから、まあ、そのうち集団から排除されるという根源的本能的な恐怖感から、社会性というのは勝手に身についてくるように思っている。

どう見ても初鰹は平均的な水準は満たしているように感じるので、よほど異常に見えない限りは、最低限のところだけは言って、あとは眺めていればいい。


他人の子と比較して一喜一憂するよりも、親の振る舞いの方が何倍も重要な気がする。ひたすら親から学ぶ段階の我が子の目はある意味怖いなあと思う。自分の行動がそのまま出るんだよなあきっと、と思うとなあ。


どうせあるタイミングからは、比較され続けて、比較し続けて、自分はコレデイイノダと言えるようになるまで苦しむのである。親のぼくだって、解脱できそうで、解脱できていないくらいなのだ。たぶんあと10年くらいは苦しむ。

親がわざわざいまから息子を他人と比較しなくてもよかろう。


ところで、天才バカボンて、素晴らしい漫画だったのだなと今更になって思う。ダイバーシティを推進するなら、これを教科書にしたほうがいい。うなぎイヌをマスコットにすべきである(イヌとウナギのハーフ)。


これでいいのだ。と思えれば勝ちだぜ。